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TEXT BY 村上 裕美
研究科:経済学研究科
専攻:経済学専攻
専門分野:一般均衡理論(数理経済学)

Mana or Money あるいは文化と商品

 南太平洋ポリネシアの15の島々からなるクック諸島は、ニュージーランドと自由連合の関係にあり、観光が主要産業である。またクック諸島で生まれた人々の多くは、出稼ぎという形でニュージーランドやオーストラリアに移住している。私たちはまず、そうした人々の生活を知るため、オークランドに滞在した。クック諸島やタヒチ、サモア島などの太平洋諸島出身の方々で賑わう市場(Otara MarketおよびMangere Market)を訪れた際に出会った言葉が、“Mana or Money”である。Manaという概念を上手く説明することは難しいが、差し当たり「太平洋諸島で古くから信じられている、森羅万象をつなぐ神秘的な力」と書いておく。社会の資本主義化に伴って、Moneyが、人とモノそして人と人とを結びつけていたManaに取って代わり、人々の生活から大事なものが失われつつある、という文脈でこの言葉は述べられた。こうした批判は国や地域を問わず現代社会の至るところで聞かれるものである。Manaとは何だろうか。ManaとMoneyはどこまでも対立し、そのどちらか一方を選ぶしかないのだろうか。
  オークランドからクック諸島に移動してからも、私は“Mana or Money”という言葉を何度も思い出すこととなった。今回のフィールドスタディにおいて、この言葉を通じて考えたのは「文化の商品化」という問題である。ここで言う商品とは、com-mod-ity〈共通の様式を持ったもの〉であり、規格化された大量生産品をイメージして頂きたい。例えばラロトンガ島でのハイランドツアーでは、遺跡(およびそこでの祭祀)の保持のために観光客の需要が高いダンスショーで資金を確保している、といったお話を伺った。遺跡の文化の保存のために、踊りの文化を商品化している、という構図である。この場合のManaとはいったい何で、どこに宿っているのだろうか。
 クック諸島での主な滞在地であったマンガイア島では、約一週間のホームステイを行った。ホストマザーにManaについてお話を伺ってみると、意外なことにそれは昔の考え方で、今の時代はそうした考え方はしない、とのお返事がかえってきた。これはあくまで私のホームステイ先の方々との会話で、島民の方すべてにManaについてお話をお聞きできた訳ではないが、島民のほとんどの方がキリスト教を信仰しておられるという事情が、大きく影響していると考えられる(上で述べたハイランドツアーを案内してくださった現地の方もキリスト教徒であり、クック諸島の伝統文化を先祖代々受け継いで来られたのではない、という点を補足しておく。ツアーで再現される伝統文化はクック諸島を訪れたヨーロッパ人が書き残した記録などを元に復元されたものであり、ご説明中、カニバリズムを引き合いに出しつつ、現在のキリスト教に根ざした生活を称揚するような場面もあった)。ここではもはやManaというものは存在しないのだろうか。この会話によって、私はManaというものが何であるのかますます分からなくなってしまった。
 マンガイア島での毎日は、海で夕食に食べる貝を採ったり、洞窟でご先祖さまの骨を触らせて頂いたりと、筆舌に尽くしがたい新鮮な驚きに満ちていた。とりわけホストマザーには大変お世話になり、日常生活のあらゆる側面で様々にお気遣い頂いた。ホームステイ一日目の夕方、貝を採りに出かけたときのことである。私が外に行く用意をしていると、マザーが娘さんのお古というゴム製のマリンシューズを探して持ってきて下さった。私がマンガイアへ持参した靴は、ビーチサンダルとスニーカーの二種類だったのだが、「岩だらけの浜を歩くには、ビーチサンダルはあまりに軽装で、運動靴だとすぐに乾かないから」ということだった。そのマリンシューズはマンガイア島滞在中たいへん重宝し、今は自宅の靴箱に大事にしまってある。ステイ中の万事がこの調子で、最後の日には、花を摘むところからすべて手作りでご用意下さったエイ(花輪)をかけて頂き、マンガイア島を後にした。
 マリンシューズとエイこの二つのものを並べたとき、事情を知らない他の方の目には、前者はありふれた大量生産品で、後者はクック諸島ならではの特別な価値あるものに映るかもしれない。しかし、私にとってはどちらも掛けがえのない意味を持つ、大切なものである。ここまで何度も書き直し、考え込みながらこの報告を書いてきたが、マリンシューズとエイの二つを一緒に考えることで、Manaという言葉にほんの少しだけ近づけたように思う。“Mana or Money”という語を投げかけた方が、オタラ・マーケットで購入した貝細工の商品、本来は特別な意味を持つはずの文様が一様に刻まれ規格化されたもの、を手にして戸惑う私たちに、次のように語ったことを思い出す。「でも、日本に帰った後も、あなたはそれを見て、市場のこと、この旅のこと、私たちのことを思い出すでしょう?それがマナということなのよ。」