Texted BY: 大阪大学大学院 人間科学研究科 渡辺 健太郎(2016年度生)
引率教員:山﨑吾郎(COデザインセンター)
大谷洋介(未来戦略機構)
渕上ゆかり(未来戦略機構)

— はじめに —

 2017年1月7日から10日にかけて、超域生の有志が屋久島実習に参加した。屋久島実習とは、カリキュラムや授業とは別に設定された課外活動で、屋久島をフィールドとした課題発見型の実習である。通常のカリキュラムにおいて、私たち超域生は、多様なステークホルダーを擁する課題へのアプローチを、「知識として」学んでいる。この実習の狙いは、そんな彼らを、学年もバラバラに実際の現場に送り込むことで、課題を発見してもらおうというところにある。
 この記事では、私が屋久島実習で知り得たことを、可能な限り広く共有したいと考えている。一般に、屋久島というと、「鹿児島の南側に浮かぶ、世界自然遺産に登録された観光地としての島」というイメージだろうか。今回は、そうした「観光地としての屋久島」という、「シンプル」なイメージで語られる島の複雑な側面についてとりあげる。特に、野生動物による農業被害、すなわち「獣害」に焦点を絞って、話を進めてみたい。


— DAY1 —

 年も明けた2017年1月7日、屋久島実習が始まった。伊丹空港から1時間半、屋久島に降り立った私たちは、電気柵の見学へ向かった。電気柵は、「観光地としての屋久島」に暮らす普通の人々の生活と、野生動物との境界をあらわしている。屋久島で農業被害をもたらす動物は主にシカ、サル、ヒヨドリの3種類である。電気柵は、触れると電気が流れる仕組みになっており、これらの動物による農作物への被害を防いでいる。また、電気柵は農作地の所有者によって設置されているが、成長した木々の枝葉が触れるだけでショートを起こすという問題がある。


維持・管理の難しい電気柵は、一部地域においてのみ設置されている。


— DAY2 —

 2日目は、屋久島の生態系の保全活動に携わっている方とディスカッションを行った。テーマは多岐にわたったが、そのうち重要と思われたのはシカの問題である。先ほども少しだけ触れたが、屋久島ではシカによる農作物被害が報告されている。そのため、行政のバックアップのもと、捕獲による個体数の調整が行われている。


農業被害をもたらす動物の捕獲に対しては報奨金が支払われる。

 しかし、シカの個体数を推定するための調査によれば、シカの数は減っていないという。そのため、ディスカッションの中では、そうした農業被害をもたらす存在としてのシカにどのように対処しなければならないかという観点から議論が交わされた。


— DAY3 —

 3日目は、地元の観光ガイドの方の案内のもと、白谷雲水峡を散策した。2日目までは、人里における人間と動物のかかわりをテーマとしていたので、今度は森をフィールドとして人間と動物のかかわりを見つめなおそうというのが狙いである。白谷雲水峡に入って数分、さっそくサルが出迎えてくれた。


まだ観光客寄りの立場の私たちの目には、ただ「可愛い」存在として映る。

 このサルをきっかけに、さまざまな動物を目にすることができるのではないかと期待していた私たちであったが、実際には彼ら以外に動物を目にすることはなかった。特にシカに関しては、2日目の話も受け、さぞたくさんいるのだろうと予想していたのだが、ガイドの方によると、白谷雲水峡のシカはここ数年でいなくなってしまったとのこと。そして、その原因はまだ分からないという。


シカの頭蓋骨。欠けているのは、シカが食べたからかもしれないとのこと。

 白谷雲水峡を登り進めていく途中で、ガイドの方から興味深い話を聞くことができた。それは、白谷雲水峡という森林地帯が必ずしも「手付かずの自然」ではなく、むしろ人の手が入った自然だからこその良さがあるというものだ。
  白谷雲水峡には、たしかに一見すると「手付かずの自然」のような景色が数多く見られる。しかし、「手付かずの自然」へのアクセス自体、江戸時代に先人たちが整備した岩の足場によって可能になっているという側面がある。屋久杉はかつて薩摩藩への税として納められており、貴重な資源であった。その資源の獲得のために人々が自然に分け入った過去の遺産が、今日の「手付かずの自然」観光の一端を支えているというのは意外な話だ。


先人たちの道をゆく。

 屋久島といったとき真っ先に思い出される屋久杉についても、江戸時代に切り株となった屋久杉が土台となって木々が成長しているものがあるという。そして、それらが今日の「手付かずの自然」観光の対象となるというのは興味深い。


