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Edited by 大阪大学大学院人間科学研究科(超域2014年度生)小川 歩人

はじめに

 超域生が海外フィールド・スタディでブータンを訪れるのは超域一期生(2012年度生)に続きこれで二度目であり[参考:2013年海外フィールドスタディinブータン]、前回に引き続き、上田先生、三田先生の引率の下、私を含む超域2014年度生10名は、およそ2週間(3/14-3/27)滞在した。ブータンは、チベットの南に位置し、九州と同じ面積、人口でいえば大阪大学が位置する豊中市、吹田市、箕面市を合わせたよりも少ない小さな国である。しかし、この小さな国の行く先々でわれわれは「幸福とは何か」という大きな問いを考えさせられ続けた。

地図

 以下に、今回の研修のスケジュールと、本記事における執筆担当者を紹介する。まずは首都ティンプーにて、カルマ・プンツォ博士との対談を行った。これについては、以下で私が感じたことを述べている。次に、公共事業省次官ダショー・ソナム・テンジン氏との対談を行った。この部分は、工学研究科の堀さん、立山さんが執筆している。その後、ロベサへ移動し、College of Natural Resourcesの教職員の方々とのセッション、学生との現地農家でのフィールド・ワーク、プレゼンテーションを行った。その後、再び首都ティンプーへ移動、ブータン国立研究所所長ダショー・カルマ・ウラ氏との対談を行った。この部分に関しては、法学研究科の常盤さんが執筆している。最終日前日に行われた情報省次官ダショー・キンレイ・ドルジ氏とのセッションについては、工学研究科の澤井さん、岡村さん、現地NGOの「RENEW」で活動をされているツェリン・ドルカー氏との対談については、理学研究科の稲富さん、言語文化研究科のレイさんが執筆をしている。このようにスケジュールとしては、フィールドワークで農村を訪問し、現地での生活をみながら、他方で、政府高官の方々、NGOで活躍される人々とのセッションを行うという、めまぐるしく思考を往還させられる密度の高い二週間であった。

 ブータンに行く、行ってきたと言うと「幸せになってこいよ」、「幸せになれた?」というような声をかけられたりした。私は充足した日々をブータンで送っていたのでそれ自体は別に間違いではないのだが、やはりブータン=「幸福の国」という印象の下でそのように言われたのだろうと思う。

「我々は幸福を手に入れているわけではない。」、「ここは桃源郷ではない。」

Dr.カルマ2

 度々、そのような言葉を聞いた。ブータンの人々が直面している現実は「幸福」にふんわりと包まれた「理想郷」にはない。伝統と近代化の狭間で、若者たちの精神的基盤は不安定な状態にあり、都市部では若者の自殺が増加しつつある。地域共同体の中でDVや虐待に苦しみながらも自ら声を上げることができない人々がいる。町と町を繋ぐ断崖絶壁の細い道路でブルーシートに覆われた家屋に住む人々がいる。各地に散らばる小規模な村々で話される少数言語は徐々に消えていこうとしている。我々が言葉を交わしたブータン政府の人々、あるいは現場で活躍するNGOの人々は、今現在ブータンという国が大きく変わりゆく中で日々格闘されていた。

「われわれもみな幸福を目指し、その途上にいるのです。」

 到達すべき理念とその条件を峻別し、人々の幸せのために何ができるのか。計算可能な指標は楽観的な神秘的理想に導かれるというよりもむしろ現実を見据え、積極的に向き合った結果であるのだということを強く感じた。

 ただ、大きな価値観の変容、混乱の最中にある、とはいうものの、多くの超域生が驚き、時として戸惑いつつも感嘆したのは人々の豊かな精神風土であったこともまた確かである。人々の王に対する厚い信頼、仏教徒としての信仰心の確かさ、そこから導き出される精神性、実践へ落とし込む行動力、共同体の結びつきの強さ等はやはり日本でみることがなかなか難しい。例えば、現地の学生と訪問したテマカ村で一人暮らしをしておられた老齢の方をみつけた学生が自発的にカンパを募り、即座に集まった。そして、その傍らには老齢の方の生活を思い、学生が涙を流していた。美談にしても出来過ぎているくらいのものだが、そのような行動が内から自然に出てくる。もちろん、そういった状況に意識を向けている学生の事例であり、全てのブータン人にいえる話ではないだろう。しかし、単に信仰心を基盤としつつも、世俗化しつつある狭間で、そのような利他的営みが自発的に生まれうる状態は、ある幸福な社会の姿であるだろうと思うのである。

Dr.カルマ・プンツォ

 ブータンにおける社会実践、制度構築が日本でそのまま可能であるとは思わない。日本とブータンでは国家規模、価値観の多様性の度合いがあまりに異なっている。それでも、例えば、地方分権、道州制、地方自治体等、ローカルなコミュニティの可能性を模索する日本、あるいは、価値観の極度の分断に曝されつつある不安定なブータン、各々に学びあうところはあるのかもしれない。頭ごなしに紙の上を眺めてもみえないものだらけである。地域の特異性を意識しつつ、その上で、外部と内部を縦横無尽に探し回り、何かがどこかで組み合わさる点を検索する。フィールド・スタディを通じて、様々な視点を往復しながら思考を続けることが超域的に活動する上で重要だという点を改めて実感させられた。

