Interviewee: 工学研究科 白瀧 浩志 (超域2014年度生)
Texted by: 経済学研究科 劉 テイ (超域2014年度生)

■緻密な有機化合物の合成を目指して

 地球上の全ての物質は元素を構成要素として成り立っている。中でも、炭素は私たちの身の周りのモノにも多く含まれており、なくてはならない元素の1つだ。この炭素を含む化合物は有機化合物と呼ばれ、これを研究対象とする分野を有機化学と呼んでいる。

 有機化合物は無数に存在しており、炭素の数や構造が異なれば全く違う性質を示す。例えば、お酒として飲んでいるアルコールの炭素数を1つ少なくしてしまえば、劇物に指定されている物質になるし、構造を少し変えてしまえば、医薬品だったものが毒物になってしまう。そのため、この分野における大きな重要なテーマの1つは、どうやって目的の有機化合物を精密につくるか?ということである。しかも、単に合成出来れば良い訳ではなく、より安く、環境に優しく、容易に合成できる方法を開発することが望まれている。白瀧さんの所属する研究グループもこのような研究に取り組んでおり、なかでも金属の力を借りて、目的の有機化合物を合成する方法の開発をおこなっている。

■特徴的な元素「フッ素」を含む有機化合物をつくる

 白瀧さんは目的の有機化合物として、フッ素を含む有機化合物を設定し、その合成法の開発に取り組んでいる。「フッ素で虫歯を予防できる」このようなキャッチフレーズを聞いたことがある人は少なくないだろう。実際、フッ素を含む有機化合物は医薬品や液晶などの機能性材料に幅広く利用され、重要な化合物群として注目を浴びている。しかし、従来までの合成法はフッ素原子を有機化合物に導入するために高価な試薬を使用する必要があったり、導入するまでに多くの手間や廃棄物が生じてしまったりといった問題点があった。

 そこで、白瀧さんが所属する研究グループでは、あらかじめフッ素を有しており、工業的に利用されている化合物を原料に用いて、他の含フッ素有機化合物へと変換するアプローチでの研究を行っている。なかでも、白瀧さんはテトラフルオロエチレンと呼ばれる安価で環境負荷の小さいフッ素を含む化合物を変換し、様々な含フッ素有機化合物を合成することに成功している。テトラフルオロエチレンはフライパンのコーティング剤にも用いられているテフロンの原料として大量に製造されており、オゾン層破壊係数や地球温暖化係数も低い、環境負荷の小さい化合物だそうだ。

■たった1つの化学反応を生み出すために

 白瀧さんが実際に開発した化学反応は図1に示している。「この研究に2年も費やしたんだけど、研究成果を説明するときは基本的に1つの化学式で書けちゃうんだよね。2年間が一つにまとまるって面白いでしょ」と笑う。彼が開発した反応は、触媒と呼ばれる少量のニッケル(Ni)存在下、テトラフルオロエチレン(A)と工業的に利用されているエチレン(B)とアルデヒド(C)という3つの出発原料を用いて、含フッ素化合物(ABC)を合成する反応である。

 この生成物ABCは今まで世界で誰も合成したことが無い化合物だそうだ。「それ自体に価値があることではないけれど…やっぱり誰も合成したことの無いモノって気付いた時はやっぱりちょっと嬉しかったかな。」と話してくれた。また、この生成物ABC は原料に含まれる全ての元素が組み込まれている。つまり、全く廃棄物を出さないクリーンな反応であるということを示している。多くの化学反応がなんらかの廃棄物を伴うため、このような反応は珍しく、化学者の美的感覚的に美しい反応だと感じるそうだ。そして、彼の研究でもっとも面白いポイントはその選択性にあるという。「この反応は3つの原料を使っているから、生成物ABBやCCといった色々な副生成物が生じてしまう可能性がある。でもそれを上手く制御して、目的の生成物ABCだけを上手く合成できている。」と話してくれた。白瀧さんは、この選択性を達成するために、触媒や反応温度など様々な条件を地道に検討していったそうだ。さらに、白瀧さんは反応途中で生成する非常に不安定な化学種を捕捉する緻密な実験により、反応メカニズムの一部を解明することにも成功したそうだ。

