TEXT BY 金 泰広
研究科:理学研究科
専攻:物理学専攻
専門分野:原子核理論(強い相互作用の現象)

木曜日の朝はひどく目覚めが悪かった。
遅々として計算が進まない問題を二つも抱えたまま
三日間の合宿を行うという現実は気が滅入るものだった。

年が明けるまではこの合宿を楽しみにしていた、もう一度本気で体を動かせる機会が純粋にありがたかった、それなのに当日の朝は計算ができないということで頭の中はぐちゃぐちゃだった。どうして自分の気持ちは思う様にならないのか。冬空の下を走るバスに揺られて眠ることもできずに問い飽きた問を性懲りも無く繰り返していたことを冷静に覚えている。そんなことをしても沈んだ気分が良くなることは無いのだが、少なくとも落ち着けた。こういった少しでも生き易く過ごすコツはこの一年、超域の活動を通して少しずつ身に付いて来たと実感する。でも後もう少し生き易く生きていけたなら。結局、いや予想通りに、気分は沈んだままバスは会場に到着した。ただそのときは、この3日間で正に欲してきた生きていくための術を学ぶとは露程も思わなかった。

着替えを済ませドームに移動して、早速体を動かすこととなった。ドームの人工芝は足裏に引っ付くようで、市販のスニーカーでも問題なく走れそうで少し安心した。最初のアクティビティは当然ウォームアップだ。ただその内容は軽いジョグや腕を回すといった陳腐なものに納まらない。四股の正しい踏み方を初めて知った。走るための体の使い方を初めて学んだ。正しい姿勢で歩くことの難しさを初めて経験した。「腸骨と恥骨のなす三角形を地面に垂直に保つ。顎と喉の間に拳が一つ入るイメージで視線を保つ。そして腰の付け根を後ろから押される感覚で歩く。」自分が小走りの速さで歩けたことに驚いた。そして高度なことが出来る様になることが楽しかった。体を動かす喜びってこういうことだったな、と思い出し始めていたがちょうど終わりの時間がやって来てしまう。マラソンのためにお昼は軽めにすべきかな、などと素人にありそうな物思いをしながらドームを後にした。朝の憂鬱など何処へ行ったのやら、とにかく合宿への気持ちが湧いてきて晴れやかな気分だ。

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お昼の後、まずは体力測定。冷えた体を少しほぐして、立ち幅跳びから始まり、50m走、3kmマラソンと続く。運動下手というコンプレックスは自分の中でもう解消したのだが、立ち幅跳び、50m走の結果が出るたびに一瞬、どうにもやるせなくなってしまう。ただマラソンだけは、もうこの競技しかないという緊張感からそこそこの結果を出した。クールダウンにドームを一人ぐるぐる歩く。走り終えた体が軋む、しかし思考はクリアーに。マラソンでベストを尽くしたという満足感が何かを思い通りに出来る喜びというメタファーへと転化してゆく。手を抜きたくなる自分を完全に押さえ込む、全力を出し切りたいという理想を実現する。思い通りにならないことばかりが溢れる日々で忘れていた、試みが成功したときの喜びは大きいことを。出来ることが嬉しい。この再認識でなんとかもう少し上手に自分をモチベートできないか、そしたら自分はもう少し、もう少し。などと思考の海にのめり込んでいる間に最後のランナーは帰って来ていたようだ。まぁ一つの発見で悪癖が全てなくなる程自分は単純でもなし。少し後ろ髪を引かれるが、次のホッケーへと心を切り替える。

ホッケーの練習からチーム毎のアクティビティとなった。競争が好きで、やるからには本気になる程自分は好戦的なのだが、チームメンバーは静かなメンバーだった。これもマーフィーの法則か。叫んだり円陣を組んだりしてもチームのモチベーションは逆に下がるだろう。だから練習に専念してモヤモヤした思いを消そうとした。実際ホッケーのスティック操作はそれだけに熱中できる程難しかった。だからボールを掬う、運ぶ、リフティングするといった基本動作の一つ一つを練習するとき、体の使い方を絶えず意識する、少しでも上手くなるために体の使い方を頭で考え続ける。心身ともに削られる作業だが、ほんの少しずつでも上達することが楽しかった。結局最後の練習が終わるまで集中は切れなかった。

