授業名:超域イノベーション序論
担当教員:藤田 喜久雄(工学研究科)
檜垣 立哉(人間科学研究科)
三成 賢次(法学研究科)
小林 傳司(大阪大学理事・副学長)
Texted by 医学系研究科 2017年度生 長澤 史

■超域とは?大学とは?について考える

 超域イノベーション博士課程プログラム(以下超域)履修生としての生活を始めて1ヶ月が過ぎた時期に開講される『超域イノベーション序論』。本講義は4人の担当教員によって5回のオムニバス形式で展開されます。講義では、超域が誕生した背景や意義をはじめ、プログラムを通して何を学び、何を目指すのかについて、それぞれの教員が独自の観点から講義します。講義ごとに内容が大きく異なり、様々な視点からプログラムについて理解を深めることができるというのも、本講義の特徴の一つです。
 今回の授業レポートでは、各回で得た学びについて記します。

第1回:超域イノベーション博士課程プログラムとは何か?

(藤田先生)

 超域とは何か…このテーマについては、履修生選抜試験の際の個人的リサーチや、3月末に行われたオリエンテーション合宿を通して分かったつもりになっていたので、「またあの話を聴くのか…」と思っていました。

 しかし講義では、このプログラムがどのような時代的要請を受けて誕生したのかについて語られ、日本では博士号取得者が専門性を活かせる場が非常に限られていること、この課題を解決するために従来にはない強みをもった博士人材の育成が求められているということが、様々な情報をもとに示されました。もちろん、私が知らなかったことばかり。講義前の不遜な構えを恥じました。同時に、自分は大学の歴史における岐路に立っているのだと実感しました。さらに、そのような歴史の転換期に、超域履修生として特別な学習環境に恵まれたのだから、この環境と自分の専門性を活かして、新たな博士人材の在り方を社会に対して示すことが私たちに与えられたミッションだと感じました。

第2回:大学の歴史からみた超域イノベーションの試み1

(三成先生)

 三成先生の講義では、中世以降の大学の歴史を概観することにより、時代によって大学に求められる性質が大きく異なることを学びました。さらに、歴史的な出来事や技術の進歩が、大学や知識の伝播様式に影響を及ぼす過程や、社会における大学の役割の変遷について知ることができました。

 私が最も知的好奇心を刺激されたのは、三成先生の講義によって、それまで別々の事象として頭の中で整理されていた歴史上の出来事が次々に関連付けられていったことです。中学生の日本史の授業で、「歴史的出来事を様々な視点から分析することによって、その時代の特徴を捉える」という授業があり、とても面白く感じていたことを思い出しました。歴史的文脈の中での大学の位置づけについて理解するためには、各時代の社会の仕組みについても知識を持つ必要があることを実感しました。講義の中では、例えば、産業革命以降、聖職者やジェントルマンの育成機関として機能していた大学に化学や工学などの学問が参入するようになり、大学の持つ性格が大きく変容したことなどを知りました。

 私は、今まで世界史を詳細に勉強したことがないため、知識量も少なく、かつ断片的にしか理解できていませんが、これを機に、基本からじっくり勉強したいと思いました。歴史に学びながら、大学院生として現代に生きる自身の立ち位置を俯瞰的に認識することの大切さを噛み締めた時間でした。

第3回:大学の歴史からみた超域イノベーションの試み2

(小林先生)

 小林先生の講義では、大学と科学技術の関わり、日本の大学の工学部、理学部など科学技術系の学部の歴史について学びました。第1回の講義後、科学技術が学問の分野に組み込まれていく過程について興味を持ち、自身で調べていたため、スライドの1枚目に講義のテーマが示されたときは、自分の学びの方向性が的外れでなかったこと、そして、さらに学びを深めることができるということに喜びを感じました。

 科学技術は、産業革命以前は大学の外で発展してきましたが、産業革命を契機に『技能(テクネー)』が『技術(テクノロジー)』と呼ばれるようになります。technologyの接尾語である「-logy」が、特定の知識体系を表す言葉であることからも分かるように、この時代から、科学技術が学問として認識されるようになったのです。

 さらに、日本の大学の歴史がどのように形成されてきたのか、国際的な大学ランキングにおいて日本の大学の最近の順位が芳しくないのはなぜか、といったことにも話が及びました。ここでも、近年の大学に求められている性質が変化しつつあることを実感しました。これまでの大学は専門知の追求を使命とし、それで良しとしてきたようですが、これからは、独立している専門知を融合させ新たな知の体系を構築する方法や、さらにそこから社会の様々な問題や課題に対する解決策を積極的に提案していくことが、大学の新たな使命となることを学びました。

