インタビュアー:2013年度生 人間科学研究科 篠塚 友香子
2015年度生 人間科学研究科  小林 勇輝
インタビュイー:2015年度生 理学研究科  竹野 祐輔
2015年度生 文学研究科  福尾 匠

 大阪大学超域イノベーション博士課程プログラム履修生に、学生視点からインタビューする超域人。Vol.20の今回は、選抜特設ページ第二回とのコラボとして、4期生(2015年度生)二人の対談をお送りします。理学研究科で物理学を専攻する竹野祐輔君と、文学研究科で美学を専攻する福尾匠君。超域で出会った専門の異なる二人が超域で何を得て、何を感じ、何に悩んでいるのか。彼らの本音とありのままの姿を垣間見ることができました。

取材日 2015年12月17日

理系・文系の枠を超えて

竹野祐輔

竹野:超域プログラムの特徴は、理系文系問わずにいろんな専門の学生が集まってることだよね。だから研究室よりも理系文系の差を感じることが多いのかなって感じるよ。このあいだ、超域の同期生から「理系っぽいよね」って言われたことがあってさ。理系に属する人間として自分を認められた気がしたから、「理系」って言われたことがはじめは嬉しかったんだけど、その後で「必ずしも褒め言葉じゃないからな」って言われて。確かに「理系」って短所を指摘する言葉でもあるんだな、と思って少し自分の考え方を見直すきっかけになったな。

福尾:僕は思うんだけど、いわゆる「理系」と「文系」ってなんなんだろう。超域に入る前は、理系と文系のあいだに壁があるということはなんとなく感じてたんだけど、実際超域に入ってグループワークなんかをやるときには、理系文系の違いってことより、そのひとの考え方や価値観の違いのほうが大きな壁として感じられるんだよね。例えば、僕の専門の美学って分野から見て、歴史学と物理学のどちらが似てるかなんて聞かれたとしても、わかんないじゃん。美学と同じ文系だから歴史学のほうが似てる、なんて一概に言えないし。だから文系とか理系っていう二分法自体を見直す必要があるのかもね。こういうことは超域に入ったからこそ見えたことだと思う。

竹野:たしかにね。理系文系の違いなんて、興味の表れ方の違いにすぎないなんじゃないかな。それよりももっと深くにある、考え方とか捉え方とかそういう根本の部分のほうが、そのひとを知るうえで重要なんだと思うよ。理系文系は表面的な違いでしかないんだと思うな。

福尾:というか、理系と文系って誰が分けたんだろうね(笑)。日本だと高校で分けられるわけだけど、「理系は数学ⅢCまでやる」とかそういうレベルの話じゃん。でもよく考えてみると、高校で学んだ教科がなにかなんてそんな大きな違いじゃないと思うんだよね。それでもやっぱり一般的には大きな区分とされているから、自分も超域に入ってなかったら「理系は理系でしょ」って考えて、理系のひとを遠くの存在として捉えてたんだろうな。

多様な思考が“混ざる”

福尾匠

福尾:理系文系という区分が便宜上のものなんじゃないかって話をしたけど、少なくとも日本の大学のなかでは理系文系がはっきりとわかれていて、あんまり一緒に関わる機会がないよね。竹野は超域に入る前に理系文系の協働についてイメージできてた?

竹野:そうだね、例えば企業で言えば技術の理系と、それをまとめる文系、っていうイメージはあったな。けど、超域に入ってからはそんな風に分担して取り組むより、みんなで“混ざって”取り組むって機会の方が多いな。新鮮な経験で色々と考えさせられるよ。
 でも超域に入って気づいたんだけど、理系文系の違いというか分野ごとに思考の組み立て方に違いはあるよね。たとえば僕の専門の物理学なんかは、議論するときはみんな“絶対の正しい答え”に向かう。だから結構な頻度で相手のミスを指摘する。言ってしまうと、相手を否定しあって話が進むんだよね。でも、実際社会で直面する問題って、そういう「正しい答え」を目指すものとは質が違う。唯一の絶対的な答えなんてなくて、どの意見も一長一短なわけじゃん。そのうえでよりよいものを選ぶ、作るっていう過程になるから、全部が全部間違ってる、なんてお互いを否定することなんてできないんだよね。これは超域で他の分野のひとたちと“混ざった”結果でわかったことかもしれないなあ。

