Activity Reports超域履修生による、ユニークで挑戦的な活動のレポート。

超×超域人
超×超域人 Vol.6
-空間の文脈を読み解く研究をする-

2021/3/30

インタビュイー:2018年度生 島田 広之(文学研究科)工学研究科 教授 木多  道宏
インタビュアー・記事編集:2018年度生 岡田 茉弓(言語文化研究科)
写真撮影・記事編集:2017年度生 沈 吉穎(言語文化研究科)

 

大阪大学超域イノベーション博士課程プログラムの履修生や教職員にインタビューする「超×超域人」!今回は7期生の岡田茉弓が、文学研究科博士後期課程1年の島田広之さん、工学研究科教授で超域部門長の木多道宏先生にインタビューを行いました。今回のテーマは、「空間の文脈を読み解く研究をする」。都市や住宅の中には、人生や地域の歴史が「文脈」となって確かに存在しています。しかし、その実態は目に見えるものではありません。その文脈をどのように読み取るのか、なぜ文脈を読み取ることが重要なのか、お二方に大いに語っていただきました!また、なぜ日本の建築学は理系なのか、建築学と地理学の違い等についても言及してもらいました。

 

研究内容:新しいデザインを考える・住居空間の変化とライフスタイル

岡田 まずは、どのような研究をされているのかを、教えてください。

木多 一言で言うと、新しいデザインの在り方を考える研究です。デザインの対象は、基本的にはやはり空間であり器であり物ですが、同時に社会を考える、そして人のイメージや行動のことも考えながらデザインの在り方を考え直すことが専門です。

岡田 島田君は?

島田 目に見える空間が変わっていく背景に、どういうライフスタイルの変化があるのかを解き明かしています。人がどういう空間に住むのか、そもそも住まうとはなんなのか、どうして変化しているのか、そういう部分を研究しています。修士課程では和室の変遷について研究しました。

岡田 なるほど。お二方とも「空間」と「人間」のかかわりを研究されているのですね。

研究の面白さ:具現化する面白さ・住まう人が求める住空間の探求

岡田 お二方とも、空間が一つのテーマになると思うのですが、空間にアプローチをすることの楽しさや面白さには、どのようなものがあるでしょうか?

木多 自分で考えたもの、みんなで考えたものが具現化されたときの達成感はすごいので、それが、一番楽しいことではあります。ただその分、責任もあります。
私は大学院を修了した後、建築設計事務所で勤務して、いろいろな建物を設計する機会に恵まれたのですが、ある時、見落としている大切なものがあるような気がしたのです。そして、恩師に研究者として働く機会をいただき、一般の建築家が見落としている大切なものとは何かを研究することになりました。研究を通して、デザインとは、みんなの「心」を作ること、それを手助けすることだと気づくことができました。建築家はその時その時、最善を尽くして形や空間の広がりをデザインします。でも、時が経てば陳腐化するか、新しい時代に合わなくなる。でも、人と人の社会的なつながりがそこにあると、改善を重ねながら時代に合った建物や街路へと少しずつ変化していくことができるのです。たとえ震災や戦災で町が一度に無くなったとしても、人のつながりが生きていれば、再建される町には大切な何かが再生され、人が前向きな気持ちになる。それで初めて町は復興へと向かうと思うのです。建築士として活動していた時より、長いスパンで町と人とのつながりが見えるようになったことも研究の面白さの一つですね。

 

インタビュイーの木多先生

 

岡田 なるほど。島田君はどうですか?

島田 僕は学部時代、ずっと工務店でアルバイトをしていました。リフォームをする際、設計士さんが図面を描き、それをもとに僕たち施工者が造るのですが、作業の合間にそこに住む人とコミュニケーションを取ると、図面とは異なる要望が出てくるんです。そういった会話がすごく面白い。その人が体感してきた個人的なことは、見えていないし、言語化されていないのですが、そこにあるんです。例えば図面には、「玄関何センチ」みたいなことが書かれているのですが、それだと「歩きにくい」と住民の方に言われる。でも、何センチにしたらよいのかを別に言ってくれるわけではない。だからこちらも実際に板を敷いて、「これぐらいですか?」と提案をします。このようなコミュニケーションはとても大事なことだと思ったんです。プロセスを共有して造っていくと、住む人の満足感が違うんです。建築に興味がない人たちが世間では大多数ですが、そういう人たちも住む空間はそれぞれ1つずつ持っているので、その人たちに寄り添ったものを造っていきたいという思いがあります。
修士課程で和室の研究をしたのも、「和室を欲しい」と多くの人は言うのですが、実際和室の数は減っている、そのギャップを解明したかったからです。それで調査をすると、置き畳で満足する層が増えたのではないかという仮説に至りました。建築では、和室は床の間などの要素を含めた空間として考えられています。ただ、人によって和室に求めるのは畳の素材感だけの場合もあるし、邪魔なときは外したいから置き畳のほうがよかったりする。そういう建築をしない人たちが何を求めているのかを見ていくのが楽しいところだと思います。

研究の大変さ:時間がかかる研究・コロナ禍でのフィールドワーク

岡田 そういった研究をされていく中での大変さはありますか?