江戸時代に切り株となった屋久杉。新たな木々の成長の足場となっている。


— DAY4 —

 4日目は、再びフィールドを人里に戻して、獣害の問題について住民の方にお話を伺った。この方からは、屋久島におけるシカの問題について、2日目にお会いした方とは、対照的な立場からお話をしていただいた。ここで対照的と思われたのは、屋久島におけるシカの問題に対するそもそもアプローチの仕方である。2日目にお会いした方のお話では、シカの個体数をいかに管理するかという点が問題として挙げられていた。一方で、4日目にお話を伺った方は、「何のための個体数の管理なのか」ということを問題とされていた。特に興味深かったのは、住民が求めていることと、行政が実際に行っていることには乖離があるという指摘だ。住民が求めているのは農作物被害への対策であるにもかかわらず、行政は希少植物の保護を目的として、山間部でのシカの捕獲にも力を入れているという。また、他地域の例において、大量捕獲の後には個体数のリバウンドが見られるため、「捕れば減るという理論」の妥当性についても疑問を付していた。
 シカの捕獲は獣害対策をめぐるポリティクスの帰結なのだといえるだろう。そのポリティクスの周辺で、獣害被害の当事者たちと、捕獲対象としてのシカは対峙することになる。


西部林道で観察されたシカ。

 インタビューを終えた私たちは、世界自然遺産に指定されている地域である西部林道へ向かったのち、屋久島を発った。西部林道では数多くのシカやサルを目にすることができた。しかし、私たちの目には、彼らは単に「可愛い」存在としてではなく、人々を翻弄し、翻弄される存在として映った。

■ 「シンプル」な島の抱える「複雑さ」

 正直なところ、この記事だけでは屋久島の、屋久島に住む当事者たちの抱える問題の複雑さを伝えきれるとは思っていない。これまで触れたこと以外にも、屋久杉の伐採と海洋資源の関係や、屋久杉という資源を保有する「周辺」としての屋久島の立場など、私たちのもつ「シンプル」な屋久島のイメージには含まれない「複雑さ」がある。この記事では、その「複雑さ」のひとつとして、特に獣害の問題を取り上げた。
 ただし、これらの「複雑さ」にはある程度共通しているものがあると考えられる。それは、屋久島の内部における「複雑さ」の問題群であるにも関わらず、屋久島の外部との関係、すなわちより広いシステム論的な視座から捉えられるべき問題群であるという点だ。
 この意味で、今の屋久島に必要なのは、屋久島という島内部のシステムの問題を、屋久島外部のシステムとのかかわりの中で説明できる人材だろう。ある問題に関して対立が生じるとすれば、それはそもそもなぜ生じているのか、外部構造的に説明できれば、対立する当事者に「第三の道」を提示することができる可能性がある。
 しかし、「複雑さ」の問題群が政治から経済、科学、環境への広がりを持っているために、「万能人(homo universalis)」の人材モデルを想定することは、特にこの現代においては無理がある。この意味で、求められるのは、島の内部の問題を外部システムとのかかわりの中で説明することを可能にする「専門家たちのネットワーク」であり、また、それを構築できる人材なのかもしれない。
 蛇足になるかもしれないが、そうした活動こそ、超域的だといえるだろう。ここでいう「超域」とは、さまざまなステークホルダーが複雑に相互作用する社会において、なんらかの価値の保存あるいは創出ため、専門分野や業界の域を超えて行われる協働として位置づけられる。例えば、私の専門である計量社会意識論では、価値意識の分布がジェンダーや世代、学歴などによってどう異なるかが研究されている。これは、ステークホルダー間の合意形成の基礎資料となるものの、それだけでは「複雑さ」の問題群に立ち向かうことはできない。なぜなら、それらの問題群をシステムとして理解していなければ、ステークホルダー間の価値意識の対立をうまく掬い取れるような質問項目の設計はできないし、データから何らかのアウトプットを出すことができたとしても、それが産業構造や環境にとってどのようにクリティカルな意味を持ちうるのかは、明らかとならないためだ。
 やや長くなったが、つまるところ、苔むすほどの歴史や自然に象徴される「シンプル」なイメージの屋久島には、政治から環境まで、多くの領域とステークホルダーを擁する「複雑さ」の問題群があるという点で、極めて今日的な課題を抱える島だったのである。