Activity Reports超域履修生による、ユニークで挑戦的な活動のレポート。

活動レポート
履修生主導型企画 ロシア海外研修<5>
ロシアでの違和感とそれに対する理解の仕方

2017/6/1

【個人総括告】 宮田賢人 法学研究科

モスクワに到着してから最初の数日の感想をひとことでまとめるならば、「やっぱりロシアって変な国だな、やっぱり旧共産主義・社会主義の国って、資本主義・自由主義の国とは何か違うんだな。」というものだった。まず、入国審査が他の国のそれと比較して明らかに遅い。空港からホテルまでの高速道路に並んで建てられていた高層アパートメントのいくつかは、なぜか廃墟同然で、不気味な印象を受けた。高速を走っている車のほとんどは、泥が車体にこびりつき、非常に見た目が汚い。ホテルに入る際、荷物検査が行われた。荷物検査が行われるのは、ホテルだけでなく、大きなショッピングモール、美術館、駅の改札など、検査の真剣さに程度の違いはあれども、いたるところで何度も行われた。地下鉄の駅はとてつもなく深い深度にあり、今までに見たことがないほど長いエスカレーターがあった。駅の案内板はキリル文字でのみ書かれており、英語表記はなく、自分がいったい今どの駅にいるかがわからない。電車は数分おきに次々とやってくる。そのため、一定の時間が経つと客が乗ろうとしているのにもかかわらず、車掌は遠慮なくドアを閉め、勢いよく音を立てながらドアが閉まる。電車は古く、電車内は会話もままならないほど騒音が鳴り響く。電車を降りて街に出てみて気付くのは、広告があまり見当たらないことである。そのせいか、石造りの建物が並ぶ街並みは、いくらか殺風景に感じる。思えば、電車内にも広告がほとんどなかったことに気付く。行き交う街の人の表情はどこか強張っており、なんとなく無愛想に見える。街中のところどころで、ロシア帽をかぶり毛皮のコートを羽織った警察官(軍人?)が2~3人ほどで固まって立っており、街の様子に目を光らせている。なんとなく威圧されているような気がする。また、建物はやたら壮大なものが多く、ギリシャのパルテノン神殿を想起させるような図書館や、中世ヨーロッパの城を連想させるような博物館、そして極めつけは、いわゆるスターリン様式で建造された建築物で、非常に威圧的な印象を与えてくる。以上思い出せる限り最初の数日で感じた違和感を列挙してみたが、総じていえば、陰鬱で殺風景で威圧的で不便で、といった形容の仕方がしっくりくる。旧共産主義・社会主義国の社会は、日本の社会となにかが決定的に根本的に違っているような気がした。

しかし、このような感想は研修の最終日になるとすっかり変わっていた。ロシア人の民族学者であるマクスさんの講演で聞いたロシア人の生活や価値観、ファイナンシャル大学におけるWSでの学生との交流、ロシア国内に居住する移民や少数民族に関するモスクワ大学で実施した意識調査とその際のモスクワ大学の学生たちとの交流、調査に同行してもらったロシア人の通訳との交流、ご飯を食べたレストランや買い物をしたお店での店員さんとの会話。こうした交流の中で強く感じたのは、「この人たちと自分ってあまり変わらないな」ということだった。たとえば、マクスさんの講演では、ロシア人は自由を大事な価値観として持っていることを知った。また、ファイナンシャル大学の学生やモスクワ大学の学生との交流の中では、彼らが自分とさほど変わらない若者であることを感じた。彼らもゲームが好きだし、就職の心配をするし、自分が異国のロシアに興味をもつように彼らも日本に興味津々だし、英語を勉強するし等々。お店の人は一見無愛想に見えるけれども、日本語で「ありがとうございました」と言ってくれるくらい茶目っ気があった。こうした体験の中で、ロシアに生きる人々と日本に生きる人々とが、そして、ロシアの社会と日本の社会とが本質的かつ根本的に違うなんてことはないのではないか、そう思うようになった。

すると面白いことに最初に感じた違和感に対する見方が変わってくる。しつこいぐらいにされたホテルや大規模施設や駅での荷物検査も当初は威圧的に感じていたが、通訳の人の話によれば、数年前にチェチェン人による自爆テロがあった時から導入されたそうである。走っている車が泥で汚れているのも、どうせ洗車しても次の日には泥水混じりの雪で汚くなるし、また、個人が自分で洗車するのは禁止されているから(真偽のほどは定かではないが)だと通訳の人が教えてくれた。至極まっとうで合理的な判断に思える。電車の中に広告がないのも、よくよく考えてみれば地下鉄が国営だから特定の企業に肩入れしないようにしているのかもしれない、電車の騒音がうるさいのも、電車が古いのも、英語文字表記が案内板にないのも、国営であるがゆえに運用できる資金に限りがあるからかもしれない。ロシア人が無愛想に見えるのも、(よく言われる話だが)ただ寒いからなのかもしれない。もしかしたら自分の表情もいつもより強張っていたかもしれない。最初はなんとなく恐く見えた警察官(軍人)も、思えば、あまり馴染みのないロシア帽や毛皮のコートを身に付けていたのにちょっとギョッとしただけかもしれない。よく街を観察してみると、勤務中の警察官がなぜか道で恋人といちゃついており、人間的な温かみを感じる。入国審査が遅かったのも、ただ単に仕事にやる気がなかったからかもしれない(これはロシアに限らず、どこの国の入国審査でも感じる不満である)。マクスさんも講演で、ロシア人は働くことが大嫌いだと言っていた。街中に広告があまりないのも、建築の仕方が石造りであるがために壁面に凹凸があるから広告を設置しづらいのが理由だろうか。高速道路脇の高層アパートメントは、単にまだ建設中だっただけかもしれない。