木多 やはり一番大変だと思うのは、社会的なつながりといった見えない文脈を読み取ろうとするとすごく時間がかかるのです。例えば、東日本大震災で被災した女川町の17の漁村全ての漁師さんにいろいろな話しを聞きました。漁法、組合、冠婚葬祭など海から陸のことまで教えていただいているうち、ふつふつと復興まちづくりの提案が思いつくんです。研究室の学生たちといろいろな模型を作り、図面を描いたりして、仮設で建てられた漁師さんの作業小屋(番屋)に沢山の人に集まっていただき、提案もしました。漁師さんの他に、県や町の役場の人、それからUR1 の人たちも来てくれて、研究室の皆で発表をしました。とてもいい案だ、これが正しいと思うと評価されたのですが、遅すぎたのです。その頃には土木的なレベルの復興計画が決まっているんですよ。国は緊急に5年間を期限とする復興の財政出動をしました。各市町村は堤防の建設や高所移転計画を急いだため、研究のスピードが追い付かなかったのです。それが研究上の大きな課題だと思います。

岡田 島田君はどうですか。

島田 直近の話ですが、どうしてもフィールドありきでやっているので、コロナで現地に行けないことです。フィールドの方々と会えない中でどうやって研究を進めていくのかが、今、困っていますし、全然、解決もされてないです。やはり対話というのがどうしても大事になります。

木多 そうですよね。

岡田 私も遠隔の研究協力者から言われましたね。「あなたがZoomでインタビューをしたところで、私がやってきたことはここに来てもらえないと分かってもらえないんです」と。やはり、皆さんも現場に行ってみないと分からなかったものがあるのですか?

木多 そうですね。現場に行ったら、土地の「声」がいろんな方法で届くんです。地域に入ってとことん歩き回って、いろんな人の話を聞いていると、ついに鍵を持った相手と出会うんですよね。そういった意味で、現場にいないといけないなっていうことはあります。

島田 そうですね。フィールドワークに行って、たまたま昼食を地元のお店で食べている時、そこで入ってきた情報が重要だったり、隣のおじさんが実はすごい人で、そこから話が盛り上がることがありました。そういう意味では、今回のコロナ禍でフィールドに入ることがどれだけ大事なのかということを改めて考えました。

インタビュイーの島田さん

空間の文脈を読み取ることの重要性:文脈は「人生」で「人間的」

岡田 それでは、今回の対談のテーマである空間の文脈を読み取ることは、なぜ重要なのでしょうか?

木多 島田さんがおっしゃっていたことに答えがあると思うんです。空間的な文脈は、目に見えているものの背後にある人の考えや心、そして人を生かそうという気持ちです。その気持ちが自治会やテーマ型コミュニティなどの社会組織をつくり、空間の具現化へとつながります。もう一つ、時間的な文脈というものもあります。それは、人生そのものではないかと思います。人生においては、何かに気付くと見え方が変わるものです。また、先が見えないものなので、だからこそ努力する意義があるのだと思います。
例えば、阪神淡路大震災の時、地震で町が破壊されてしまいましたが、復興のまちづくりの中で、一人一人が立ち上がり、また、素晴らしい建築家や造園家が神戸市からまちづくり条例によって派遣され、住民と一緒に考えていったのです。その中で人のつながりが再形成されて、町が元気になっていきました。実は、震災の前は人通りもなく、自治会も動いていないほどコミュニティが衰退していたのです。震災はとても辛い経験でしたが、このように復興のまちづくりがきっかけとなってコミュニティが以前よりももっと生き生きとすることがあります。地域社会やコミュニティは生命体であり、悲しいことを乗り越えて成長していくのだと思います。まさに人生そのものであり、人々に希望や共感を得たえるような「物語」の価値が時間的な文脈なのだと考えています。

