授業名:デザイン思考
担当教員:木多道宏(工学研究科)
授業補佐:大杉卓三(未来戦略機構)
     小倉拓也(未来戦略機構)
Texted BY: 大阪大学大学院 医学系研究科 河内健吾(2016年度生)

人類は他の動物種には見られない特別な能力を備えている。それは高度に思考することである。過去から現在に至るまで私たちは考えることによって多くのアイデアを生み出してきた。私たちの生きる現代は先人たちが積み重ねてきた思考のおかげで便利で豊かな暮らしを実現できている。しかし、私たちの社会には未だに複雑な課題が山積みであるし、新たな価値をもつ多くのものが生まれる可能性を秘めている。ただこの複雑化した社会の中でやみくもにそれを見つけ出そうとすることは困難なことに思える。世の中にはいくつもの思考法が存在する。それぞれの思考法には一長一短があるが、適切な場面で適切な思考法を選択あるいは組み合わせて実行できる能力はこれからの複雑化した社会の中で新たな価値ある創造をする武器になりうる。
 本授業ではそれらの思考法の一つである「デザイン思考」を学んだ。この思考法の特徴は深い共感によってインサイト(潜在的ニーズ)を見出し、これを満たす新たなアイデアを、発想の発散と収束を繰り返すことによって見出すところにあると筆者は考える。本稿ではこの点も含めデザイン思考がどのようなメソッドなのかを紹介したい。

■授業内容

 本授業は全5回を5週間にわたって実施された。履修生はチームを作り、与えられたテーマに、デザイン思考を用いてアプローチした。ここではそれぞれのチームがどのような解決方法の提案を行ったかの詳細については触れず、デザイン思考の具体的な手法を紹介するにとどめたい。

 デザイン思考は次の5つのステップによって構成されている。

1. 共感
2. 問題定義
3. 創造
4. プロトタイプ
5. テスト

 特徴的なのは共感→問題定義→創造→プロトタイプ→テスト→共感→問題定義→…といったように5つのステップを何度も繰り返す点である。デザイン思考はアイデアの修正が前提とされ、失敗から学ぶことによってイノベイティブなアイデアを生み出す思考法だ。ここでは、失敗を恐れずに何度も思考を反復することが重要となる。2016年度の授業では、「キャンパスにおける食の体験を新しくデザインする」といったテーマが与えられ、4人ないし5人編成のチームで、デザイン思考を駆使し、この課題にアプローチした。授業の限られた時間の中では、残念ながら5つのステップを反復して行うことはできなかったが、実践したそれぞれのステップについて説明する。

— ステップ①:共感 —

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 まずは与えられたテーマに即した改善されるべき問題や課題を発見しなければならない。では、どのようにこの課題を発見すればよいのか。そのカギは、実際にその課題に直面しているユーザーが握っている。本授業では、このユーザーに深く共感することによって潜在的ニーズに到達することを試みた。具体的な方法として、大阪大学キャンパスの職員や学生に対するインタビューや観察を行った。また、自ら体験するということもユーザーに共感するための一つの方法である。
 しかし、ここでは特にインタビューと観察について実際にどのようなことに注意したかについて記しておく。インタビューと観察に際して、まずチーム内でどのような情報をどのように集めるべきかを確認しあった。例えば、何を/誰と/いつ/どこで/どのように、に加えて、好き/嫌い/なぜ、といったことを聞き出すための質問を考えるといった具合である。このとき注意しなくてはならないのは相手に共感するということが前提にあるということだ。先入観は持たず、自身の考えを押し付けるような質問や裏付けるための質問はしてはならない。観察に関してもユーザーの自然な行動・言動を捉えるように心がけることが必要だ。こうしてユーザーの状況を把握し、自らの想像からでも構わないのでユーザーの視点に立ち、同じ気持ちを感じとるよう努力した。

