● 超域展開力・ワークショップⅡ
「問題解決技法」
教員授業レポート

「どんな問題でも」挑んでいける種をまく

担当教員:平井 啓(未来戦略機構)
山村 麻予(未来戦略機構)

Texted by 山村 麻予

■「問題」を解決するために、「問題」を知る

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 大阪大学超域イノベーション博士課程プログラムでは、「未知で複雑で困難な社会的課題の解決」に挑むことができる博士人材の育成を目材しています。課題、つまりは問題(problem)には、そこに関わる人や要因の規模によって「サイズ」があります。大きなものから言うと、社会の問題、組織の問題、そして最小のものが個人の問題です。本講義では、履修生個人の問題に焦点を当て、その問題を解いていく過程を、事例検討をふまえながら、実践的に学ぶことを目的としています。

 さて、この講義はまず「問題とはなにか」を定義することから始まります。個人の現状を省みて、適切な問題設定を行うことができるか否か、それが何よりの「問題解決技法」です。本講義では、問題とは「What is」と「What I want / should be」の差と定義します。超域生たちを含め、大学院生・研究者たちは、この問題設定を日々の研究活動の中で行っています。たとえば、「ある病気の治療法が分からない」という現在の状態(what is)を認識した上で、理想的な状態(what I want)を「治療法が確立している」と設定し、このギャップを埋めるために自らの目標を設定し、あらゆる解決策を考え、実行していく。まとめて言えば、現状をいかに正確に把握できるか、理想または「そうあるべき姿」との差を埋める手段を間違わずに選べるかということこそが、この講義で言う「問題解決技法」なのです。

■研究者が得意なことを、日常生活に汎用する

 研究で問題設定と解決を繰り返している研究者は、自分の専門分野に限れば,問題解決技法を身につけていると言えます。すなわち、一般の人よりも問題解決の過程を繰り返し経験しており、専門研究を行っている者の強みといえるでしょう。しかし、それは無意識または研究者文化の一部として有しているのであって、それを日常場面、とくに対人場面で「問題を分析してみよう」「じゃあその解決策は…」といった具合に転用していくことは難しく感じます。どんなに優秀で、研究における問題設定が上手くても、自分自身の対人関係についての問題設定ができないというのは、よくある話です。つまり、彼らは「ようし、今から問題を設定するぞ!」と意識して日常生活をしていないことが多いのです(もちろん、研究者に限らず、一般のひともそうですが…)。そしてまさか、「問題の発見」と「目標の設定」こそが研究者自身の強みであるとも、認識していないのかもしれません。

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 本講義では、ケーススタディや事例紹介を通して、身近な個人の問題(たとえば、早起きしたいのに起きられないとか、もっといろんなことをしたいのに時間がない等)に対して、問題を設定(定義)し、その目標の設定、解決策のブレストや選択方法を学んでいきます。その後、受講生は各自がかかえる問題に一週間でとりくみ、まさに実践で「問題解決」を行います。この「問題解決」を行っている模様は2014年度履修生の堀さんがまとめてくれているので、ぜひご参照を(チョウイキジジョウ:実践!“どんな問題も”解決できる方法 トランスファラブルスキルズ・ワークショップⅡ授業レポート)。普段の研究で何気なくとりくんでいる問題の設定、目標設定、解決、評価といった流れを客観的に分析し、そしてさらに他の受講生たちと議論し合うのは、超域プログラムならではかもしれません。

■問題の定義は人それぞれ

 今年の個人の「問題」も、多種多様でした。たとえば、毎年一人は問題として取り上げる「時間がない」問題。主専攻の研究科での専門教育の他に、プログラムでの活動もある履修生たちが、両方とも授業が詰まってきて忙しくなってくる一年次の初夏に苦しむ問題ですが、この問題をどのように定義するかは、さまざまです。ちなみに、履修生レポートを書いている堀さんも、広い意味ではこの「時間がない」問題に取組んでいたと言えます。

【「時間がない」問題をいろいろと定義すると…】

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 このように、同じ問題でも切り口が異なるため、それに基づいて設定する目標も、解決策も異なります。どうして切り口が異なるかは、例に挙げたような日常的な問題であれば、自らが一番「これはあかん」と思っている箇所が違っていたり、それぞれの「しんどさ」が生起する要因が異なっていたりすることが原因です。このとき、「いや、それはおかしい、この問題はこう切るべきだ」という否定的主張を行うべきでないことは自明だと思います。

 普段、超域生がディスカッションの課題とするような社会的課題でも、個人によって切り口が異なります。この場合は、それぞれの専門性によって問題の捉え方が変わってくるのです。問題の規模が大きくなると、先ほど「行うべきでないことは自明だ」といった否定的な主張が発生しかねません。なぜなら、そこにあるのは個人の悩みや痛みではないことが多く、「専門性」というそれぞれの正義を持っているからです。しかし、この「捉え方が違う」ことを知り、受け入れることこそ、超域プログラムで得てほしい体験の一つだと私は考えています。

■問題は「問題」なのか?

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 さらに、この講義では個人の問題定義や目標設定を行って行く過程で、グループのなかで議論したり、クラス全体に発表したり、自分以外の受講生からも指摘を受けます。もちろん、授業担当者である平井先生や私もコメントします。二人とも心理学者なので、日常生活に関する問題(を人間がどうとらえるか)については、かなり辛口に指摘を入れているようです。たとえば、「課題がギリギリなのがダメっていうけど、期限内にすべて間に合っているんでしょう?じゃあ問題じゃないのでは?」「だらだらしたくないって言うけれど、だらだらする時間って大事じゃない?なくしてしまって、いいの?」などなど。

 せっかく問題定義が上手く行ったのに!目標も設定できそうだったのに!というものでも、「それって、果たして問題なの?」という指摘ができるのは、違う視点を持っている他者ならでは。理想とするものが高過ぎて、今の自分と差がある=問題があると認めてしまう、という状況は、誰にでもよくあることです。また、今の自分を正しく認識していない場合も、理想と大きな差が生じてしまうので、問題がある!と思ってしまいがちです。そんなとき、正しく理想を設定したのか、現状を把握できているのかといったこと、つまり「それは問題といえるのか」という見方ができるかどうかで、かなり「問題」の捉え方が変わります。

 欲を言えば、そんな客観的な指摘を自分自身対してすることができる力を超域生にはもってほしいなあ、という希望もこめて、最終発表のときでも指摘しました。「体力回復できるような睡眠をしたいっていうけど、そもそも眠れば回復するものなの?」

■問題解決の過程で必要なもの

 このように、本講義では問題を定義し、目標設定し、解決策をきめ、実行し、評価するという一連のプロセスを行う中で、さまざまなエッセンスを体験できるように設計されています。ざっと挙げた中では、「問題の設定」が簡単ではないことを知ること、同じ問題に向き合っても切り口や捉え方が異なることを体験すること、そしてその差異を受け入れて柔軟に吸収すること、最後に客観的な視点、メタ的な視点で確認すること。

 決して授業中にこれらのことを明示的に伝えているわけではありませんが、汎用するための種をまくことができていれば良いな、と思いつつ、今後の彼らを見守っていきたいと思います。