岡田 島田君はどうですか。

島田 文脈と言うのは、良い悪いで判断できないものだと思っています。だから、経済的な合理性で造られたものは、文脈を無視しがちなのですが、文脈というのはもっと人間的な部分です。例えば玄関をリフォームする際、バリアフリーの観点からすると危ない高さであっても、そこに住むおばあちゃんからは「その高さのほうがいい」と要望されることがあります。それは合理性の話じゃなくて、今までにその人が培った経験が文脈として出てきたときの解なんです。そういうことが大事で、そういうものをどんどんくみ取っていかないと駄目なんだと思います。また、それこそが文脈を研究する意味なのかなというふうにも思っています。

木多 それに関連することで、ある優秀な建築家がいらっしゃって、体が不自由な奥さまのために自邸を設計されたお話しがあります。自邸を奥様に合わせて設計すると、段差だらけになったのです。実はフラットなスペースは使いにくい。靴を脱ぐとき、腰を掛けて脱ぎたいし、お風呂に入るときもいったん腰を掛けたい。いろいろなところで段差が要るわけです。だから、奥さまのそういう体の動かし方を理解されて自邸を設計したら、段差だらけだったと。僕は、段差だらけの家がすごいのではなく、そこまで考えたことがすごいと思うんです。まさにそういった価値や思いやりがにじみ出してくるものが、文脈であるという気がします。

岡田 やはり、「合理性を求めるのが善」というようなところが社会一般の中にはあるのですが、それを具現化すると意外と不便な場面がある。そうなると、やはり空間の文脈を読み取ることが重要になってきますよね。では、文脈をどのように具現化しますか?

島田 僕は住宅を扱っているという意味では分かりやすくて、基本的に判断する人は住み手なので、住み手に寄り添っていくことで可能になると思います。プロセスを一緒に考えながらデザインしていく。それは相手が特定の個人だからできることなのですが。

 

インタビュイーの島田さん

 

岡田 木多先生はどうですか。

木多 都市の具現化という話であれば、建築家や都市計画家は、市民や住民にどこまで「介入」していいのかという普遍のテーマがあります。「介入」という言葉をあえて使いますけど、市民の思いどおりに言われたことをそのままやると、どう考えてもおかしいものができるときがある。ヨーロッパの町は中世に人口が増え、後から後から空いている土地を見つけて、建物を造り、密度も高くなってきます。すると、曲がりくねった路地的な空間ができます。ヨーロッパの旧市街地は大概そうなっています。路地は入りくんで、幅が不揃いなんです。とても魅力的な街並みになるのですが、時々都市計画という介入が必要になります。世界で最も有名な介入は、19世紀後半のパリでナポレオン三世の時に実施されたものです。オペラ通りのような真っすぐな街路を作った都市改造です。それによって、街路沿いに新しい都市機能を導入できましたし、交通も円滑になりました。
このように、やはり誰かが覚悟をして、介入をしないと都市は破綻してしまうのです。でも、その介入のタイミングや程度について、建築家や都市計画家は悩み続けています。答えは今もないですね。最近ますます市民参加による建築計画や都市計画が増えています。ですが、優れた専門家であるほど、言われるがままやってはいないはずです。彼らは、市民の意見をどこかでオーガナイズして、ある程度の一定の水準まで昇華しているはずです。ですから、どこまで専門家としてさりげなく良いものにできるかは、その都度、一生懸命考えなければ答えは出てこないのです。だからこそ面白いという面はあると思います。

岡田 やはり具現化するっていうところで、皆さんの多様な意見をどのように具現化するかは難しいところですね。

木多 人によって、いったん理念といった抽象レベルに落とす人もいると思います。他方、模型を全部作って、どうぞ見てくださいっていう感じでやる人もいます(笑)。いろいろな人がいますが、自分の意見をどこまでどのように入れるかということには皆悩んでいると思います。もちろん建築家、都市計画家が全く気付いてないことを、市民に教えてもらうということは多々あるものです。それはすごく貴重なものです。

建築は理系?文系?:地震大国日本であるがゆえに・文系的視点の重要性

岡田 建築は文系理系どちらだというのがほかの超域のイベントで話題になりました。欧米の大学は理系、文系、芸術の3本柱で、芸術の中に建築が入っているのですが、日本の建築はなぜか理系に所属しています。そのことについて、お二方はどう思われますか?

