● 超域イノベーション展開

アイデア、ソリューション、
反‐ソリューション

担当教員:平井 啓(経営企画オフィス)
福吉 潤(キャンサースキャン)
山崎 吾郎(COデザインセンター)
大谷 洋介(未来戦略機構)
小倉 拓也(未来戦略機構)
渕上 ゆかり(未来戦略機構)

Texted by 小倉 拓也

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 周知のとおり、プラトンは、世界内に実現している個々の存在者と、理念的存在であるイデアを区別し、そこに存在論的な優劣を設けた。内角の和を二直角とする理念的な三角形に比して、私たちが実際に目にしたり描いたりする三角形は、それが目にでき、描けるという点で、「三角形」としては必ずや不完全なものである。それゆえ、三角形として真に実在するのは理念的なそれであり、個々の具体的な三角形はその影にすぎない。問題は幾何学だけに限定されない。創作活動であれ、社会変革であれ、理念がつねに崇高なものであり、それを実現したものが多くの場合に私たちを裏切り、失望させるのは、それらのあいだの原理的とも言える差異ゆえのことだろう。実現するということは不可避的に「理念の失墜」なのだ。これは、イノベーションを牽引するトップリーダーの育成を掲げる本プログラムにとっても目を背けることのできない問題である。

 「アイデアとソリューションは違う」。この授業の主要なテーゼのひとつだ。これは即座に上述のプラトニズムを想起させる。もちろんここで言うアイデアとソリューションには、イデアとその実現がそれぞれ対応する。担当教員のひとりである私自身、まずはこのことを想起したし、履修生にもそうだった者が少なからずいたのではないかと思う。アイデアとソリューションは違う――なるほどそのとおりだろう。理念と実現した具体物が同じであるはずがない。ここまではいい。しかし、この授業では、ここからが違う。どうやらこの授業では、価値の転倒が起こっているようなのだ。つまり、実際に授業でそう謳われたように、「欲しいのはソリューション」なのだ。より厳密に言うなら、アイデアの発案は必要なのだが、それが「実現可能性」を念頭に発案され、「実現可能性」によって裏打ちされていなければならないのだ。実現から逆算された理念の発案……? この自己撞着的なテーゼに、私は一抹の不安を覚えた。

 本授業「超域イノベーション展開」は、「ソーシャル・イシュー解決」を副題としており、いわゆるPBL(問題発見解決型学習)への入門的な授業に当たる。原則として本プログラムの2年次に履修するもので、1年次で修得した種々の知識やスキル(たとえばシステム思考やデザイン思考)を統合しながら、提示された仮想的な社会課題に対して、具体的な「ソリューション」を提案してみせることを目標としている。その先には、中長期のプロジェクトに取り組む3年次の「超域イノベーション総合」が控えており、まさに本プログラムの本流に位置づけられるべき重要な授業である。授業形態は、モジュールではなく集中講義で、2週間の活動期間うち、4回の授業内でキックオフ、座学、例題演習をこなし、さらに本題の提題を受け、中間発表、最終発表を行う。履修生はこのような時間の制約のなかで、くじ引きで決められた文理混淆のチームメンバーと協調を取りながら、提題者に「ソリューション」を提案しなければならない。4回の授業日以外はグループでの活動に当てられ、履修生は役割分担、日程調整、合意形成、等々を教員の介入なしに組織することを求められる。物理的にも精神的にもかなりのハードワークである。


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 今年度の授業では、ある企業から魅力的な提題をいただいた。それは「その企業が運営する大型商業施設の広場を利用した、地域貢献・連携に寄与するイベントを企画立案せよ」というものだ。履修生は、座学と例題演習で身につけたデザイン思考的アプローチによって、この課題に対する望ましい「ソリューション」を提案することを目指す。具体的には、商業施設の利用者となるターゲットを定め、そのニーズおよびインサイトを掘り下げ、それに依拠したコンセプトを練り上げ、そのプロトタイプを作成し、テストする、というサイクルをチームで回していくのである。このアプローチのポイントは、時間をかけて頭のなかで熟考するよりも、とにかく手を動かしながら、ブレインストーミングによって可能な案を書き出していき、粗雑なものでもいいからそのプロトタイプを数多くつくって試すという点にある。このサイクルを数多く回すことで、短期間にトライ・アンド・エラーを繰り返しながら、徐々にありうべき「ソリューション」案に近づいていくことができるだろう――そういうことを見込んだアプローチである。

