Activity Reports超域履修生による、ユニークで挑戦的な活動のレポート。

超×超域人
超×超域人 Vol.3
―社会人経験と大学院と超域―【前編】 ―

2021/2/24

インタビュイー:2017年度生 今村 都(経済学研究科)・2018年度生 藤本 森峰(工学研究科)・2020年度生 齊前 裕一郎(医学系研究科)
インタビュアー・記事編集:2018年度生 岡田 茉弓(言語文化研究科)
記事編集・写真撮影:2019年度生 森川 勇大(人間科学研究科)

 

大阪大学超域イノベーション博士課程プログラムの教員や履修生にインタビューする「超×超域人」!今回は7期生の岡田茉弓が、経済学研究科博士後期課程2年の今村都さん、工学研究科博士後期課程1年の藤本森峰さん、医学系研究科博士前期課程1年の齊前裕一郎さんにインタビューを行いました。3者の共通点は、「社会人経験があること」。順調にキャリアを重ねていた3名が大学院に来た理由、社会人経験があるからこその情熱など、海外の人材業界、モノづくり、医療分野で活躍する彼らの語る職業観、研究観は一味違います!

ファーストキャリアまでの学習歴

岡田 ファーストキャリア前の学生時代、皆さんは何をしていましたか?

今村 私は大阪大学外国語学部でタイ語を勉強していました。その時はタイ文化とタイ語にどっぷり漬かった生活でしたね。

藤本 私は奈良工業高等専門学校でロボットを作っていました。専門は機械と回路とプログラムで、研究がロボット関係です。

今村 ロボコン(アイデア対決・全国高等専門学校ロボットコンテスト)などにも出場されていたんですか?

藤本 そうですね。ロボコンやっていました。高専2年生と高専3年生の時、全国大会で賞を貰うところまで行きました。でも、先輩がすごかったんです。一応、賞はもらいましたが、先輩がロボットのアイデアを出して、私はそれを作っていただけです。自分が4年生のときに出られてなかった時点で、私はエリートじゃないんですよ。技術と発想力が物を言う世界です。

齊前 僕は看護師になるための専門学校に行っていました。看護師になろうと思った理由は、雇用問題が常に存在する現代において、看護師は常に需要があるので食いっぱぐれることもないかな、と考えていたからです。あと、高齢の方とお話しするのが好きだったのもあります。なるべく早く、その職に就いたほうがいいかなと思ったので、専門学校に進みました。

ファーストキャリアから大学院進学までの職歴

岡田 皆さん、無事に卒業されてからは、どんな職に就かれましたか?

今村 私、新卒では機械メーカーに入って、海外向けのロジスティクス(物流において生産地から消費地までの全体最適化を目指すこと)やアジア向けの営業を担当していたんです。でも仕事をするうちに、やっぱりタイに行きたいなと思って。それで転職して、日本の人材会社がタイで子会社を立ち上げる際の現地派遣スタッフとして、立ち上げに関する業務に取り組みました。

藤本 私は、基本的には関西のメーカーで物を作っていました。1社目が工場に入れる装置を作っている会社で、ソフトを書いたり、電気系の設計をしたりしました。2社目は大阪の町工場で、工場のとある工程の自動化みたいなのをやっていました。あと、社長の突然の思い付きを形にするという最重要業務?もありました(笑)。そんな中、フロリダまでスペースシャトルの打ち上げを見に行ったんです。それで地元の人としゃべっていたら、「おまえ学生?何しているの?」と雑談の中で言われて。その時、ふと「私は一体、何をしているのかな」って悩んで。ちゃんとエンジニアだって胸張って言いたいなと思って、転職しました。そして就職した京都の会社では、大きな会社から注文を受けて設計をしたり、図面描いたりするっていうことをしていました。ザ・エンジニアですね。

岡田 じゃあ、自分にとっては納得のいく転職だったんですか?

