TEXT BY 橋本 奈保
研究科:国際公共政策研究科
専攻:比較公共政策
専門分野:多文化共生、自治体、市民社会、地域における多様性と共生に関する公共政策

はじめに

掃除をするために窓を開ける。シャワーを浴びる。ご飯を食べて、水を飲む。子どもたちを外で遊ばせる。学校に送り出す—こうした日常が、ある日突然、混乱のままに日常ではなくなって、当たり前が当たり前でなくなる。心のどこかに常に不安な気持ちを抱えながらも人生は続く。あのときこうしていれば、後悔や不安やいろんなものを抱えながら生きる。福島では、こうした生活を目の当たりにしました。

福島訪問のきっかけ

6月に超域プログラムの授業でエネルギー政策について議論し、原発事故に関しても話し合いました。そうした話し合いの中で、福島に行ってもいないのにセカンドハンドの情報のみで原発に関して議論してもよいのだろうかという迷いがありました。そのため、「実際に自分の目で見て、耳で聞いて原発について考えられるようになりたい」という想いが強くなったことも福島訪問のきっかけとなりました。

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訪問で学んだこと

2012年9月、私は福島県を訪れました。超域アクティビティの一環として三田先生と超域生の井上君と3人でたくさんの人にお話を伺うためです。福島空港に降り立ったとき私は、福島県の現状に関する情報といえば、テレビのニュースや新聞に載っている程度しかわからない、そんな状態でした。旅が終わるころに何を学び、どういった意識をもっているのかまだ知る由もなく、福島に生きる人はどのような想いを抱えて生きているのか、放射線量は大丈夫なのか、そんなことを考え旅がスタートしました。
4日間の滞在中私たちは途中川内村や飯館村に立ち寄りながら、郡山市、いわき市、福島市、二本松市に滞在し、多くの人に出会い、お話を伺いました。まず、福島で感じたのは、一見、通常の日常が戻っているということです。街を歩いている人にマスクをしている人は見かけられず、駅前ではお店がいつものように開いている。しかし、人々からお話を詳しく伺い、福島に住んでいる方の日常をより深く知ると、一見普通の日常の陰に、未だに原発事故による生活への影響があることを強烈に思い知らされます。
例えば、郡山市で地元の方に案内していただいたスーパーマーケットでは、食物の放射線量検査に関する情報が載っているパネルが置いてあり、放射性物質による汚染への懸念を思い出させられるし、福島県産の食品が地元を応援しようということで置いてあるコーナーでは、他の産地よりも低価格の野菜などが陳列されています。福島市で訪れた街中のビルの中には、放射線物質による内部被ばくを計測できるフルボディカウンターが設置されているし、市役所や公民館、集会場などにはその地点の放射線量を計測し大きく表示している電光掲示板付きの巨大線量計が置いてあります。その他にも、福島新聞には、市町村ごとの線量が毎日掲載されています。このように、原発事故による影響は目に見える形で福島に生きる人々の生活のいたるところに表れていました。
また、目に見える部分だけでなく、目に見えない部分でも原発事故の影響があることもより詳しくお話を伺う中でわかってきました。そしてその目に見えない影響は福島に生きることを非常に困難にしていると感じました。特に、放射線に対する意識や不安感が人によって異なること、そうした違いが、家族やコミュニティにおける分断を生んでいることは、インタビューに答えてくださった方々みなさんのお話から見えてきました。例えば、放射線量が基準値よりも低いと言われている地域では、放射線量について心配している人は、心配が薄れつつある人に対して不安感を打ち明けることができず、疎外感を抱いて生活しています。特に子どもたちへの影響を心配しているお母さんたちは、例えば、風の強い日など屋外での運動を子どもに控えさせたいとしても、学校での特別扱いはできないという理由で他の子ども同様に参加させなければならないといったことがあると伺いました。こうした中、不安と罪悪感に辛い日々を過ごしているお母さんたちも多いようです。このような不安を、「がんばろうとしている風潮を乱すから」や、「他の人の不安を煽るから」といった理由から受け付けない風潮もあるようです。福島大学でお話を伺った先生はこれを「同調圧力」という言葉で表現されていました。近所で、学校で、大学で、この同調圧力によって不安な気持ちを打ち明けられずに苦しんでいる人がいる。今後私たちはこうした状況をどう変えていくのか、不安を抱えながら苦しんでいる人をどのように支援してくのか、社会の在り方を考え、変えていく必要があると感じていました。

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最後に

この旅を終えて、公共政策の在り方、行政の在り方、コミュニティの在り方、人々の生活について…などに関する多くの新しい視点を得ることができました。私たちは今後のエネルギー政策に、福島に生きる人々の経験を反映していかなければならないと思います。そして何より、同じ社会に生きる私たちは大きな不安を抱えながら生きる人々がいることを知り、気持ちを少しでも理解し、軽減できるような流れを社会全体として作っていかなければならない、そうしたことのできる社会にしていかなければいけない、と強く感じました。福島でお話を伺った方の一人に、福島以外に住んでいる私たちに伝えたいことはありますか、と質問をなげかけてみました。「もう福島で起きたことを繰り返さないでほしい。」そうおっしゃいました。私たちは、こうした声をしっかりと聞き、福島での現状をきちんと理解したうえで、一人一人が責任を持って未来に向けた決断をしていかなければならないと強く思いました。
福島に関するニュースは、主要メディアでは時がたつにつれ制度や政策に関する話題が多くを占めるようになり、人々の声が聞こえる機会が少なくなってきました。それは決して、福島に住む人々の苦難が終わったことを意味するわけではなく、今でも多くの方が苦しんでいらっしゃることを私たちは知らなければなりません。福島での教訓を決して無駄にすることなく、よりよい社会を作っていく一員として私たちは責任ある決断を下していかなければならないと考えています。
そして末筆になりましたが、この度の訪問で、初めてお会いした私たちに、現在の生活の現状を伝えてくださり、そしてきっと思い出すことも苦痛であるはずの原発事故について、その後の生活について教えてくださった方々に、この場を借りて感謝の気持ちを記したいと思います。