Activity Reports超域履修生による、ユニークで挑戦的な活動のレポート。

活動レポート
履修生主導型企画 ロシア海外研修<7>
ロシアというリアルに触れて——旅の回想はミネルヴァの梟

2017/6/1

【個人総括告】 常盤成紀 法学研究科

 

外部からのあらゆる影響力の内、もっとも微妙で、
しかももっとも広範に浸透してくる力は、
ステレオタイプのレパートリーを作り、それを維持するような力である。
われわれは自分で見るより前に外界について教えられる。
経験する前にほとんどの物事を想像する。
そして教育によってはっきりと自覚させられない限り、
こうしてできた先入観が知覚の全過程を支配する。

—ウォルター・リップマン『世論』1922年—

 

西には西だけの正しさがあるという
東には東の正しさがあるという
なにも知らないのはさすらう者ばかり
日ごと夜ごと変わる風向きにまどうだけ
風に追われて消えかける歌を僕は聞く
風をくぐって僕は応える

—中島みゆき『旅人のうた』1995年—

■ はじめに

本稿は、筆者が短いロシア滞在の中で見聞したいくつかの事柄について、考え、整理したエッセイである。旅人は、歩きながら感じ、座りながら考える。筆者も、旅人の一として、いまこれをしたためながら、見てきたことに思いをはせている。

ロシアという国は、私たちにとって、他の国々と同じくらいか、あるいはそれ以上に「イメージ」が先行する国である。そのことは大きく分けて二つのレヴェルで危うさをはらんでいる。第一に、それは、私たちの描く世界の構図を著しく偏らせてしまう可能性があることである。私たちは、今となってはさすがに、正義のアメリカと悪のロシアというハリウッド映画のような構図を妄信しないとしても、ロシアに対して「開かれた社会とその敵」(ポパー)という印象を、心のどこかで持っているのではないだろうか。それはどこまで妥当なのか、妥当なのだとすれば、どういう意味で妥当なのであろうか。これを問うことなしに、先のイメージでもってロシアを眺めてしまうならば、そこから得られる示唆は本当に限られたものになってしまうだろう。第二に、より一般的な論点として、見るべき対象の現在や過去をややもすれば捏造してしまう可能性があるということである。それは、ロシアに即していえば、「ソヴィエト時代がよかった」という一人のロシア人の発言だけを抜き取って、「ロシア人はソヴィエト時代に戻りたがっている」と見定めようとしたり、スターリン時代の恐怖政治の印象があまりに強すぎるがために、十月革命とその後のソヴィエトの趨勢を、全体主義に邁進する道のりという風に描いたりする指向である。「人間は自分の見たいものしか見えない」という言葉はカエサルのものといわれているが、自分の描く像を投影するようなものの見方は、観察や分析にとって敵ですらある。

本稿はすでに断ったようにエッセイであり、内容はいくぶんか浅薄である。そうであっても、いま述べたようなことを自戒しながら、見聞きしてきたことを語っていきたい。その中で少しでも、皆様に面白いと思っていただけるものがあれば幸いである。

■ ソヴィエトへの郷愁—— アナトーリ氏の語り

ロシア大統領ウラディミル・プーチンの名言とされる言葉の中に、「ソ連が恋しくない者には心がない。ソ連に戻りたい者には脳がない」というものがある。現在のロシアは、政治弾圧や経済停滞という悲惨な歴史を持つソヴィエト時代と比べて政治的にも経済的にも環境を改善させている。そうした発展を手にしながらも、今は昔、社会主義革命の名の下に、人間の解放という高邁な目標を掲げ、アメリカと対等に渡り合ったかつての超大国ソヴィエトへ誇りとノスタルジー抱かざるをえないというのが、多くのロシア人にとってのいつわらざる気持ちだろう。筆者たちの通訳ガイド、アナトーリ氏も、そうした思いを持つロシア人の一人だった。彼は一言、ソヴィエトの頃のほうが良かった、といい切った。彼によれば、たしかにソヴィエト時代は今よりも貧しかったが、今ほど失業者は多くなかった。教育格差も小さく、今よりもずっと平等な社会だったという。