木多 欧米では基本的に芸術系に含まれるので、文系・理系ということであれば文系です。そして、構造工学はシビルエンジニアリングといって全く別の分野になります。日本の場合、一般の大学で建築が工学部の中にあるのは、ごく単純な言い方をすれば、日本が近代化していくときに、ヨーロッパのような官公庁や事務所ビルを造りたくても、地震の関係で石は積めないという問題があったからだと認識しています。そこで、どういう構造、構法で建物を建てるかを解決しようというのが根源にあるのだと思います。関東大震災の前までは、どのように造ったらよいのか分からなかったので、いろいろな構造形式を試しました。関東大震災があり、残ったのが鉄筋コンクリート造の建物だけだったので、関東大震災の後は鉄筋コンクリート造ばかりになりました。地震大国・日本の場合は、理系的なことをいつも一緒に考えないと、建物は建てられないのです。私は、日本の建築学が理系の分野の中にあることによってこそ、できることがいっぱいあると思うので、逆にそれを強みにしなければならないと思います。

岡田 島田君は文学研究科ですけど、どのように考えますか?

島田 今、木多先生がおっしゃったように、箱の話で言うと、やはり理系かなと思います。しかし、箱の中の話になると、工学的なアプローチはもちろんできますけど、家族や社会、ジェンダーみたいな話が入ってくるので、そうなると文系的な別のアプローチもできるのではないかなと思っています。

岡田 やはり人間と一番密接に関わる物ですから、どちらも見ないと破綻してしまいますよね。

木多 そうですね。「文系的」な見方をしなければ建築学は駄目になってしまいます。高度経済成長期の典型的な建物はあまり「文系的」な発想をせずに造られてきたものなので、人の生活や社会を分断したのだと思います。一方で、「理系的」な構造技術によって人の命を救ってきたことも確かです。今では、余程の大地震でない限り、建物が倒壊することはありません。そこでよしとして、「文系的」な再評価を十分にできなかったのが、1990年半ばまで続いたと思います。

岡田 それは、日本が建築を理系に置いたからなのか、それとも世界的な潮流どちらが原因でしょうか?

木多 とてもいい質問だと思います。直感的に一言で言うと、世界的潮流です。アメリカで極端に進んだものです。いわゆる先進諸国の中ではアメリカが唯一、第二次世界大戦で被災しなかったので、すでに戦時中から経済成長が始まり、大資本による都市開発がどんどん進みました。一見すると新しい技術や外装デザインをまとった建物が、これからの時代を先導するのだと信じられたわけですが、それが社会を分断するものだと気づくのに20〜30年かかっています。日本も当時のアメリカの影響を受けて、大きな「箱物」の開発をしてきたのだと思います。ヨーロッパでは、いろんな面があって一言では評価できないのですが、開発と反省を繰り返してきた歴史を持つフランスでさえ、80年代に至っても、パリの郊外に問題となる大規模団地がたくさん造られました。パリでは都心部に住むことがステータスですが、低所得者層は郊外にしか住めず、こういった大規模団地に住むようになります。その結果、その地域の治安が悪くなり、維持管理も行き届かず、非人間的な空間ができていくという問題が起きたのです。経済格差が「空間格差」をも生じさせる。これは、アメリカを中心に起こった大規模開発の延長上にある問題ではないかと思います。現代では開発途上国において、同じ現象が繰り返されています。

岡田 日本が理系に建築を置いてしまったから人間のことを考えなかったわけではなくて、やはり世界的にそういう流れがあってのことだったのですね。

木多 そうですね。日本で本格的に建築学が研究され始めたころは、国や社会に貢献したいという志があったのです。戦後、住宅が不足し、大量に住宅を建てなければならない時に、質的にどうなのかを問うような研究がたくさんありました。工学的な分野にあったから悪いというわけではないと思います。

超域へ来た理由:藤田先生の誘い・単純な興味

岡田 それではここから、超域についてお聞きしますが、なぜ超域に来たのでしょうか?

木多 私は藤田先生2 から誘われたからです。専攻が違いますけど、学内の委員会で一緒だったのでお互いに知っていて、声を掛けていただいたんです。建築計画や都市計画は、もともと超域的なことを含んでいる分野です。ハードウエアだけを考えていたら、無益なもの造ってしまうので。その人たちが生き生きする建築を造りたい、それでは生き生きって何だろうと問い掛けて、自分の考えを人や社会に伝えて、それがまた返ってくるといったプロセスを踏んでいくんです。また、私の恩師が学会や実践的活動にいろんな分野の人を招いていたので、多分野の専門家が協働すると何が起こるか身を持ってわかっていたところがあるのです。ですから、藤田先生に誘っていただいたときはすごくうれしかったです。

岡田 島田君はなぜ?

