Texted by: 工学研究科 宮原 浩維 (超域2015年度生)

 5期生たちが、今年度のフィールドスタディとしてフィリピン(2017年2月18日~3月5日)とサモア(2017年3月11日~26日)へと向けて旅立ちました。本レポートは、これから“途上国”へ行く方に向けて、また既に渡航経験のある方、海外渡航に興味がある方に向けて、超域2015年度生宮原浩維がスリランカでのフィールドスタディを通じて感じたことをお伝えします。

 私は、2016年2月18日〜3月2日の約2週間、海外フィールドスタディとしてインド南東の海洋に浮かぶ島国スリランカへ行ってきました。(マーシャル諸島班の記事はこちら
 簡単に本海外フィールドスタディの概要と実習目的を説明します。

【概要】

 現地語で「光り輝く島」を意味する国スリランカは、多くの世界遺産や世界的に有名な紅茶、インド洋に面したビーチなどを有し、近年、観光地として世界中から注目を集めている。しかしこの、北海道の面積に満たない小さな国では、2009年まで26年の長きにわたる内戦が繰り広げられてきた。私たちのフィールドスタディでは、国際支援団体であるNPO『Peace Winds Japan』(以下PWJ)の協力により、スリランカの東部に位置するトリンコマリー州のムトゥールという農村でホームステイを行った。その後、スリランカでの経験をふまえ、PWJの現地オフィスやコロンボ大学にて発表を行った。

【目的】

1. 異なる政治、経済、社会、文化背景をもつ社会や人びとの立場を理解し、物事を見つめること。
2. 自分の専門性を生かしながら、異なる立場の人びとと協働する姿勢を身につけること。
3. 海外での経験をもとに、自分自身が慣れ親しんだ社会や文化を相対化して理解すること。

 私は、現地で活動するNPOやJICAの職員でもなければ、フィールドワークの専門家でもありません。どこにでもいる大学院生です。なので、たった一度スリランカに訪れただけの私から、スリランカの真実や国際協力のための専門的な知見をお伝えすることはできません。しかし、”初めて発展途上国に訪れる”という経験は誰しも人生で一度しか味わうことはできませんから、その時に感じたものはかけがえのないものであると私は確信しています。
 では、そんな私の経験からみなさんに考えて欲しい2つのことをお伝えします。

■発展途上とは?

 私たちは普段、何気なくこの言葉を耳にし、なんの疑いもなく使っています。これまで、私自身何度も発展途上国という言葉を使ってきましたが、改めてこの“発展途上”という言葉が意味することを考えるとすごく変な感じがしませんか?
 大辞林では、開発途上国=developing country(発展・開発の途上にあって、現在は一人当たりの実質所得が低く、産業構造では一次産品の比重が高い国)と定義されています。ここにおいて、何が“開発途上”で何が“先進”か、それはヨーロッパや北米などの国々が“国民所得”という物差しで線引きした分類でしかないことに気づくと思います。
 私がホームステイをしている間、滞在先の娘さんと、家族や仕事について話をする機会がありました。そこで、働き始めたばかりの兄弟の年収を聞かれたので答えると、彼女の母親の10倍もの金額だということで、私にこう言いました。

『あなたたちが羨ましいよ。まぁけど仕方ないよね、私たちの国は発展途上国だから。』

 自国のことを”developing country”と称さなければならないということが、彼らにとってどんな気持ちなのか私たちには理解できません。物価も違えば、生活習慣も違います。スリランカでの電車は、一区間、日本円にして20円で乗れました。私たちが訪問した村では、物々交換により食料を調達していたこともありました。同じ国内でも地域によって、大きく収入は異なる中で、国民平均所得によりなされる分類にどれほど意味があるのか考えさせられました。

 彼らの現地での当たり前の生活は、小鳥のさえずりと共に始まり、大人は牛の世話や畑へと向かいます。道端で同じ村に暮らす親戚たちや友人と出会い、お茶に呼ばれ雑談をし、時間になればその日村で取れたものを使って家族団らんで食事をして日が暮れてしばらくすると床にきます。時間に縛られることなく、家族や村の人々とのつながりや自然と共生の中で四季の変化を楽しみながら日々暮らしをしています。それに対し、日本の都市に住む私の身近な人にとっての当たり前の生活とは、両親家族と離れた場所で朝から夜遅くまで働き、数分刻みの満員電車に揺られながら日々暮らすことです。

 もちろん、私たちはいわゆる“発展”により、多くの恩恵を受けています。私たちが当たり前のように使っているスマートフォンやシャワー、エアコンなどは、彼らにとっては当たり前のものではありません。しかし、私たちが“発展”の名の下に失った貴重な、しかし彼らにとっては当たり前なものをこの村で目の当たりにすることで、 “発展ってなんだろう”ということをより深く考えるようになりました。

 みなさんも、海外でのふとした瞬間に一度、考えてみてはどうでしょうか。

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