図1 白瀧さんの2年間の研究成果

■化学実験に向き合って

 白瀧さんは、「僕らの実験では、発がん性の試薬や爆発性の試薬を扱うなんて日常茶飯事。」という。普段の研究では私たちがイメージするような白衣を着ることは無いそうだが、保護メガネの着用が義務付けられていることからも、安全に研究を進めるには高度な知識とテクニックが必要なことが推測できる。「実験では100回検討しても良い結果が得られるのは1回あるかないかくらい。その結果を見逃さないことが重要だし、教科書に載っている事象とは違う結果が得られたときに、なんでや!?面白い!!と思う気持ちが化学者には必要なのだと思う」と話してくれた。白瀧さんは今後も、化学を通して様々な物質の最も基礎的な元素を操りながら、今までにない化学反応を見つけていきたいと教えてくれた。

■俯瞰的な視野から課題を再定義すること

 白瀧さんは超域に入って学んだことは数え切れないものの、中でも俯瞰的な視野で問題を再定義することの重要性に気付く事ができたと教えてくれた。たとえば、白瀧さんが修士1年生の時に受講した「超域・未来学」では、放射線被爆量の安全基準について議論する機会が設けられた。福島第一原発事故後に、放射線の被爆安全基準は従来よりも高い基準へと変更されたことは記憶に新しいだろう。つまり、被災者多くは住み慣れた地域での生活を希望しているが、不確定要素が多い安全基準のままで本当に良いのか考えようという議題だ。

 この議論において、白瀧さんを含めた多くの理工学系の学生が「どのように生物学的に正しい安全基準を設けることが出来るのだろうか?」という視点から議題に取り組んでいたのに対し、人文系の学生は「なぜ不確定要素の多い安全基準が問題なのか?」という問い自体に対する洞察を行っていた。このようなやりとりを繰り返す内に、被災者が本当に求めていた事は生物学的に安全な基準では無く、被爆の危険性がある場所を正確に認識する事であると気付いたそうだ。このように課題の本質を問い、課題を再定義した結果、解決不可能だと思われた課題に対して被災者が閲覧でき、被災者自身も更新できる放射線安全マップを作成するという提案にまで結び付けることが出来たそうだ。

 「このように課題自体を見つめ直し、本当に求められていることを深く考え抜くことは自分自身も足りていなかった部分だったし、理工系の人間全体で向上させていかなければならない視点だと思う。それに早い時期で気づけたことはラッキーだった。」と話してくれた。また、白瀧さんは理工系の強みは実現可能性を高めることだと感じているという。この部分は白瀧さんが専門研究を通して得た汎用的な力ではないだろうか。

■研究成果を実社会に還元できるシステムを

 自然界の不変的な摂理を理解し、利用し、化学的視点から新しい物質を作り出すことは白瀧さんが学術的に目指していることであろう。しかし、白瀧さんは自分の研究で得られた成果は実社会でどのように使えるのか?と常に考えていたそうだ。優秀な科学者が多くの時間を割き、莫大な投資のもとで生み出された研究成果のうち、一体、どれだけが実社会にまで還元されているのだろうと。実際、調べてみると生み出された研究成果の多くは社会で利用されることなく埋もれてしまっていると感じたそうだ。

 高度で複雑な社会問題、停滞する経済活動。このような世界的な課題に直面する今、科学技術を駆使したイノベーションは必要不可欠だ。白瀧さんは、優れた研究成果が埋もれることなくイノベーションが持続的に起きるシステム(イノベーション・エコシステム)の構築に将来携わっていきたいと語ってくれた。

「経過は己が為に、結果は他が為に」

 これは白瀧さんが大切にしている言葉だそうだ。志を高く持ち、常に周りのために努力を惜しまずに成長する白瀧さんに今後も期待したい。