島田 超域に入った当初は、単純な好奇心というか、そんなに深く考えていなかったんです。ただ、いろいろな分野を見てみたかったですし、皆がどのような興味を持って来ているのかに関心がありました。でも、超域に入り、本当の意味での「超域とは何か」を考え出すと、まだ全然答えはありません。ただ、もしそれがちゃんと分かれば、もっといろいろな意味で社会に関われるようになるだろうと思っています。

超域でのつながり:視点の広がり・学生指導に活きる

岡田 超域に来られて、研究に生かされたことはありますか?

島田 単純に刺激にはなっていますけど、具体的に何かと言われると、まだ見つかってないというのが正直なところです。でも、視点が広がったなとは思います。

岡田 木多先生はどうですか。

木多 普段は出会わない研究科の先生たちととても親しくなったということはあります。それは大きな財産だと思いますね。様々な研究科からの履修生の皆さんと出会って、いろいろなお話を聞いたり議論できたりするのも貴重な経験です。 私自身の研究室にも学生がたくさんいるのですが、ゼミや研究の相談の時に、他分野のどういったことを見れば良いかなどアドバイスをできるようになりました。研究室では、認知症や精神障害の方のための施設のあり方も研究しているのですが、そもそも「認知症」や「障害」とは何か、「精神障害」とは何かを調べてごらんと、以前にも増して学生に話すようになったと思います。あそこに行けばああいう先生いるから行っておいでとか、超域の先生のことも紹介することもあります。
実は、研究レベルではないのですが、一つだけ言っておきたいことがあります。私は基本的にはとても忙しいです。部門長をしていると特に、普段、皆さんが目に見えないところでの用務が多いです。些細なことに見えてもなかなか解決できない問題がたくさん起こり、一つ一つ対応するととても時間が取られます。精神的にもつらく、家に帰って寝られないときもあります。自分自身の研究室や専攻のことだけで、ほとんどのスケジュールが埋まるのですが、それを削って超域に時間を回しています。ただ、私を頼りとしている若い研究者が研究室に大勢いるので、その人たちのためにも健康管理にはかなりの投資をしています。また、精神的に厳しい時でも、常に自分を立て直す努力をしています。これも超域で身につけた素養かなと思っています(笑)。超域は学生も大変ですが、教員も大変なのです。

 

インタビュイーの木多先生

 

建築学と地理学との違い:形にするのか?仕組みの解明なのか?

岡田 それでは最後に、お互いに質問したいことはありますか?

島田 以前、木多先生に建築学と地理学の違いについて質問をしていただいたのですが、その時にはうまく答えられませんでした。今でもやはり言語化できないなと思っています。しかも、住宅系の研究でいえば、この2つの分野はとても近接している領域なので、どちらの学会でも同じような視点から研究されていることが結構あります。このため、木多先生がどのようなお答えをお持ちなのか伺いたいです。

木多 模範解答はないです。島田さんがどう考えているかをその時は聞きたかっただけです。でも、古典的な答えになりますが、建築は「形」にしないといけないんです。ついつい社会と建築がどうつながっているのかなど、目に見えない仕組みのようなものを知りたいということもありますが、やはり、建築ではどうするのかを求められます。どのような形態の建物がいいのか、どのような配置、どのような人口密度の団地にするとか、必ず答えを打ち出さなければならない。しかしながら、地理学が目指しているのは仕組みの解明のように思います。以前、私の指導教員にこの質問をしたことがあるのですが、そのように答えられたと思います。
ただ、建築学・地理学両者とも、この時代の転換期に飛躍することが必要だと思います。時代がエビデンスベーストになっていて、既存のものから何かを導き出すという指向が強くなっていると思います。ただ、時代の変わり目ではミッションが大事だと思います。人々の共生や幸福を支える都市や地域を実現するといったミッションがあって、それを実現するために、正しいと思う閃きやアイデアがあれば、既成の枠組みやエビデンスに囚われず、進んでいく信念や力が必要な時代になっていると思います。

岡田 それではインタビューを終了させていただきます。ありがとうございました。

木多 ありがとうございました。

島田 ありがとうございました。

 

(注)
1 UR : 独立行政法人都市再生機構のこと。大都市や地方中心都市における市街地の整備改善や賃貸住宅の供給支援、UR賃貸住宅(旧公団住宅)の管理を主な目的とする独立行政法人
2 藤田先生 :前大阪大学未来戦略機構第1部門長であった藤田喜久雄教授のこと。