TEXT BY 永野 満大
研究科:国際公共政策研究科
専攻:比較公共政策専攻
専門分野:労働経済学、医療経済学

 二月下旬からの約二週間、私はブータンでのフィールドスタディに参加した。行き先にブータンを選んだのは、その国に対してある種の憧れを感じていたからだ。日本においてブータンと聞くと、多くの人は「幸せの国」という言葉を連想するだろう。ネットや雑誌を通じて得られる情報はどれもおとぎ話のようで、そのことがますます僕の中の期待を強いものにした。初めてパロの空港に降り立ったとき、実感の湧かない不思議な感覚を覚えた。
 ブータンでの二週間は、イベントが盛りだくさんだったこともあり、あっという間に過ぎていった。結果として、滞在中の経験はブータンに対する私の印象を大きく変えた。まず、すべてのブータン国民が幸福を意識して生活しており、また幸福についての哲学的な意見を持ち合わせているわけではない。そのような人は、ごく一部の知識人に限られている。そしてその他多くの人々が持つ価値観は、敬虔な仏教徒でありながらも、周辺国の人々と大きな違いはない。少なくとも、私の目にはそのように映った。例えば、現在ブータンでは、都市部への人口集中が大きな問題となっている。首都ティンプーでは人口の増加に伴い交通渋滞が発生し、労働力が供給過多となっている。その一方で、地方では過疎化が進み、地域コミュニティが弱体化しているところもあるそうだ。
しかしながらこの国のすごいところは、国のリーダーが「幸福の追求」という明確な指針を示し、それに基づいて国の政策を進めている点だ。そしてもう一つ注目すべきは、最初から完璧な施策を行おうとするのではなく、施策を行いつつ常に改良を重ねている点だ。このような世界で無二の試みは、まるで羅針盤を頼りに大陸を目指す航海のようだ。ブータンという国の経済力では語れない強さを私は感じた。
 また、私は滞在中に心がけていたことが一つある。それは「とりあえず、周りと同じようにやってみる」ということだ。これは出国前の事前学習の中で、引率教員の上田先生が言っていた言葉だ。ロベサで農家を訪問した際には、できる限りブータン人がやっているように振る舞おうと努めた。ブータンの農家では、食事の際にスプーンやフォークを使うことは一般的でない。そのため、私もそれに習い食事の際には素手を使って食べるようにした。ブータンの米はパラパラしているものが多く、手でまとめるのが難しい。最初うちは米を口に運ぼうとしてもバラバラと落ちてしまう。しかしながら、周囲のブータン人に正しい食べ方を教えてもらうことで、次第にうまく食べられるようになった。大事なのは、食器の縁に米を押し付けて固めることだった。もちろん、私の手の使い方はまだまだぎこちなかっただろうが、手で食べたことでなんとなく、自分がその空間にとけ込んだような気持ちになった。さらに、出してもらった料理や飲み物は、できるだけすべて食べきるようにした。ダチュー?と呼ばれる、ヨーグルトの上澄みのような飲み物を出されたが、それは正直苦手だったが我慢して飲み干した。そうすることで農家のお父さんはとても喜んでくれたし、距離を縮めることができた。お父さんは英語が話せないため、行動で示すことがなにより効果的となる。また反対に残すと、「口に合わなかったんだね」ととても残念そうな顔をする。このように「とりあえず、周りと同じようにやってみること」で、より相手との距離を縮め、また相手を深く理解することを可能にすることに気づいた。
 今後の課題は、ブータンで感じた生き方に対するヒントを、どのように日本での生活の中で実践していくかだと考えている。ブータンと日本では、社会の構造から、時間の流れから何もかも異なる。そのため、ブータンで学んだことをすべてそのまま日本で再現することは不可能である。大事なのは、常にブータンでの経験を頭に留め、それを活かす機会を常に探すことだ。