藤本 うん、間違いないです。

齊前 僕は、9年間看護師として働いていました。病院勤務1年目が慢性期病院1、2年目に急性期病院2 へ行って、3年目にどっちの病院に行くか選択するという就業コースで入りました。結果的には急性期病院に残ったので、2年目以降の8年間は急性期病院 にいました。
8年間の内訳としては、最初の2年間が脳神経外科病棟で、脳梗塞、くも膜下出血、脳腫瘍という頭の癌などの病気を診ている病棟でした。次の3年間は救命救急センター。三次救急3 を取っている病院だったので、事故や事件、例えば刺されただとか、飛び降りだとか、そういった緊急性の高い患者の方を診ていました。残りの3年間は退院支援という、退院後も障害を持ちながら生活しなければいけない患者さんに対して、患者さんに合った退院指導や在宅サービスをどのように届けるかを検討し、退院を支援するというポジションに付いていました。

 

病院で看護師として活躍していたころの齊前さん。写真は対象患者の担当ケアマネジャーに連絡している様子

大学院進学のきっかけ

岡田 大学院進学のきっかけを教えてください。

齊前 大学院進学のきっかけは、救命救急センターでの経験だと思います。急性期病院での最初の勤務が脳神経外科だったのですが、どうしても脳神経外科では頭しか診ないんです。けど、ある日、夜勤のときに巡回していたら、下血 4をしている患者さんがいらっしゃって。急いで先生を呼んで対応したのですが、結果、その方は亡くなられました。その時に、やっぱり全身管理できないといけないなと思って、それで救命救急センターに行くことを決めました。救命救急センターでは、10代とか20代の子が、本当に不幸な事故に巻き込まれて亡くなっていくところを沢山目にします。その時に僕が感じたのが、「人はやっぱりいつ死ぬか分からない」ということ。病院で働き始めて6年目の時、これからの人生どう生きていこうかと考えたんです。そうしたら「毎日楽しく生きたい」、そのうえで「いつ死ぬか分からないから、もし明日死んだとしても満足できたって思えるようになりたい」と思いました。満足できる生き方を考える中で、選択肢として、看護師のキャリアである専門看護師や診療看護師を目指すことを考えました。しかし、研究という職種のほうが、研究結果によって、より多くの患者さんを助けることができるのではと考えて、大学院に行って研究に携わろうと思いました。大卒の資格はフルタイムで働きながら、通信大学で取りました。

岡田 具体的に大学院での研究はどんなことをされているんですか?

齊前 今、高齢化社会で、なおかつ平均寿命が伸びているという社会状況があります。平均寿命が延びた結果、認知症などの慢性疾患を複数抱えた高齢者がすごく多いんです。人間の体は言ってみれば消耗品です。治療してもやっぱり何かしら傷は残っていて、それは慢性疾患や既往歴として残っていくんです。既往歴が積み重なった結果、別の病気でたった1回入院しただけで障害が残ってしまい、家に帰れなくなった方も沢山います。昔であれば家族が自宅で介護をしてくれたんですけど、核家族化が進んでいる現状では家族がケアできず、介護付きの病院・病棟に転院になってしまうというパターンが多いんです。このような状況を受けて厚生労働省は、「地域包括ケアシステム」という高齢者が最期まで住み慣れた地域で過ごすことができる仕組みの整備を進めています。僕はその仕組みにおける、急性期病院での取り組み状況を評価する研究をしています。
急性期病院を調査対象にしている理由は、2016年から入退院支援加算(入退院支援を実施することを評価するもの)が急性期病院で稼働し、退院支援が推進されるという大きな転機があったからです。退院支援が本格化した2016年の前後を比較しようと思っています。今後の研究の方向性として、退院支援を受けている患者さんにより深く関わっていく介入研究を行っていくというビジョンも考えています。今はまだ、以前働いていた病院で観察研究としてデータ収集を進めているっていう感じです。

岡田 勤めていた時の人脈が、今の研究に役に立っているんですね。

齊前 そうですね。病院からデータを頂くって結構、ハードルが高いのですが、僕がずっと勤めていた病院の上司の方が、僕の研究内容に理解を示して応援してくれているおかげですね。

インタビュイーのお二方(左が今村さん、右が齊前さん)

 

岡田 今村さんは、どうして大学院に来られたのですか。

今村 私はもともと、大学院に行きたいっていう思いはあったんです。ただ、学部卒業のときに取り組みたい研究テーマがなかったことと、仕事としてタイに関わりたいっていう思いもあって、一回、就職したんです。転職してタイで働くことができて、仕事でタイに関わるっていう目標を達成できた時、次は何をやりたいかなと。そこで、大学院に行きたいっていう想いが、ぶり返してきたんです。

岡田 どういうタイミングで、大学院進学への想いがぶり返してこられたんですか?