 二週間という短い間ではあったが、様々な超域生が各々のstyle(スタイル=型=文体)からブータンをみていた。以下、上記に触れた内容とも関わる他の超域生による報告をみていきたい。

■【セッション①:ダショー・ソナム・テンジン】
独善的な価値観から脱却するためには

ダショー・ソナム2

【担当】工学研究科:立山 侑佐
工学研究科:堀 啓子

 ダショー・ソナム・テンジン氏(以下:ソナム氏)は、「秀でた人」の意を持つダショーの称号を与えられた数少ない偉人のうちの一人であり、現在は公共事業省にお勤めである。医師としてそのキャリアを始め、その後いくつかのゾンカック(県)でゾンダ(県知事)を務めたのち、内務省の地方行政局の局長、労働省次官をへて、現職に就く。仏教哲学にも非常に詳しい方であり、今回のセッションでは主に、仏教的思想に基づく、カルマ・Love(愛)・Rejoice(祝福)・Ignorance(誤解)・Impermanence(無常)の5つの概念について語ってくれた。

自分の行為=カルマは、全てのものとつながっている

 カルマとは、人がなすおこない全てを意味し、行動や考え、言葉などを指す。世界の全てのものはつながっており、自分のカルマも朝から晩まで何かに影響を与え、世界を変えているとソナム氏は語った。それはすなわち、自分の前世・現世・来世は、全て自分のカルマによって定められているということに等しく、その意識を持ち続けてほしいとソナム氏は伝えてくれた。どう行動するかは自分や自分の心次第なのだから、自分の行動が自分やその他すべてのものに影響すると思えば、必ず善い行いを選択するはずだからである。ソナム氏はすべての思想の基礎となるこの話から、非常にクリアで論理的な仏教哲学の一端を我々に見せてくれた。

愛とは、見返りを求めないこと

 世界の中の非常に重要な要素として、愛とは何かとソナム氏は問いかけた。愛は執着や賤しさをもたらしてしまうことが多いが、仏教が教える愛とは、何の見返りも求めない、自然な感情の流れだとソナム氏は答えた。あれがほしい、これをしてほしいというものではなく、母が子に注ぐのと同じような、自分の欲を超えたものが愛なのである。社会もコミュニティも、愛がなければすべては続かない。だから、愛の意味をはき違えてはいけないとソナム氏は伝えてくれた。

人の幸せもRejoice=祝福することができますか?

 全ての人々が人生の中で抱える大問題が羨みである。これほどみじめなことはないが、羨みを超えて、人の幸せを祝福するということは、簡単なことではないとソナム氏は話した。自分が何かを得ても成長しても、他人の成功を羨んで喜ぶことができなければ、自分自身を満たすことはできない。羨みを自分の原動力にするのではなく、成功や幸せの物差しは自分自身の中に持ってほしいとソナム氏は語った。人の幸せを素直に喜べないことは、私を含め誰しもが持つ苦い感情である。「Rejoiceという言葉を持って帰れば、皆さんの生きる世界は変えられる」という言葉は力強く、常に心に留め置きたいと思える言葉をいただけたことを嬉しく感じた。

世界の全ての問題は”Ignorance”によって引き起こる

ダショー・ソナム

 みなさんは「”Ignorance”とは何か?」と聞かれ、何と答えるだろうか?辞書を引くと「無知」という単語が出てくる。実際、我々も「lack of knowledge(=知識の欠如)」などといった答えを述べた。しかし、ソナム氏の答えは違った、彼曰く、”Ignorance is misunderstanding.”である。世界中で様々な対立が発生し、戦争が起き、多くの命が失われている。それらの根源を辿れば、一人一人の人間が互いに理解しきれていないことにある。多くの不幸せはそういった我々の不理解によるものなのだ。まずはこの前提を共有することが必要であると教えてくれた。そして、同時に完璧な理解が存在しないということも語ってくれた。例えば青色の物を見た時に、これが本当に青色であるということを断言できる人はいない。グラデーションが存在するし、そもそも青色とは何かということが、地球が生まれた時に決まっていたわけではない。あくまで作られたものであり、かつ感じ方は人それぞれである。人間は社会性のある生き物であり、我々の意見や思考は数々の経験に基いて形成されているからだ。

“Impermanence”を意識して、意義のある人生を

 世界中にある全てのものは永遠に続くことはなく、移り変わっていく。カルマの説明でもあった様に、現世は過去の行いから影響を受けており、現世の行いが来世を決定づける。だからこそ、ソナム氏は我々に常に自分のモチベーションがどこから来ているのかを確認するようにと伝えてくれた。「自分がしたいから」、「お金持ちになりたいから」そういった動機ではなく、本当に誰かのためを想って生きているのか?そのモチベーションは一人よがりなものになっていないかだろうか?こういった問いかけを行うことで、意義ある人生をおくる最初のステップとなると教えてくれた。

 我々は、超域イノベーションの履修生として、私的利益を越えて社会で活躍していくことが求められている。ソナム氏から学んだように、人の幸せを素直に喜び、愛を持った行動(カルマ)をしていこうとする正のモチベーションを源泉として、“多くの課題を抱えるこの世界を変えていきたい”と決意を新たにすることができた。

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