小川 歩人(おがわ あゆと)
特任教員紹介
小川 歩人(おがわ あゆと)
特任助教
専門分野 哲学・倫理学(主として二十世紀フランス思想)
担当業務 教務・海外派遣教育
担当授業 海外フィールドスタディ、グローバルエクスプローラ、超域人文学 他
チューター
担当学部・学科
生命機能・薬学・医学系・歯学系・薬学系4年制
研究関心 二十世紀フランス思想における想像力と幻想の主題
身体とテクノロジーをめぐる人間学的研究
哲学文献の基礎研究
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研究紹介

 わたしが研究をおこなっている二十世紀フランス思想、とりわけフランス占領下のアルジェリアのユダヤ人家庭に生まれたジャック・デリダという哲学者が強い関心をもった主題の一つに「他者」があります。辞書で直接「他者」ということばを引けば、「自己以外の者」という表現がでてくるかもしれません。自己ということばにもそれ自体日常語とは異なる含意がありますが、さしあたり簡単に自分のことと言っておけば、他者とは「自分でないもの」、「わたしでないもの」のことを指すわけです。
 定義上、わたしに包摂されえないものの可能性である以上、いかに他者へ配慮しようとも、他者は今、ここに生きるわたしには十全には与えられません。そのような他者にどのように向き合うのか。たとえば、想像力は、直観と論理のあいだで今ここにいないものとかかわる能力です。想像は、現在の状況から逸脱し、誤りを犯す可能性を多分に含んでいます。しかし、他者に応答するためには、現在の状況と、いまだ出会うことのない他性のあいだで宙吊りにされつつ思考することが必要となるわけです。そして、デリダは向き合うべき相手や行動するための絶対的な根拠が与えられないなかで決断を迫られるような経験を「正義」と呼びました。しかし、なぜ、このようなよくわからない「他者」のことを考えなければならなかったのでしょうか。
 西洋近代哲学の多くは、「わたし」、「エゴ」を起点とし「人間」の理性、合理性を信じる啓蒙の理念をもっていました。しかし、第二次世界大戦以後、多くの人々が西洋近代に内在する野蛮さを問いに伏すようになります。戦争の只中において個々の人々が「人でないもの」として扱われていきました。また、暴力や差別の対象となるものたちは、しばしば「わたしたち人間でないもの」、「人から外れているもの」というレッテルを貼られます。たとえば、かつて、えた・ひにんと呼ばれた人たちは、士農工商という「本来」すべての「人びと」が属しているはずの世界から排除されていたわけですが、その際、「わたし」や「人間」という当たり前で無害に思えることばや考えが、そこから線を引く排除の論理の中心で機能していたわけです。二十世紀を生きたデリダのような思想家は、そのような排除の機能を指摘しつつ、いかにして「わたしたち」が排除した「他者」に向き合い、どのように世界を変形できるのかを問うていました。わたしは、このような二十世紀に残された問いを引き継ぎつつ、日々書物をめくっています。

私にとっての超域とは?

 今日、世界には既に整備されたネットワークが張り巡らされており、領域を跨いでいくことは軽やかで容易いものと思えるかもしれません。ただし、その交差が領域内外の規範を変化させたときにはじめて、有象無象の学際ではない境界の横断が成し遂げられるのではないでしょうか。それはほとんどアクシデントのようなものとして起こるのかもしれません。アクシデントを恐れずに、しかし、いのちをだいじに。
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小川 歩人(おがわ あゆと)

message

 ドイツの哲学者イマニュエル・カントは、理論的かつ実践的な問いとは「わたしたちが何を望むことができるのか」という問いなのだと述べています。みなさんが、さまざまな領域を巡ることで自身の望みに出会い、理論的実践でもって世界を変革していくことを祈っています。