今村 時期としては、タイに駐在して2年ぐらい働いた時ですね。研究テーマが見つかったっていうのが大きかったです。タイの人たちと一緒に働いて、労働観や異文化間のコミュニケーションに関する研究をしたいっていう目的が見つかったので。思い返すと研究テーマを探しに行っていたようなところもあったかもしれないですね。

岡田 藤本君は、自分が働きたい職場に就職することができたのに、どうして大学院に行こうと思ったんですか。

藤本 いろいろあるんですけど。私、もともと文系脳なんです。古文や漢字が好きで、学ランのポケットに漢字辞書と工具一式が忍んでいる中学生でした。ロボコンを知らなかったら普通に高校に進学して、多分、親に反対されながらも「大学では古文やりたい」、「文学部行きたい」、みたいなことを言っていたと思うんです。でも僕は、ロボコンがやりたいっていうだけで高専に行って、そこですごい先輩たちに出会って、先輩たちに能力的にはかなわないという状況と、自分がいかに甘い考えを持っていたのかという両方で叩きのめされたんです。その結果として、高専の2年生、3年生ぐらいの時、自分は高専にそのまま在学するよりも大学に行こうと思ったんです。高専においてはイレギュラーなキャリアパスになるんですけど。
ただ、5年生の段階で自分の手先が人より器用だと思えるようになって、これで仕事はできると考えて、高専を卒業後に就職しました。その後、学位とか特に気にせずに仕事をして、仕事自体も順調でした。でも働く中で、例えば「もっとこの製品を良くするための技術はある」という状態でも、「お客さんはこれ以上の資金は出せない」とか、経済的な点がネックになって最適な成果が出せない場面に何度も遭遇して。2015年に、それを解決するために大学院を卒業したいと考えて、実行したという感じです。だから実は、研究がしたくて大学院にいるわけではないっていう大前提が私にはあるんです。

岡田 藤本君の現在の研究内容を教えてください。

藤本 私がやっているのは繊維強化複合材料5 という、繊維の束に樹脂を含浸させた材料の研究です。例えば自転車のフレームって金属が多いんですが、値段が高いものになると、FRP 6、CFRP 7などの炭素でできた繊維強化複合材料を使ったフレームがあり、フレームの強度が非常に高いですし、軽いんです。でも自転車のフレームって、走っていたら振動するじゃないですか。その結果として傷ついたり曲がったりしたとき、金属のフレームだと修理できるんですけど、炭素繊維のフレームだと基本的には捨ててしまうんですよ。なぜなら、内部でどうなっているか分からないから。でもCFRPのフレームでも、内部の状態がどうなっているのかが分かったら修理する方法が見つかるかもしれない。そこでフレーム自体を壊さずに内部がどうなっているのか知るために、まずFRPの基本構造に着目してその基本的特性を解析し、コンピューター上で再現してその状態を確認するという研究をしています。現在は、特に疲労(物体に一定以上の力を繰り返し与え続けると強度が低下する現象)状態にある物体の内部で何が起こっているのかを、コンピューター上で再現して確認するということをやっています。

大学院進学に対する不安

 

超域で発表する今村さん

 

岡田 大学院進学したいと思った時に、金銭的な不安は特になかったんですか?

