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TEXT BY 佐々木 周作
研究科:国際公共政策研究科
専攻:比較公共政策専攻
専門分野:オンライン寄付行動の実証分析

超域の活動を通して各方面に広がったご縁から、12年度生 数名が自主的活動として、NPO法人グリーンバレーの大南信也さんを訪ねに、ICTを活かした地域づくりで注目を集めている『徳島県神山町』を今夏 訪問致しました。


  徳島県神山町という地名を初めて聞いたのは、2011年の春頃だったと思う。個人的にちょうど前の職場を辞め、大学院に戻ることを考えていた時期だった。特徴的な地域づくりが行われており、クリエイターやデザイナー、アーティストが神山町に移り住んでいるという話を聞いた。勤務地であった関東から、地元の関西に戻ることを計画していたこともあって、果して自分も神山町に移り住むことができるだろうかと想像してみたが、おそらく無理だと結論づけた。いわゆる大企業で営業経験だけを持っている我が身では、地方に移り住み、主体的にモノを生み出し、地域経済に貢献することは難しいだろう。ただ、これを契機に、神山町という地名をその後も意識するようになった。また、都市や地方を問わず、どんな場所でも通用する能力とは何かということを考えるようになった。

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  ご縁が繋がり、2013年8月20日、21日の2日間、神山町に訪問できることになった。日本マイクロソフト社の樋口社長へのインタビューでお世話になった竹内美奈子さんが、神山町の地域づくりで中心的な役割を果しておられるNPO法人グリーンバレーの大南信也さんとお知り合いで、我々が訪問したがっているという意向をお伝えくださったからだ。こちらからの参加者は、国際公共政策研究科の永野満大、人間科学研究科の松村悠子、情報科学研究科の丹羽佑介、そして私、国際公共政策研究科の佐々木周作である。私自身が神山町を知るきっかけは先の段落に述べたが、研究やキャリア観など各自の関心領域から、神山町という名前は既にそれぞれのアンテナに引っかかっていた。

  最近では、神山町の取組みはとても有名になっていて、「高速インターネットが整えられ、ICTを活かした地域づくり」「東京のIT企業が現地にサテライトオフィスを構えている」などの謳い文句と共に、メディアで紹介される機会も多い。「ICT」「サテライトオフィス」というキーワードや、テレビ番組でも紹介された、近くの川原で足を水に浸しながら、パソコンを持ち出して外で仕事をするというイメージ図から、非常に現代的でスマートな地域づくりを想像していた。しかしその中身は、「人」という最もシンプルな資源に依拠した、とても実直なものだった。

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  大南さん自身、神山町のご出身で、現在も神山町に住んでおられる。20年以上前から神山町の地域づくりに関わり、1997年頃に同世代の方々とブレインストーミングを通して考案したアイデアたちが、長い期間を経て結実し、現在の神山町を形作っているとのことだった。大南さん自身が持つ、戦略策定や関係構築の巧みさなど、成功の要因はいくつもあるだろう。だが最も印象深く、そして大事なことだと感じられたのは、大南さんら核となる方々が神山町にしっかり軸を置いているということだった。これは、神山町の将来を誰かに預けるのでなく、自分たちが作るんだという姿勢が明確であることを意味している。だから、10数年前に考案された地域づくりのアイデアがアイデアのままで終わらず、大南さんたちがキチンと担い手となり、今日まで進めて来られたのだろう。

  この姿勢は、神山町への移住希望者にも同じように求められている。過疎化し、人口が減少しているからといって、誰でも移住してきて欲しいとは思っていない。むしろ、この人は神山町に良い影響を本当にもたらしてくれるだろうか、という目線で見ている。神山町を訪れると、豊かな環境から、色々なアイデアが溢れ出てくる。こんなことをしたら、あんなことをしたら面白いのではないか。しかし、単純な勢いから移住した自分を想像してみても、果して自分がそのアイデアの担い手になれるのだろうかということを考えさせられてしまう。大南さんと同じように神山町に軸を置いて、アイデアの実現にちゃんと携わることができるのかと。神山町に移住しているクリエイターやデザイナー、アーティストたちは、能力的にも、心構え的にも、それができる人たちなのだろう。アーティストは神山町に住みながら、山中に芸術作品をつくることができる。建築家は空き家になっていた古民家を改築することができる。パン職人は古民家を借り、神山町でパン屋を開くことができる。では、私たちはどこに軸を置き、何を作るのだろうか。神山町を訪問して、その地域づくりの実態に感動すると同時に、ある種の厳しさも実感させられた。しかし、軸の置き方や置き場所をキチンと選択できれば、神山町との関わり方はもっともっと面白くなるだろうという予感も持つことができた。

  神山町の凄さは、そのようなちょっと肝の座った人たちや、自分の軸がしっかりと定まった、ちょっと大人な人たちが集まっているところ、そしてその輪が急速に広まっているところにあると思う。今回、竹内さんを始め様々な方のご厚意に預かり、その輪に加わらせてもらえたのは本当に有難かった。大南さんはお忙しい身でありながら、自ら車を運転し、神山町を案内してくださった。夜には、商店街の一角で呉服店を営まれる岩丸さん宅に招待していただき、地元の食材を使った料理と共にお酒を酌み交わしながら、色々なお話を聞かせてくださった。次回訪れる時には、こちらから何か神山町に働きかける形でご恩を返したい。 ka

【感想】

永野 満大(国際公共政策研究科):
神山の町を歩いている最中に、ふと「原っぱ」という言葉を思い出しました。この「原っぱ」という言葉は、建築家の青木淳さんが著書の中で用いたもので、そこで行われるコトにより中身が作られていく空間を意味します。神山は、快適なネット環境を除けば日本のどこにでもあるような過疎の町ですが、多くの働き手や企業家が自分のやりたいことを、いわばその「原っぱ」で行う遊びのアイデアを持って集まってきます。また驚きだったのは、大南さんら地元の人々自身が、将来の神山があるべき姿を決め、主体的に移住者を選んでいることでした。いるだけでワクワクしてくるような雰囲気が、そこにはありました。
松村 悠子(人間科学研究科):
私は研究対象地として日本の離島を扱っているため、神山町のような中山間地域の抱える課題は研究テーマに近く、大変興味深かったです。今回の訪問を経て、離島地域や中山間地域においてこそICTが広げる可能性は大きいという考えが確信に変わりました。特に神山町では、外部からのIターンだけでなく現地採用が存在している点、技術者が地域に入ることで次世代へICTの知識が波及している点において、地域への貢献度が高いと感じました。また、今回実際に足を運んでみて、みなさんの朗らかで魅力的な人柄が印象的でした。神山町に魅力を感じ、神山町の「環境」や「人」にも魅せられて、仲間になりたいと思った人が集っていく。人と人との交流を尊重した丁寧な取り組みこそが、神山町の独自性と成長の秘訣なのではないかと感じました。
丹羽 佑介(情報科学研究科):
神山町では現在以上の発展ではなく、創造的過疎ということを目指している事が印象的でした。それは、全てを受け入れることはせず、選択することも大切だと考えることです。例えば、全ての人に神山町に来てほしいとは思っておらず、本当に共感する人にだけ訪問して欲しいと考えているようでした。一方で、これまでの超域プログラムでの活動では自身の価値観を広げることばかりに重きを置いてきたように思います。どちらの方向も大切であると思いますが、今回のように選択することを決断し実際に成功している姿を見ることができたことは、非常に有意義な体験でした。