個人的に興味深く思うのは、当初目についたさまざまな違和感の理解の仕方が変わったことである。最初の数日間、上に挙げたような違和感は、旧共産主義・社会主義の社会に特殊な「何か」に起因しているのだとなんとなく理解していた。しかし今では、そうした違和感の原因は、資本主義・自由主義の社会で教育を受け、アイデンティティを形成してきた自分にとっても容易に理解できるものである。たとえば、毎日車を洗うのが面倒だから泥がついたままでも放置する気持ちはとてもよく理解できるし、テロがあったから検査を徹底するという考えもよくわかる。つまり今となっては、到着当初の違和感を、旧共産主義・社会主義とか関係なく、もっと一般的に(誰だってそうするよねという意味で)理解しているということである。ここで言いたいのは、「当初の理解が間違っていた!今の理解の方が正しい!」ということでは決してない。言いたいのは、いま自分の中に違和感を処理する仕方が二通りあるわけだが、モスクワ到着当初には当然のように違和感を旧共産主義・社会主義という概念に結び付けて理解していたことが、自分でもわからないがなんとも不思議だということである。こうして文章に起こしてみると、違和感のすべてが共産主義・社会主義であったことによって説明されるなんていうことは馬鹿げているとさえ思える程なのに、そういう風に考えてしまっていた自分がいるのがなんとも不思議である。やはり、これまでの教育とかメディアを通じて得たロシアに対するイメージがそうさせているのだろうか。

余談だが、数年前、NHKの朝ドラの舞台ともなった有名な洋食レストランに行った(たいめいけんである)。そこでデミグラスソースのかかったコロッケを食べたのだが、そのデミグラスソースはなにか渋くて変な味がした。「渋くて変な」というのは、明らかにまずいというわけでもなく明らかにおいしいというわけでもなく、自分の知っているいわゆるデミグラスソースとは少し違うなという感じである。それでも、その時はおいしいと感じた。今食べているのはドラマの舞台になるほど有名な老舗の洋食屋さんのコロッケだし、なんといっても、食べるのに1時間も並んだ代物なわけだから、まずいわけがないだろうと。しかしいま、改めてあの時のデミグラスソースの味を思い返してみると、もしあのコロッケがどこかの田舎の定食屋で出てきていたら、たぶんまずいと感じていたと思う。別に、絶対においしいに決まっていると自分に思い込ませてあのコロッケを食べていたわけでは決してないのだが、なぜかあの時はおいしいはずだと当然のように考えていたように思う。このデミグラスソースの体験と今回のロシアでの体験との間には、パラレルな関係があるような気がしてならない。

冷戦期、周知のように、共産主義・社会主義陣営と資本主義・自由主義陣営とは、東側対西側という対立図式で描かれてきた。この図式の下、西側と東側は、なにか根本的に考えや信条が異なる相容れない存在として対立させられてきた。そして冷戦終結以後も、ロシアと西側諸国との間にこの対立意識が残っていることは明らかである。筆者は国際関係の研究をしているわけでもなければ、とりわけロシアと西側諸国の対立に関心があるわけでもない。そんな筆者であるにもかかわらず、今回、当然のように自分の住んでいる社会とロシアの社会とは、根本的かつ本質的に違ったものであると考えていたことに気付いた。このことは、自分の中の深いところにまで、かの対立図式が染み込んでいることを教えてくれているような気がするし、また、自分がこれまで読んできたもの・見てきたもの・聞いてきたものの多くが、そうした対立図式を明示的にも暗示的にも含んでいたのかを物語っているように思う。おそらく、今回の研修でこれほどまでに近い距離でロシアの学生や社会人に接する機会を得ることがなかったのであれば、到着当初のロシアの理解を日本に持ち帰っていただろう。そして、友人や研究室の同僚に、やはりロシアは我々となにかが根本的に違ったと語っていたと思う。そして、筆者からそのように語られた彼らが次にロシアにいくとき、彼らもロシアの社会におけるさまざまな違和感を、旧共産主義・社会主義の概念に基づいて理解するだろう。こうして、世界の人々の意識に久しく鎮座してきたあの対立図式は、本当らしいものとして後代へと受け継がれていくのだと思う。この意味で、東側対西側という対立図式は、きわめて根深く影響力のあるものだとつくづく感じる。ただし筆者としては、かれこれ数十年以上続いている(と思われている)対立意識は、あの時確かにおいしいと感じたはずのデミグラスソースの味が今ではまずかったと思えてくるのと同様、なんとなしに変わってしまうものなのかもしれない、とも思うのである。

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