 履修生は、課題を提示されたその日の発表、中間発表、最終発表と、計3回の発表の機会を持ち、発表ごとに提題者および教員からフィードバックを受け、自分たちのグループの案を洗練させたり、修正したり、根本的に考えなおしたりしていく。最初の発表での感触の良し悪しが、その後のグループでの作業を、既存案の洗練にするか、修正にするか、根本的な考えなおしにするかを分けたようで、大幅な変更なしに楽しそうに取り組んだチームもあれば、最後まで苦しみ抜いたチームもあった。独創的な発案と論理的な思考と口の上手さでぐいぐいと自分の意見をグループに反映させていく者もいれば、チームワークを重視し、合意形成のプロセスが民主的なものになるよう気を配り、その結果、心身をすり減らした者もいた。しかし、仮にグループでの取り組みが不調に終わったのだとしても、「民主主義が最も困難なシステムだと実感した」、「いざというときには自分が独裁者になる勇気が必要だったのかもしれない」といった独自の気づきを得られたのであれば、それは彼あるいは彼女が真摯に課題に取り組んだことの証左だろう。


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 さて、そのような悲喜こもごものグループワークではあったが、概して、どのグループの提案も、授業開始前に教員間で想定していた水準を上回るものだったと言える。どのグループも短期間に一定以上の水準の案を提出することができたという事実は、課題解決に対するデザイン思考的アプローチの確かな有効性を示しているのかもしれない。履修生には今後、このようなアプローチをひとつの考え方のツールとして、様々な事象に、様々な思考の抽象度において、適用できるようになることが望まれる。とはいえ、もちろん、このようなアプローチがつねに何らかの「正解」を約束するわけではない。履修生への、そして私自身への警句として、最後にこの授業に対して問いを提出しておこう。

 先に触れたとおり、与えられた課題は「その企業が運営する大型商業施設の広場を利用した、地域貢献・連携に寄与するイベントを企画立案せよ」というものだった。管見のかぎり、多くの履修生がこれを「地域貢献と収益性」を両立するようなイベントの企画立案というふうに解釈したように見受けられる。ほとんどのグループが、もっぱらこの二つの要件を満たすような「実現可能な」アイデアに、最短距離で合理的に接近しようとしていたように思う。しかし、提題者が幾度か強調していたように、この課題にはもっと大きな「理念」が賭けられていた。それは、モニュメンタルな歴史を持つ北摂の街に突如出現した巨大資本が、おのれ自身の資本の論理は当然のものとして保持しながらも、自分たちがやって来たその土地の、いままでの記憶を、自分たちなりの仕方で受け継いでいきたいという、切実な思いである。これが、決して「実現可能性」に尽くされることのない「理念」である。この理念が「地域貢献と収益性の両立」に翻訳され、思考が「実現可能性」の観点からあらかじめ有効と思われるアイデアへと収束してしまうなら、どんな「ソリューション」も「理念の失墜」でしかないだろう。

 もちろん、課題解決こそを目標とする以上、それは不可避のことである。咎められるようなことではない。それでも、やはり、「理念」そのものを観照すること、実現可能性を度外視した想像力を行使すること、資本とは何か、土地とは何か、記憶とは何か、それを受け継ぐとはどういうことかという抽象的な問いを提起し、最短距離での解決に訴えるのではなくそれ自体を粘り強く思考すること、こういったこともまた、「課題解決」にとって、そしてイノベーションを牽引するリーダーにとって欠くことのできない能力であるはずだ。そのために私たちは、アイデアとソリューションに加え、実現から理念を解放する「反—ソリューション」という第三の概念を要求しなければならないだろう。もちろんそれは、この授業で逸してしまったものというよりも、これからの各人の人生のなかで、それぞれの仕方で、新たに発明されるべきものである。


最終ページ

 偉そうなことを書いてしまった。この授業のハイライトは間違いなく、ある履修生が、フィードバックにかこつけて好き放題言う教員たち(!)について、教員の言っていることを率直にどう思うかと提題者に質問した場面である。強烈な質問だった。優秀な履修生たちなのだから、発言する教員もまた試されているのだ。ここでまた偉そうなことを書きながら、襟を正す思いである。

 大きな理念を持ち、懐深く履修生に向き合ってくださった提題者に感謝する。


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