また、ソヴィエトへの郷愁は至る所で見られる。モスクワの街を歩けば、ソヴィエト時代の建造物がたくさん残っており、かつての遺物を集めた博物館の前にはレーニンの像が立っている。そのレーニンの遺体は保存処理がされた状態で残されており、私たちは今でもレーニンに会いに行くことができる。地下鉄の駅舎に飾られたモニュメントや、航空会社アエロフロートのロゴマークには、鎌(農業を表す)と槌(工業を表す)をかたどったソヴィエトのシンボルが見られた。

こういったソヴィエトに対する(複雑な)思いは、ロシア人ではない筆者からすれば想像するよりほかない。ただ、プーチン大統領が語るように、「ソ連に戻りたい者には脳がない」のであって、積極的な過去への回帰を志向しているのではなく、むしろ、現状の社会や世界構図に対する不満の表れと受け止めることができるかもしれない。マキャヴェッリもいうように、過去を賞賛したくなる気持ちは、現在をあまりにも知りすぎていることから来ていることが多い(『ディスコルシ』1531年)。アナトーリ氏は、さきほどの経済格差、教育格差に加えて、アメリカのロシアに対する態度にも不満を持っていた。彼によれば、冷戦終了のとき、アメリカはソ連を「裏切った」。ソ連はワルシャワ条約機構を解体したが、アメリカはNATO(北大西洋条約機構)を解体するどころか、現在もなお勢力を維持し続けている。また、アメリカはロシアのクリミア政策を批判するが、ロシアのクリミア併合はクリミア市民の意向にかなったものである。翻って、アメリカがメキシコに対して行っている行為は不問に付されるというのか。これは非常にアンフェアである。そもそもロシア人は戦争をもっとも嫌う。ロシア人は他国との戦いなど望んでいない。

こういった見解は、いくつかのフィルタがかかったものなのかもしれない。ロシア文学者の川崎浹氏は、ロシア人中高年層には、「ソ連共産党が解党した後でも、自分の中の共産主義を処理しきれずに屈折した心理を持つ人」が多いという(『ロシアのユーモア』1999年)。そうでなくとも、アナトーリ氏は、当然のことながらロシアの中で手に入る情報を中心にして、その考え方を構成している。一般的に情報統制がなされているであろうロシアにおいて、ロシア人たちがある意味で偏った考え方をしているとしても、私たちは驚くに値しないと思うだろう。

だがそれは、私たちもまた、ある意味でフィルタのかかった社会の中で生きているという事実を、ややもすれば忘却してしまう。アナトーリ氏の発言を聞いて、ああ正しいことを聞かされていないのだな、と思うことは、アメリカ的であり、日本的な発想である。仮に私たちの方が彼らより幅広い情報にアクセスすることができたとしても、それは私たちの見解が普遍性、妥当性を持つことを意味するものではない。彼らがいわゆる「ロシアの論理」で物事を眺めているように、私たちもまた、「日本の論理」で物事を眺めているのである。ここにおいて、私たちは、〈「論理」の中で形成された本音〉というものが存在することの意義を考えなくてはならないだろう。アナトーリ氏の見解は抽象的な虚妄虚言などではなく、彼らなりのバックグランドに立脚した、立派な一つのリアルなのである。

もっとも、アナトーリ氏をはじめとするロシア人が振り返る社会主義は美化されており、実際には方法論的に失敗したことは、周知の事実である。だがそれは社会主義社会だけではなく、私たちが生きてきた自由主義・資本主義社会にも起こっている事実である。多くの国家においてリベラリズムが限界を迎えて「修正資本主義」的、あるいは(北欧のような)「社会民主主義」的になったことと、社会主義的計画が限界を迎えて市場経済を導入したこととを比べることは、黒に白を混ぜた灰色と、白に黒を混ぜた灰色とを比べているようなものである。

