佐藤 紗良(さとう さら)
特任教員紹介
佐藤 紗良(さとう さら)
特任助教
専門分野 美学・文芸学
担当業務 広報、学修管理支援
担当授業 スポーツ・コミュニケーション 他
チューター担当
学部・学科
文学・法学・経済学・国際公共政策学・言語学(豊中)
研究関心 ・アルハンブラ宮殿の近代修復史
・南スペインにおけるイスラム建築、庭園
・イメージ、建築、庭園などに隠された意味、暗喩など
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研究紹介

 「イスラム庭園」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。一言で言えば、イスラム文化圏の人々によって作られた庭園です。乾燥地帯に生まれたこれらの庭園は日本庭園やヨーロッパ庭園に勝るとも劣らない珠玉の名園ばかりです。庭園は立派な研究対象として、当時の文化的背景や美しさの基準を映す鏡でもありました。目を楽しませたり、休息するためだけに作られたわけではなく、実は奥が深くて、「庭を読む」ことができるのです。また使われ方も時代によって異なります。例えば貴族が自身の権力の象徴としたり、娯楽や逢引のための場所であったり、博物館の代わりとなったり…庭園はまた小説や昔話の一場面を再現したり、当時の珍しい植物や動物、彫刻や建築を一堂に集める空間にもなりました。庭園を読み解くことは、その時代、その土地の歴史や文化を読み解くことでもあるのです。何かのシンボルとして建築や庭園、装飾や模様が機能し、それを多くの人々が使用してきました。そうしたイメージの力は非常に強力で、権力者が利用することもあったり、当時の上流階級の人々の常識を反映させるものであったり、民衆のブラックジョークにもなり得ました。
 しかし庭園は建築や絵画などと比較すると儚い芸術です。植物は枯れ、池は澱み、装飾物は風化し、あっという間に元の状態が分からなくなります。こうした非情な時間の経過に対抗すべく修復という動きが起こるのです(もちろん建築や絵画にも当てはまりますが…)。しかし修復はどのように行うのが正しいのでしょうか。造営初期の状態に戻すのが正しいのか?それとも当初は技術が不十分であったと考えて、さらに理想的な状態にするべきなのか?では何が理想とされるのか?もしくは現在の状態を保存するにとどめるのが良いのか? 19世紀と20世紀はこうした修復の概念や実践が大きく変化した時代です。南スペインのグラナダにあるアルハンブラ宮殿のこの時代の修復の変化にかんして私は研究を重ねてきました。しかし純粋な理論だけではこうした出来事は読み解けません。ムスリムだけではなく、キリスト教の人々、さらに王室や研究所の思惑も大きく影響したからです。また観光事業や金銭問題などの利害関係も絡んできます。一筋縄ではいかないこうした問題はまさに学際的で、他分野の研究者とともに読み解かれる必要があるのでしょう。
 近年、ムスリムやイスラム文化にかんする関心が高まっています。人文学系の予算が削られていく中、政治や宗教の負の面だけでなく、文化的側面から彼らを理解する姿勢を持つことは非常に大切な観点だと思います。

私にとっての超域とは?

 境域とは何か。私が一期生として超域に所属していた頃から、自身が持ち活かし得る能力や領域といった、いわゆる「限界」という意味が強かった気がします。この限界を超えるためのツールとして最初に挙げられるのはやはり言語でしょうが、指揮者の小澤征爾は説明の多い指揮者は良くないと言っています。言語が堪能だと表現したいものを説明しすぎてしまうけれど、音楽の中では言語なしに気持ちを共有し、会話することができるからでしょう。では正解のない音楽に順位や価値をつけるものは何なのでしょう。それは最終的には感性なのだと私は思います。境域を超えるのに、ツールは制限されなくて良い。音楽なりスポーツなり、様々な場所で新しい感性を磨くことが自身の限界を超えるための第一歩なのではないでしょうか。
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 超域では、様々な事柄に対して「あなたはどう思う?」「あなたの研究から見てどう思う?」が問われます。様々な知識や視座を他の人から獲得することだけを目的とするのではなく、まず自身の知識や視座を相手に伝えるところから始めてみてください。そうすれば改めて自分自身のことも見えてきます。皆さんが超域で少しでも何かを得ることができたと思ってくれるなら嬉しいです。