■ 超域的教育の場にあるべきは”余白”

Financial Uni交流_247

立山:最後の質問なんだけど、今回海外研修っていう学びの場を作る側として、ロシアに行ったときの超域生の学びが最大化されるための工夫はどういうことをしたの?

奥野:そもそも学びを最大化しようっていう考えが、僕にはあまり無かったかもしれないな。学びが多い人もいれば少ない人もいて、別にそれでも構わないんじゃないかなって思ってた。

立山:でもそれって、学びを提供する側の逃げとも捉えられるよね? 「行けば何かしらは学べるだろう」みたいな。

奥野:学びを最大化するっていう考え自体が、そもそも成長とか成功することを絶対的に良いものとして見てしまう価値観だと思うんよね。“学ばなければならない”っていうひとつの価値基準にはめている感じがする。限られた時間のなかでいかに効率よく学べるかっていうのを考えるのももちろん大事なんだけど、例えば何を学んだのかわからないけど、ミーティングでの雑談も含めて、とりあえずみんなとたくさん話をした。もしくは、成長したか自分ではわからないけど、たくさんのロシア人と言葉を交わした。こんな感じに、いわゆる学びとは直結しないようなものにも価値があると最近個人的には感じていて。

立山:僕が言っている「学び」の定義は、雑談とかを否定していないし、例えば夜に飲みに行ったりすることとかを否定しているわけではないよ。そういう時間だからこそ気付けることはたくさんあるし、むしろ肯定している。そんな時間も含めて、プログラム全体のバランスからどういうコンテンツをいれようとか、細部にまでこだわろうと思えば工夫できることは尽きないと思う。そういう工夫は少なからずあったんじゃないかな?

鈴木:モチベーションの維持には結構気を使ったつもり。そのために、参加学生が「共感」できる要素は企画の中にちりばめたかな。自分たちが興味のあることに取り組んでもらうとかもそうだし。現地の人たちとの交流という点だけでも、年や立場が上の人たちだけでなく、同世代の人たちとの企画や、ロシアに生きる日本人と話をできる場を設けるとか。こういったどこかで自分と類似する部分、つまり身近に感じられて共感できる部分を含めようとは考えてたなぁ。そういう多様な人たちと交流することに重きを置いたこと自体、学びを最大限にする工夫ではなかったかもしれないけれど、学びとして得られるものが一つの価値観に偏らないように工夫した結果だったと思う。

対談写真

奥野:もう一つ工夫したこととしては、参加者全員を対象としたワークを企画者が準備して、大まかな知識を得たり同じものを見て一緒に考える部分と、みんなが自分の視点で自主的に学べるような“余白”というか“遊び”の部分を、両方確保しようとしたかな。そのバランスをとるのに結構苦労した。今考えれば、網羅的な知識や汎用力と深い専門力の両方を育てるっていう、超域が目指す“T字理論”(人材育成の理論。「T字」の横棒が知識の幅広さ、縦棒が深い専門性を意味する)に則ったものにしようとしたんだと思う。もっと自由度の高いものにしても良いんじゃないか、っていう意見をくれる先生もいたけれど、僕ら企画学生の方が中身の設計を詰めようとしてたと思う。まあ、色々考えてやってみても失敗するなあ…というのが、終わってからの印象ではあるけど(笑)

関屋:学習の場がどうあるべきかっていうことについて、たすくの話を聞きながらちょっと思い出したことがあって。超域の人材育成のあり方について、プログラムの設計に関わった小泉先生(大阪大学名誉教授、元理事・副学長)にお話を伺うことがあったんだけど、「超域プログラムの履修生になってほしい人材像はあるけど、超域生全員がそうならなければならない、という訳ではない。一人でも二人でも、そんな風になる人が出てきたらいい。」ってその先生が仰ってたんだよね。今回のロシア企画で、参加者にいかに学ばせるかについて企画側が悩んだのも、その感覚に近い気がした。ひとつの理想像や目的へ向かわせるようにプログラムを設計することも出来るはずだけど、そうせずに色々な学びの可能性を残してくれてた。超域プログラム自体にもそういう面があるなって思うんだよね。グローバルなリーダーになるためにっていう刷り込み的な教育もできるけど、しない。たすくの話をきいてて、学習の場ってそうあるべきなんかなって。

立山:そうだね。教育って、教育する側の理想像というか、悪く言えばその人のエゴのようなものを押し付けるようなやり方もある。でも、学びに対してもっと可能性や余白を持たせるようなやり方の方が大事だと思う。僕自身もこれまでいくつかワークショップの設計に関わってきたけど、学びに対してある程度の余白を持たせた設計をするように心掛けてるな。予想通りの単一的な学びが得られてもおもしろくないじゃん。いろんな人がいて、いろんな感性のもとで学びがあって、それが共有されてまた別の学びが生まれる。そんな連鎖が生まれる可能性を消してしまうのはもったいない。

奥野:例えば三田先生はフィールド・スタディやそこで扱うトピックに対して「こうあるべき(あってほしい)」っていう理想像を持ってらっしゃると思うんだよね。でも、フィールド・スタディに実際僕らが参加したとき、そういう理想像の押し付けみたいなものは感じなかった。フィールド・スタディが先生の理想に基づいて設計されてはいても、それをどう消化するかは学生次第というところがあったように思う。今回のロシア企画も、三田先生のそのスタンスを参考にしていた部分はあったのかもしれないな…。僕自身、企画を通じて超域のみんなにこう変わってほしいっていう理想はあったけど、それを押し付けないようにしたいなとは考えてた。

立山:逆に、理想をがちっと決めて、その方向性を示してくれる方が好きな人もいるよね。示された方向に従っていればいいから、何も思考せずにいられて楽だし、その気持ちはわかる。でも超域生が求められているのは、自分であるべき社会の理想を設定して、与えられた枠を超えて自分で学んだり、そのために必要なものを自分で作り出したりできる強さを持つことだと思うんだよね。

奥野:その準備は出来つつある気がする。僕らの同期は、最初のころはみんないろんな事を考えてる途上っていう感じやったけど、今はみんなそれぞれ、自分の軸足が定まってきたように感じる。2年前の僕らとは全く違う、こうやって色んな経験をしてきた今の僕らなら、ある固まった価値観や理想を持つ社会や組織に飛び込んだとしても、自分の価値観や持ち味を発揮していけるんじゃないかなってすごく期待してる。

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