福尾:社会的問題解決だとか、超域で取り組むような活動って、やっぱりそうシンプルにはいかないことが多いよね。最初の段階では、活動の目的さえはっきりできない時だってあるし。「明確な目的なしでは取り組めない」ってひともいるけれど、目的すら明確にできないような難しい場面も経験したな。ライフスキル合宿(参考:2014年度ライフスキル合宿2012年度ライフスキル合宿)の、中学生との交流会は特にそうだった。「彼らに僕らの知識を与えること」を目的としてしまっては意味がないっていうことを、グループのみんなに理解してもらうのには苦労した。「交流」ってデザインしすぎると機能しなくなると思うんだよ。

竹野:目的が明確になると、議論の幅が狭まっちゃうようなときもあるしね。こういう活動が一番、分野を超えてやることの意義を感じるできごとだったな。

福尾:うん。でもさ、社会にある問題はむしろ、そういう、理系文系に簡単に分けられないもののほうが多いんだろうな。文系と理系の単純な分け方として、文系は人間を扱い理系はモノを扱うみたいな言い方があるわけだけどさ、例えば医学という一つの分野においても、患者をある種「化学物質の集合体」として見なきゃいけない一方で、やっぱり人間としてどうケアするかというのも大きな問題になるわけだよね。

竹野:そうだよね。単純に「モノを作る」ことだけでも、すごい「融合」した問題だなと最近思うんだ。例えばゲーム一つ作るにしても、音楽だったり映像だったりデザインだったり、考えなきゃいけないことがたくさんあるじゃない。一方向の知識だけじゃ色々間に合わない。だから今はいろんなことを学んだり知ったりするのがすごく楽しいな。文理を問わずいろんなことを学んでいくと、結構すぐに、色々な面白いことに出会うんだ。もしかしたらこの分野の事柄は簡単かもって思うこともある。でもそうやってどんどん学んでいくと、今度は逆にその分野の奥深さに気づくんだよね。なんか、分野を超えてみてはじめてある分野と自分の専門との「近さ」と「遠さ」がわかったりして、他分野を近く感じたり遠く感じたり、その繰り返しだな。

超域という集団と、協働を考える

福尾:専門以外で、毎週集まるような集団があるってこと自体どう思う?院生にもなると、なかなか他にはないことだと思うんだけど。

竹野:いいことだと思うよ。みんなある程度は志を同じくして集まったひとたちだから、完全なバラバラじゃないし。けど研究科や専攻のコミュニティほど、全員が同じ関心ってわけでもなくて、独特な集団の在り方だと思う。

福尾:そうだよね。部活とか、研究科みたいにやりたいことがまったく一緒なひとたちではないし、それぞれの専門もあるじゃん。だから、完全に閉じた集団にはならないし、その辺が心地いいって感じはするな。たとえば部活とかでやる気ない奴がいたら、「ちゃんとやれよ」ってなるんだけど、超域っていう集団は、グループワークとかでない限り、お互いが距離をとっていられる集団なんだよね。干渉すべきところと、しなくていいところがはっきりしていて、互いがそこをわかっている

竹野祐輔

竹野:そうかもね。ただ最近、距離感が難しいなと思うこともあるんだよね。干渉しすぎてもダメだし、距離を取りすぎてもどうかなっていうのがあるし。僕は超域っていうある種のチームとして高め合いたいから、他にはない干渉があってもいいと思う。でもグループワークをしていると意見の方向性が合わなくて、難しさを感じるときもたくさんある。リーダーのあるべき姿がわかんなかったりね。それで匠に聞いてみたいんだけどさ、やっぱりグループワークなんだから、常に全員がうまく分担して協働したほうがいいのかな。たとえば4人で○○を作ってくださいっていう場があったとしたら、一人が一気に草案を作って、それを後からみんながチェックするっていう風にしたほうが成果物のクオリティが高くなることもあるじゃない。