夕食も入浴も済まして、一日目最後のアクティビティ、メンタルトレーニングの時間となった。暗闇の中瞼を閉じて床の上に寝転がり気持ちを落ち着かせる、そして鞄を持ち運ぶイメージを作り上げる。それだけの簡単なトレーニングに生き易く生きるヒントがあった。落ち着くため自分に働きかけること。呼吸一つとっても、吸い込んだ冷たい空気が喉を通るのを感じながらお腹、胸を順に膨らませてゆくこと、吐き出すときはお腹が凹み肋骨が閉められてゆくことを全て意識する。自分の働きかけた様に体が動く、自分の体をコントロールできた、そうすると今度は気持ちまで穏やかに感じる。思えば今日一日、自分の体に意識を働きかけ続けた。体をコントロールする試みが上手く行く喜び、そして体を通して気持ちさえポジティブに変えれる喜び。今日の経験はなんて貴重なものだったのだろう。苦しんでどうしようもなかった自分を変えられたのだ、自分は自分をコントロールする術を知ったのだ、ととても大きな安心感があった。

二日目の朝も自分に働きかけるアクティビティから始まった。ピラティスという一種のヨガ、再びのイメージトレーニングを通して穏やかな気持ちを作り出せた。そしていよいよチーム対抗のホッケー団体戦が始まる。所詮は素人の集団、できることは限られているチームの戦術は極めてシンプルに、パスのルートを常に確保すること。だがいざ試合となるとパスの繋がらない泥仕合に。こぼれ球を必死で追う。ゴール前で体がぶつかり合う。止まってしまう足を無理矢理動かす。とにかく自分が出来ることは何でもした。4人制の少人数ゲームゆえどのメンバーが手を抜いてもゲームに勝てない、個人の頑張りはそのままチームの力になった。生きている実感がした。全力でぶつかり合える相手がいて、自分が必要とされる環境がある。この歳になって初めてチームスポーツの醍醐味を経験したが、実に新鮮だった。

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スポーツ、そしてスポーツを通しての自己改革に夢中になっていたのだが、体はなまりきっている。ホッケーの次のアクティビティで両足がつり盛大に転んだ。肉体的にはたいしたアクシデントではないが、合宿のモチベーションが下がっていく。楽しい時間に水をさされた、残りのアクティビティは気を使わなくてはならないのか。出来ないことが現れると嫌になるのがかなしい性。なんとか気持ちを上げようとしたのだが、どうにもモチベーションが上がりきらないままテコンドーの、二日目最後のアクティビティの時間が来てしまった。ところが結局足の違和感なんてものは足を動かすことが一番の薬だった。出来ることが増えるに従って楽しい気持ちも戻ってくる。なんと都合のいい生物なのか、いやしかし滅入る原因に直接対処できるのならそれが一番ということか。とにかく興奮した状態で最後の試合を迎えられたこと自体嬉しかった。試合はトーナメント形式、人数の関係で同じチームのメンバーとの対戦になった。勝ち上がる方を決めといて体力を温存する出来試合をすることが正しいチームの戦略だがそこは超域生、やるならば全力。延長戦にもつれ込む程蹴り合った。結局試合には負けてしまった。でもそのとき思ったことは勝ちたいとか悔しいとかより、もっと試合をしたいということだった。ぶつかり合う相手がいて、全力を出せる環境がある。生きている実感がする。この実感をもっと感じていたかった。

最終日のアクティビティは最後の駅伝だけだった。ここまで来ると全力を出して勝って終わる、という目標が自然に持てるようになる。これだけの経験をして、帰りのバスに揺られながら過ごす時間はきっと良いものだろう。気分よく駅伝も終えた。これからこの合宿で学んだことで大学生活がよくなること考えると、とても安心できて嬉しい気持ちになった。

 

追記 できなかった計算はその一週間後に解けた。また次の解けない計算に出会うが、落ち着いて向き合えている。