— ステップ②:問題定義 —

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 共感によって得られた知見はチーム内で共有し、情報を整理したのちに、ユーザーが抱える課題を明確にする。このステップでは、得られた情報からユーザーがしたいこと(ニーズ)と、ユーザーがニーズを満たすことによって果たしたい真の目的(インサイト)を一度書き出してみることで、課題を違った角度からとらえてみることが重要となる。しかし、この作業もユーザーの気持ちに寄り添って行わなければならない。そうでなければ、ここを起点にユーザーとの距離はどんどん離れていってしまう。
 そこでインタビューや観察によって得られた情報をもとにユーザーの発言・行動・考え・気持ちを共感マップに描き出した。さらに共感を高めるため様々なユーザーから得られた情報をもとに、課題を象徴する具体的な架空のユーザー(ペルソナ)を設定した。ペルソナは名前や年齢、住んでいるところ、職業、生い立ちに至るまで細かく設定する。これによって、ユーザーへの共感を大切にしながら課題をよりイメージしやすくなる。
 そして、このペルソナが課題に直面するものとしてユーザー・ニーズ・インサイトを描き出した。ここでいうユーザーとは、ペルソナがある特定の状況でどのようなユーザーとなるのかを描き出したものである。ニーズはユーザーがその状況でしたい/しなければならないと思ったこと、インサイトはなぜそうしたいと思ったのかということとして描出した。説明するよりも一度、具体例を出してみよう。

ペルソナ:
高岳 美衣子 (21歳) 工学部建築科学部3回生。彼氏はいない。彼氏が欲しいと思っているけど、自身が思っているより面食いなのかもしれない。工学部は男ばっかりで、もちろんかっこいい人はいるけれど、それよりもおしゃれにカフェでお茶でもしているところに理想の男性がやってこないかしらと日々妄想にふけっている。学業にバイト、サークルと忙しい日々を過ごしていて本当はご飯もゆっくり家で食べたいけれど、もはや手軽に寄れる学生食堂のヘビーユーザー。

ユーザー:
バイトの前に手早く晩御飯を済ませようと、最寄りの学生食堂で、食事をする女子大学生

ニーズ:
食事の時にはイヤホンをする必要がある

インサイト:
男子学生がうるさい、むさくるしい雰囲気を紛らわせたい

 いかがだろうか。随分と与えられたテーマに潜んでいた問題が明らかになったのではないだろうか。

— ステップ③:創造 —

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 次にステップ②で得られた着眼点や課題を踏まえて「どうすれば〇〇出来るか」(機会探索文)を考えた。例えば、どうすれば男子学生の多い食堂でも女子学生の居心地が良くなるか、どうすれば男子学生を減らすことができるか、どうすれば別の食堂に行きやすくなるか、といったように着眼点に様々な視点でアプローチを仕掛ける。
 考えた機会探索文はトピックとしてその抽象度によって分類し、整理した。この中からアイデアがたくさん出そうだ、あるいはユーザーの視点に立てていると言えるトピックを選択し、そのトピックに対するアイデアをブレインストーミングした。この時、大切なことはブレインストーミングを無邪気に楽しむことだ。思いつきでもいい。不可能そうでもいい。言葉にするのが難しければ絵に描いてもいい。メンバーの意見に乗っかってもいい。それぞれのアイデアを評価しないで次々とアイデアを出していくことに集中することが重要である。
 ある程度、アイデアが出揃ったら形になりそうか(実現性)、ユーザーが喜びそうか(有用性)、斬新でこれまでなかったものか(革新性)を基準にアイデアに投票し、評価の高いアイデアを選出した。投票するのはチームメンバー以外からでも良いだろう。こうして選択されたアイデアは更にふるいにかけられる。この時、アイデアに明確な意味付けがされており、アイデアの概念(コンセプト)がはっきりしていれば具体性が増してより魅力的になる。また、その後のやるべきこととやるべきでないこともはっきりし、無駄を省くことができるはずだ。そこで私たちはユーザーへの影響ともう一つ任意の基準(例えばアイデアが活かされる場所)で2軸を設け、コンセプトマップとしてアイデアをマッピングした。その中でいくつかのアイデアをコンセプトで分類した。これによってはっきりとコンセプトを持っているアイデアを選択していったのである。