ロシア社会がどの方向を向いているのか、それはロシアの専門家ではない筆者が推察するすべはない。人によれば、現在のロシアの政治態度からして、プーチン大統領はロシアを、ソヴィエトやロシア帝国のような、アメリカに対峙しうる超大国としてのポジションにもっていきたいと考えているのではないかともいわれている。だが、そのような政治的野心は別として、プーチン大統領は純粋に、さまざまな困難を抱えるロシアのかじ取りを行っていくうえで、結果として現在の政治態度を取らざるを得なくなっているのではないか、とも想像できる。ソヴィエト時代の低成長という負の遺産を抱えながら出発した現在のロシアは、エネルギー産業以外でほとんど強みのない、いわゆる「持たざる国」である。彼らにとって、一方にある、国際連合の常任理事国という大国にして、ヨーロッパの一員であるという威信と、他方にある後発性(そこには官僚の汚職も含まれる)、「持たざる国」という事実とのギャップがもたらすコンフリクトは過酷であろう。政治学者(ロシア政治)の塩川伸明氏は、前者のようなポジションを持つがゆえに、ロシアは東アジアで主に出現した「開発独裁」(フィリピンのマルコス政権、インドネシアのスハルト政権、韓国の朴正煕政権など)とは一線を画すと述べているが(『ソ連とは何だったか』1994年)、それでもそのような状況に置かれている国家が権威主義的(そして帝国主義的)な性格を垣間見せることに、さして驚きはない。  また、翻ってわが国を例にとれば、安倍晋三政権の安全保障政策について、安倍首相の真意がどこにあるかは問わないとしても、フランスをはじめとするいくつかの国々から、それが軍事拡張主義的であるといった厳しい評価が下されていることは事実である。これは、海外からの評価は、国内の論理とは独立したところにあることを示している。それは妥当であることも、不当であることもある。私たちがロシアやプーチン政治に対して感じることとロシアの抱えるリアルとの間にも、似たような構造があるのではないだろうか。

■ 選択

現地で出会ったロシア人たちは、「社会主義は私たちの選択だった」と述べていた。彼らにとって十月革命とは社会的選択であったのであり、歴史家・外交官のE. H. カーもまた、「意図をもって計画され遂行された、歴史上最初の大革命であった」と述べている(『ロシア革命の考察』1969年)。1917年当時のロシア人エリートは、政治的、経済的困難の中でマルクス主義に希望を見出し、「人類の解放」を目標に掲げて、自覚をもって王朝を転覆させた。それは、フランス革命や明治維新のような、「せまい状況のなかの偶発事」(渓内謙)などではなかった。その目標は、イギリスやフランスのような、一部のブルジョアの権利拡大を目指したものではなく、一塊の労働者の生活向上までが目指されていた。彼らの壮大な「計画」はここに始まったのである。

だが、話の顛末は現代を生きる私たちがよく知っている。レーニン主義の解釈をめぐるソ連共産党内の攻防の末に出現したいわゆるスターリン体制は、コルホース政策で多くの犠牲を払いながら一定の経済的安定を図り、またその裏で大量の粛清を行うことで政治的安定を図った。スターリン亡き後も政治的、経済的低迷は続き、結果として、市場経済の導入、連邦の解体によって、その大いなる「計画」の歴史は幕を閉じた。

政治社会はあらゆる場面で「選択」を迫られる。一つは混乱し、低迷したときであり、一つは新しくスタートを切ったときである。企業がその事業の始めにミッション・ステイトメントを定めるように、政治社会もまた、契機と呼ばれる時期にグランドデザイン、いわゆるマニフェストを設定することになる—— ちなみに歴史家エリック・ホブズボームはこんな風に言っている。ホブズボームにとって「マニフェスト」と「ミッション・ステイトメント」は違うものであって、前者は、『共産党宣言』のように、政治社会全体を主語に置いた、政治社会が選ぶべき道を提示する「宣言」である一方、後者は、喫茶店チェーンなどが「よい一日を」といったコンセプトを掲げるように、政治社会全体とは関係のない、その意味でごく私的な言葉である(『破断の時代』2013年)。

ところで、筆者が一年前に訪れたブータンもまた、まさに「選択」を行った国家のうちの一つであった。世界があらゆる意味で低迷する中でブータンは、いわゆる欧米流の物質至上主義と決別し、環境保護政策、医療・教育の無償化、共同体の紐帯の尊重と、それに根差した民主主義への参画を通して、「国民総幸福度 GNH」の向上をそのマニフェストとして掲げた。その「選択」は非常に画期的であった。現在のブータンは、明治初期の日本と似ており、ブータンでは、エリート階層が習得したヨーロッパの思想や知識と、ブータンの伝統をどう調和させることで理想的な発展を望むことができるかが問われている。(詳しくは2015年度のフィールドスタディ報告書に所収されている拙稿を参照されたい)。