今村 私は、あまりなかったです。一応お金は貯めていましたが、そもそもあまり先のことを心配しない性格なのかもしれません(笑)。

齊前 藤本さんが2015年にキャリアプランを立てられたみたいに、僕も2016年の4月頃にキャリアプランを考え始めて。僕は基本的に、すぐ行動するというよりは、用意周到にすることを考えちゃうタイプなんです。日々考えて、自分がしたいことを優先しようっていう結論に至るまで、半年ぐらいかかりましたね。自分は何がしたいか、社会から何が求められているか、いろいろ考えた上で大学院進学の決断を下したのが2016年の秋です。キャリアプランを考え始めてからずっと、いつか来る決断・実行の時に備えて貯金していました。また、看護師って本業務以外のアルバイトでも時給が結構良かったのもありますね。金銭的には準備をしていたので、今は不安もなく大学院に通えています。

藤本 私は、十分な収入があったうえで、生活コストっていうのは極限まで抑えるべきだと思っている人間なんです。生きるためのお金っていうのは基本的には払わない。その結果、お金は、貯まりました。私は生きるだけじゃなくて、生きて何かを実現する、アウトプットしていくことが大事だという観点で動いています。

齊前 自己投資に時間とお金をかけると。

藤本 そうですね。なので、お金はすごく貯めていました。両親が、少なくとも大学卒ぐらいまでのお金は出してくれると言ってくれていた上に、父親が修士卒だったので「博士前期課程までの学費やったら出したる」、ということも言われていたんで。ですので、大学院進学を決めた時点では金銭的な不安は全然なくて。博士後期課程のお金は自分の貯金で出したらいいやろ、って思っていました。貯めていたお金で投資とかもしていたので、定期的なキャピタルゲインがあることも大きかったですね。

大学院進学に対する周囲の反応

岡田 大学院に進学すると決めた際、周囲からの反応はどうでしたか?

今村 私は結構、周りが協力的で。私は、自分で進学を決めてから周囲に伝えたので、反応とかそんなに気にしてはいませんでした。でも、自分がタイにいる時に出願をしなくちゃいけなかったので、結構、家族には助けてもらいました。また、会社には大学院入試を考えているので辞めますと伝えたのですが、入試が9月ぐらいなので「仕事は辞めずに一時帰国にして、入試が終わってから、4月の入学までもう少し働けば」と上司が言ってくれましたね。結局、戻る直前に、退職届を提出して帰国しましたが。

岡田 受験前に辞職されていますが、会社に籍を置いたまま受験することもできたんじゃないですか?試験に落ちたとしても、仕事があったら帰る場所があるじゃないですか。

今村 確かに。そこまで考えてなかったです。受かるかなって(笑)

藤本 かっこいい!

齊前 家族の反応は「本当?」みたいな感じでした。親も高卒でしたので、「あんた、大学院行くの?」みたいな。でも驚きながらも「したいようにしたらいい」っていうスタンスでいてくれて、比較的、協力的でした。しかし、病院関係の知り合いとかには「なんでなん?」って言われるのが目に見えているので、めんどくさかったので言わなかったです。やっぱり人と違うことをすると、色々と言ってくる人、多いじゃないですか。そういうのがめんどくさいので、基本的に近しい人にだけ言いました。彼らは僕のことをよく分かってくれているので、全員応援してくれました。

岡田 病院内には大学院に進学する人が多そうなので、むしろ協力的かなと思っていました。

齊前 そうですね。女性が9割を占める看護師って、結婚・出産などのタイミングで辞めて、そういったライフイベントの関係で看護師に戻ることができない人が多いんです。だから、看護師は常に不足している状態なので、上司からは止められましたね。やっぱり男性看護師は全体の1割程度しかいませんし、女性に比べると辞めることがなかなかないので、師長などのリーダー的な役職に就けやすいんです。なおかつ、上司としては専門看護師の道に進んでほしかったみたいで、「お金出すから看護系大学院に行ってきてくれへん?」って言ってくれたぐらいです。目をかけていただけるのはとてもありがたいことでしたが、上司には自分のビジョンをしっかり伝えて、最終的にはちゃんと合意を得ることができました。

藤本 研究のフィールドとして以前勤めていた病院を選び、元同僚とかもおられるような所で調査をしているわけですよね。研究として関わる中で改めて関係性を構築することになると思うのですが、苦心されませんでしたか。

齊前 やっぱり、これまでの僕を知ってくれているので、別に何も苦労はなかったです。普通に、研究として課題に取り組んでいることをプラスに捉えてくれていると思います。

岡田 藤本君は止められたりとかしました?