— ステップ④:プロトタイプ —

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 アイデアが選択できたら、そのアイデアを具体的なものにして体験したり、感じたりして試す必要がある。しかし、いきなり本物を作ってしまうと失敗できない。デザイン思考で大切なことの一つは失敗から学ぶことであった。ということは何度も失敗できるようにアイデアを具現化しなければならない。
 そこで、プロトタイプを作成し、体験することに重点を置いてアイデアを簡単に具現化するのである。プロトタイプは身近にあるもので模型にしてみるのも良いし、スケッチにしてみるのも良いだろう。サービスをアイデアとして選んだならば空間を作ってみるのも手だ。私たちのチームの場合だと、手書きのポスターやおしゃれな椅子の絵をただの椅子に貼って女性専用スペースのある学生食堂を具現化した。確かに本物ではないが低コストでアイデアを具体化できればより多くのアイデアを試すことができるだろう。

— ステップ⑤:テスト —

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 プロトタイプができたら次はアイデアを体験してもらう。授業では、他のチームの学生に自分たちのチームのプロトタイプを体験してもらった。ここでもやはりユーザーとなってもらう学生に、「こうやって使ってください」、「こうするといいですよ」というような押し付けをせず自由にそのプロトタイプを体験してもらい、率直な意見をもらうことが重要だ。
 得られたユーザーからのフィードバックを元に自分たちのアイデアを改善した。実はこのテストは改善点を見つけるためだけでなく、自分たちのアイデアに対する思わぬ気づきを得る機会でもある。私たちのチームは女性専用スペースのある学生食堂をプロトタイプとしたわけであるが、このテストでわざわざ女性専用スペースに近づく男子学生が現れた。これによって良くも悪くも女性専用スペースを設けることによって、男性が女性に接触する機会ができることにも気づいたのである。
 先に述べたように、デザイン思考はこれら5つのシンプルなステップを繰り返すことによってアイデアを洗練させていく。だが、ステップ①へと戻る前にアイデアをより多くの目に触れさせることでチームメンバーのやる気を高めることや、方向性を確認することができる。また、チーム外の組織構成員(会社なら社員など)の理解を得る良い機会にもなる。
 そこで、さらにステップ⑤でストーリーテリングというものを行う。実際にどのように行うかというとアイデアによってユーザーの日常がどのように変わるのかをストーリーにし表現するのである。方法は様々であるがアイデアを表現したモックアップ(イメージ画など)や紹介ビデオなどといった方法が考えられる。本授業では演劇によってストーリーを表現した。簡単に紹介すると、毎日仕方なく、男子学生が多くむさ苦しい学生食堂にご飯を食べにいく女子学生がおしゃれな女性専用スペースができたのをきっかけに毎日学生食堂にいくのが楽しみになったというような演劇を行なった。

 以上がデザイン思考法の流れである。本稿を執筆しながら、全体を概観してみて、改めてよくできた思考法だと感じる。始めに述べたように、ユーザーへの共感からアイデアの発散・収束、アイデアのユーザーへの還元を繰り返すことは闇雲にするのではなく、しかし大胆に新たなアイデアを発見するための斬新な思考法である。この思考法が万能なわけではもちろんないが、複雑でどこにどんなアイデアが潜んでいるかが掴みにくくなった現在において、有効な思考ツールとして役立つのは明白なのではないだろうか。
 実際に本授業でデザイン思考を利用してみると、多彩なアイデアが生まれてくることが分かった。また、それだけではなくそれらのアイデアを利用するユーザーに深く共感し、具体的に利用するイメージを持つための作業が組み込まれていることで、革新性を維持しつつ、現実に求められているアイデアを選択しやすく感じた。デザイン思考を使いこなすにはこの思考法を何度も繰り返し利用し、訓練を重ねる必要がある。しかしこの思考法のコツが掴めたならば、無駄なく的確に相手の欲しいものを創造する力になるだろう。