 とはいうものの、超域での活動が始まってから、同期の履修生と互いの専門分野について話す機会は多々ありますが、分野を隔てる壁は高いことを実感しています。専門知を融合させるためには自分の専門分野を相手に理解してもらうことが前提となりますが、その第一歩がなかなか難しいのです。超域生として活動しているからには、せめて同期生の研究内容については、一通り自分で説明できるくらいにまで理解を深めたいと思っています。また、専門知の涵養でさえ不十分である今の私には、新たな知の体系を構築するなどまだできそうにはありませんが、異分野の研究と自分の専門分野の共通項を見出そうとする姿勢は常に持ち続けたいです。

第4回:超域すること/イノベーションすることの哲学

(檜垣先生)

 この講義では、檜垣先生が圧倒的な『語り芸』を披露されました。語られた話題は、『競馬がいかに哲学的示唆に富んだものであるか』、『高齢者による事故の責任の所在はどこにあるのか』、『自動運転はなぜ普及しないのか』、『夕張市の経済破綻の原因は何であったのか』…など、非常に多岐に渡りました。一見すると共通性のない話題に思えますが、どこかの文脈で次の話題とリンクする箇所があり、その結節点を境に話題が展開していくのです。聴きながら、藤田先生が第1回の講義の中で、超域的視点を持つことの言い換えとして説明されていた、『物事の境界で思考する』とは、このようなことなのかもしれない、と思いました。檜垣先生は、異なる領域の物事を独自の観点でつなげ、新たな発想を見出されていると感じたからです。技術や理屈では表現しきれない、「ライブとしての語りのすごさ」を実感しました。

 檜垣先生は講義中、「超域すること」を主にモノローグで実現されていましたが、私たちは履修生同士の対話を通して、それが実現できるはずです。互いの専門分野の情報を提供し合うことで、新たな知見を得られることでしょう。最近読んだ『思考の整理学』(外山滋比古,1986)の中で、英文学者である著者は、同じ専門の者同士だと話が批判的になり新奇な発想が生まれにくい、異なる専門家が思ったことを自由に話し合う方が良い、といったことを述べています。実際に、著者は異分野の研究者である友人と定期的に会い、夜を徹して議論することを習慣としているそうです。他分野同士の交流が新しい思考を生み出すのであれば、超域で出会った仲間は非常に理想的です。知り合ってからまだ日が浅い私たちですが、様々なことを率直、かつ深く議論し合える仲間になりたいと思っています。

第5回:科学者として、社会が抱える課題にどう向き合うべきか

(小林先生・藤田先生)

 講義の冒頭では、小林先生によって、アカデミア科学者の行動の規範と、行うべき『CUDOS』が解説されました。CUDOSとはCommunalism(共同占有性)、Universalism(普遍性)、Disinterestedness(無私性・利害の超越)、Organized Skepticism(組織的懐疑主義)の頭文字をとったものです。また、日本では憲法23条において、学問の自由が保障されていること、1950年以降、日本学術会議は『戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明(声明)』を出しており、軍事研究を拒否していることが講義内で確認されました。一方で、第二次世界大戦以降、産業界の需要に応じて科学が発展するという状況が多く見受けられるようになり、CUDOSに代わる科学者の性質として、新たに『PLACE(Proprietary;所有的、Local;局所的、Authoritarian;権威主義的、Commissioned;請負的、受託・受注的、Expert;専門的)』が提唱されるようになります。

 以上のような事前情報を得たうえで、講義では、昨今の日本の学術界に議論を巻き起こしている『安全保障技術研究推進制度』について意見を交換しました。これは、2015年に防衛省が開始した制度で、防衛分野に応用可能な基礎研究に対し、研究資金を提供するというものです。履修生からは、「日本の大学は現在も実質的には軍事研究に携わっているのだから、このような制度が誕生しても問題ないと思う。」という肯定的な意見や、「相当額を科学研究費として提供するのと何が違うのか。研究分野が限定的であり、科学者のCUDOSが侵害されるのでは。」といった否定的な意見が出されました。なお、この制度の利用について、日本学術会議は「使用には慎重であるべき、抑制的に考えるべき」との意向を示しており、2017年3月に、過去の声明を継続する形で、軍事研究を否定する立場をとっています。科学者と政治の関わりについて考えさせられた時間でした。

 この講義で印象的だったのは、他の履修生から出た意見のレベルの高さです。私はこのテーマに関して、人前で述べるほどの意見を持っていませんでした。しかし数人の学生が非常に鋭い視点で持論を展開しているのを聴いて、彼らの知識の幅広さと議論を深める能力の高さに感心しました。自分の専門のことでなくとも根拠をもって持論が展開できるように、日ごろから社会の動向に敏感になることが必要だと感じました。

 以上が、各講義で得られた学びとその感想です。計5回の講義を通して、超域のプログラムについて様々な視点から理解を深め、超域の活動を通して私たちが目指すべきことについて、より明確にイメージできるようになりました。今後は、各履修生がそれぞれの立場から、「超域とは何か」と問い続けることになるかと思いますが、この講義で得られた学びはその時の思考の材料になることでしょう。超域の活動を通して様々なことに挑戦し、すばらしい「本論」を創造していきたいと思います。