藤本 大学院進学を考え始めた時に、一緒に仕事をした協力会社の高専の先輩と、大手の電機メーカーに勤めて、定年後、中小企業の補佐をしている人と3人で仕事帰りにご飯食べる機会があったんです。その時に大学院進学の話をしたら、「進学したらええねん」って、2人にポンと言われました。「そんなの、いくらでも進学する人いるし」とアッサリ言われて。そうなんかと思って、会社の人には何も言わずに願書を出して、取締役に昼休み、「すいません、ちょっと進学しようと思うんで、願書を出してきちゃいました」とかって言ったら、「それはどういうこと?」「いや、専攻科8行って 、ちょっと大学院行こうかなって思って」って言ったら、ドン引きされた、みたいなのはありましたね。その上で、「これから責任あるポジションになってもらう時期やったんやけど、応援しようか」、みたいな感じで、最後は抵抗なく。今でも毎年、元職場には遊びに行くんですよ。
親に関しては、「ええんちゃう」、みたいな。特に父親は勝ち誇ったかのように、「ほれ見たことか」って言いましたね。「高専本科出ただけで十分やと思っとった、おまえのもくろみは間違っとんねん」、みたいな。そういう意味では、幸運な人間関係やったのかなと思います。

大学院進学によって築いたキャリアを失う不安はなかったのか?

岡田 皆さんキャリアアップの時期だったと思うんですが、そのタイミングでの大学院進学という点では悩まれませんでしたか?

齊前 そうですね。僕は、就職して6年目(救急センター)の時に大学院進学を決めたのですが、その時、師長や、その手前のポジションへの昇進の声は掛かっていたんです。ですが、管理者として看護師を取りまとめることが、僕の目にはあまり魅力的に映らなかった。やはり管理者になると、患者さんへの直接的なケアがあまりできないんです。

岡田 藤本君も同じように、管理者となることに積極的でなかったのですか?

藤本 うん。新卒の子や後輩とかがやるより、自分がやったほうが早いという考え方だったので。だから、自分は指示を出して、他人に動いてもらうのが、あまり好きじゃなかった。会社の中でのポジションアップにも、全然興味がなかった。

岡田 今村さんは、やっと立ち上げた会社が動き出したところだったと思いますが、離れるという決断に抵抗はありました?

今村 私はもともと、タイが好きという思いで働いていたので、そこでバリバリにキャリアを積みたいという、発想はあまりなかった。私の中では、タイ研究のステップを着実に上っているっていう感じでしたね。

インタビュー風景

 

(注)
 1 慢性期病院:全身状態は安定しているものの、まだ退院して自宅に戻れるまで状態ではなく、継続的な治療は必要なため、長期の入院加療をするための病院のこと。
    2 急性期病院:病気を発症し急激に健康が失われ不健康となった状態の患者を診る病院のこと。
    3 三次救急:一次救急や二次救急では対応できないような、重症・重篤患者に対する医療。一次救急とは、入院の必要がなく帰宅可能な軽症患者に対して行う救急医療で、二次救急は、24時間体制で救急患者を受け入れ救急のことである。
 4 下血:種々の疾患により消化管内に出た血液が肛門から出ること。
 5 繊維強化複合材料:2つの異なる素材を一体的に組み合わせて特性を高めた材料のことで、代表的なものとして繊維強化プラスチック、炭素繊維強化プラスチックが挙げられる。
 6  FRP:繊維強化プラスチックのこと。一般的な繊維強化複合材料。特徴として、軽量で硬く強い、成型、穴あけ等の加工も比較的容易なことが挙げられる。
 7 CFRP:炭素繊維で強化された繊維強化プラスチックのこと。高い強度と軽さを併せ持つ。
 8 専攻科:高専は本科5年間の後に2年の専攻科があり、修了すると学士の学位相当が授与される。

 

 

【引き続き後編をお楽しみください!】