福尾:求められるリーダーは、グループのメンバーと課題の性質に依存するよね。ワンマンが求められるとき、そうでないときがあると思う。けどその柔軟な対応が難しいよね。

選抜前を振り返って…

福尾:超域の選抜試験を受ける前から、学際的なものに憧れはあったんだよね。僕のこの憧れは、松岡正剛っていう人の、「千夜千冊」っていうネットで公開されてる書評からきてるんだ。このひとは本当にすごいよ。2000年から2004年まで月曜から金曜の毎日一冊分の書評を書いて千冊まで達成して、今もペースを落として続けているんだけど、その本が分野も時代も問わずありとあらゆる分野から選ばれてて、物理学から哲学から、最近のベストセラーから何百年も前の本までカバーしてるんだ。僕は学部のときからこの千夜千冊を読んでて、異なるジャンル・時代・地域の思考が出会いうるということにすごく興奮していたんだよね。竹野はどうして超域を受験したの?

竹野:僕は、物理のほかに生きる術を見つけたくてかな。物理はやりたいけど、それだけで生きていくビジョンも見えなくて、それで超域を受けたよ。物理を趣味にしたかったんだよね。だから超域に行こうと思ったのは、世界を広げるためって感じかな。他の世界を見ないまま生きるのはもったいないかなと思って。
 あと、焦りを感じてたってのもあるな。大学で起業するひととかに対して、なんとなく遅れてる悔しさみたいなのがあったから、大学に残るからには大学でしかできないことをやりたくて。

福尾:なるほど。じゃあ、竹野にとって超域に所属している最大のメリットって何?

竹野:ざっくりと言えば、視野を広く持てることじゃない?僕は今「人としての成長」ってことに価値を感じるから、いろんな人が混ざってる場で、とにかくいろいろ吸収したいんだよね。超域はやっぱり、活動の幅も関わる人の幅も“広い”ことがいい。超域で「技術」だけじゃなくて、僕自身の「人」を育てていきたいな。

福尾匠

福尾:そうだね。超域のメリットに関して言うと、僕は、超域にいれば、きっとなにか得られるものがあるだろう、楽しそうだな、くらいに考えて超域に来てるから、何か決まった将来像のために超域を利用する、ってのがあんまりわかんないんだよね。自分は将来こうありたいっていうのが本当にないから。だからキャリアデザイン、みたいな視点から超域に入るってひとってどんな感じなんだろうと思って。竹野はそういう感じ?

竹野:まだ、将来何して生きようか決まっていないひとが来るのはいいと思うよ。世界を広げるためっていうか。逆に、例えば「研究者一本で生きていく」とか、将来像がばっちり決まってるひとは来ないんじゃないかな?

福尾:けどある程度自分を持ってないと、やることの優先順位を決められなくて困っちゃうとは思うよ。研究と超域の両立はやっぱり大変だから。超域に求めるものをある程度は決めてるひとじゃなきゃ、来てから大変だと思う。その線引きは大事かも。

竹野:確かにね、あまり超域任せでは良くないかもしれない。超域生として時間管理は大切だね。でも超域って、普通はお金払って受けるようなものだと思うんだ。だからこのプログラムの存在は本当にありがたいよね。

福尾:うん、選抜を受けようか迷っているひとは、受けて損は無いと思うね。

それぞれの「専門」と「人間」の両方が交わりあう超域プログラムで、履修生は多くを学ぶと同時に、数々の壁にもぶつかります。この一年間で二人が得たものと、考えたこと。今回の対談では、そんな二人のリアルな声を聞くことができました。来期には5期生も加わって、さらに多様性が増す超域プログラム。そのなかでの二人の成長に、今後も期待が高まります。