こうした、かつて壮大な「計画」を選択し、一定の結論を得た国家(ロシア)と、今まさに「選択」のさなかにある国家(ブータン)とを見る中で、わが国はどのような方向を向いていけばよいのだろうか。

その示唆は、先にあげた二つの国のマニフェストから得られるかもしれない。いわゆる欧米は、自然をコントロールしようとし、それと対置される人間個人の自由と効用を最大化しようとした。それは経済発展、技術革新という恩恵と共に、経済格差と環境破壊、共同体意識の衰退という負の側面ももたらした。これに対して、まずソヴィエト・ロシアは、あまねく個人の尊厳を確保するために、搾取機構である「国家」と対峙し、社会を「計画」でコントロールすることで「人間の解放」を目指した。またブータンは、自然ではなく個人の内面を宗教的倫理感によってコントロールすることで、自分たちにとっての幸福を探し求める決断をした。両者の間には百年の差があるが、それぞれ、いわゆる欧米を中心に発達した科学主義、個人主義から導かれる自由主義、資本主義、物質至上主義から距離を取る「選択」をしたのである。この中で、わが国はどのような「選択」をすればいいのだろうか。もちろん、他国の方針をそのまままねれば済む話ではない。かつて明治初期の知識人が格闘したように、他国の教訓と、わが国の特性をベストミックスさせるべく、知恵を働かせる必要があるだろう。私たちはこういったことを考えるほどに、真剣に社会に向き合っているだろうか。物価上昇や文化の輸出も重要な国家のプログラムなのかもしれないが、政治社会が岐路に立っているときには、このような、もっと大きな見地から方針を見出すことが大切になってくるのではないだろうか。ホブズボームが「マニフェスト」に込めた意味を、私たちはよく考えてみる必要があるだろう。

■ おわりに――もっと素直な感想

ロシアは私たちに何を教えてくれたのだろうか。これまでいろいろと並べ立ててきたわけであるが、ひとつ自分の言葉で簡単に書いてみたい。筆者はいま、行きの飛行機を降りたとき、意外と寒くなかったことを思い出している。あれは、「ここはあなたたちが思っているようなところではないよ」というサインだったのではないか。ロシアというと、寒い、という以外に、暗いとか、怖いとか、そのようなイメージがどうしてもある。だが、私たちが出逢ったロシアは、意外にも温かく、音楽と冗談にあふれ、気さくで優しい人たちの集まりだった。「真顔が怖い」のは日本人も変わらないが、笑顔に出逢った時の安心感もまた、日本と同じであった。現地で多くの人と会うたびに、自分の中のロシア人が、次第に「自分と同じ人間」になってきたのを実感する。

政治的対立に代表されるような、メディアなどによって植え付けられたイメージは、往々にして私たちを誤解させる。たとえば、日本にとって政治的に関係のよろしくない国家がいくつかある。マスメディアやインターネットは、彼らのことを悪く表現したり、喧嘩をあおるような文句を並べたりする。そしてそれを真に受ける人は少なくない。だが、幸いにも国内外に多くの友人を持つ私たちは、そういった国の人々が、いわれているほど「とんでもないやつら」ではない、むしろ無二の友人となることすらできるということを、心から信じることができる。これほどうれしいことがあるだろうか。

知るためには、会うことが一番よい。そして感じたことを信じ、知識はそれに整理をつけるための道具である。まかり間違っても、先行する知識に、自分の信念を支配されてはならない。そして片道十時間をかけて現地に出向いた真の価値はここにある。海外経験を単なるスノビズムの消費に使うようでは、旅人としては二流以下である。

単なる講義の名称を超えて、実地に触れ、学ぶことを広く「フィールドスタディ」というならば、フィールドスタディとは、“Nice to meet you”というために赴く旅であるといいたい。「会えてよかった」「知ることができてよかった」。これが筆者の、「もっと素直な感想」である。

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