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− 問題の再定義 −

 第1週のフィードバックに基づき、問題の再定義を行った。  新しい問題は、自身が理想とする状態(What I want)を「自分が満足できるくらいきちんとした自分であること」、それに対する現在の状態(What is)を「時間にルーズな点等、自分で嫌になるほどだらしない部分がある状態」と定義した。再定義した問題の解決に向け、自分がきちんとしている・偉いと感じた行動は何か、まただらしない・改善すべしと感じた行動は何かを明らかにするために、第2週目の7日間モニタリングを行った。 TF_img_03
モニタリングの結果(表2参照)、自分をだらしないと感じる行動については朝と夜に集中していた。朝の主な問題は、遅刻や、時間がなく化粧をせずに大学に行ってしまうことなどであった。モニタリングにより、私が朝行いたいタスクは、遅刻しないこと、持ち物を正しく持つこと、身だしなみを整えること、朝食をとること、化粧をすること等であるとわかった。しかしこれらをすべてこなす時間が朝に確保されていないため、優先順位の低い化粧や授業への時間通りの出席が達成できないことが問題であると考えられた。朝の時間が足りない理由は、単純に朝のタスクが多いことと、この行動にこのくらいの時間がかかるだろうという見積もりが甘く、必要な時間を確保できていないことが考えられた。

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 また夜に関しては、洗い物がたまることや寝落ちなどが多かったが、これらの原因は、疲れが出る前の動ける時間帯に夜のタスクをこなせていないことであると考えられる。また夜のタスクをこなせなかった日の翌朝は、朝のタスクが余計に増えてしまい、遅刻してしまうなどだらしない行動をとってしまうことが多かった。つまり、夜のタスクを完了してしまわなければ、翌日の朝も余裕をもって行動できないという、だらしない負のスパイラルに、おちいってしまっていたのである。


− きちんとした自分になるための解決方法 −

 この分析から、夜のタスクを夜のうちに完了して朝のタスクを減らすことと、朝のタスクに対する時間の見積もりをより正しく行うことが、自身のだらしない行動を抑制するために重要であるとわかった。よって第3週目の行動目標は、「夜のタスクや翌朝の準備を、夜や夕方に帰宅してすぐ元気があるうちにやっておき、就寝前には翌朝準備にかかる時間の余裕をもった見積もりを書き出す」というものを設定した。前日のうちに行えたことと翌朝の見積もり、さらに行動の結果を記録し、夜タスクを完了するという意識の有無で問題が解決に近づいたかを評価した。
 行動目標を実施した結果、朝晩のタスクを前もって行うことで、朝の時間に余裕ができ、自分のだらしなさを改善できたことへの満足感を得られた(表3参照)。特に、夜早い時間にできる準備をしておくことは意外に楽しく、朝のタスクを減らすのみならず、「自分はきちんとできている」という意識や満足感を得ることに寄与した。この満足感は問題を本質から解決する良いサイクルにつながるため、自分の行動に対する自身の評価や満足感に焦点を当てた第2週からのアプローチは正しかったと考えられる。

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授業から得られたこと

 トランスファラブルスキルズ・ワークショップⅡの醍醐味は、学生自身が当事者として自分の問題を定義し、その解決を実践するという点である。  今まで受講してきた多くの授業では、社会に存在する課題等を講義で学び、それをどう解決するべきかについてレポートを書く、という形式で授業が行われていた。このような授業で扱う“課題”においては、学生は必ずしもその当事者ではない。一方、本授業では、学生自身が問題の当事者としてその解決にあたる経験をすることで、実際に課題解決に立ち入る際に必要となる発想や視点を養うという、非常に斬新なものであった。  今回の問題解決を通して、問題をメタな視点で定義することの重要性と、自分が問題の当事者になった時にその視点をいかに失いやすいかを学ぶことができた。その学びは、理想に対する自分の現状を改善できたことと、その理由に対する考察から来るものである。  私が本質的な問題解決に至るのに重要であったのは、第1週目に定義した問題に対する「そもそもなぜ遅刻したくないのか」という問いから、問題を再定義し直した点であった。この「そもそも」を問い直すことが、つまりよりメタ的な視点で自分の問題を捉えることであり、問題を本質から解決するためにその視点がいかに重要であるかを強く認識できた。 TF_img_04
 加えて、平井先生の「そもそも」を再考する問いは、普段私が自身の専門である環境問題を考えるときに「そもそもなぜ豊かになりたいのか」など、頻繁に自分の中につきあがってくる類のものであったにもかかわらず、今回の課題ではその視点を持てていなかったことに気付いた。私は他の学生や学者が、そういった「そもそもなぜ…」という問いを発することなく持続可能性等について議論することをもどかしく思うことすらあるが、その自分が、自身の問題についてはその問い方を忘れていたのである。このことに気付いたことで私は、問題の当事者となることで問題を認識するメタ的な視点をいかに失いやすいか、問題に当事者として関わるか解決者として関わるかで問題の見え方がいかに異なるかを学んだのである。
 他の学生はまた違った学びを得たはずだが、私にとってこの授業は問題解決のための思考法を学ぶだけでなく、課題の当事者と解決者の間にある差異を超えるための授業となった。そして得られた学びは、当初の私の予想を大きく超えたものであった。たった5回の授業の中に、様々な「超える」が隠れている。まさに超域ならではといえる授業であった。

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