TEXT BY 金 泰広
研究科:理学研究科
専攻:物理学専攻
専門分野:原子核理論(強い相互作用の現象)

 2月17日から3月7日にかけての北米プレインターンシップは、心の奥底に潜んでいた将来の不安を克服する経験となった。
 否応なしにグローバル化に対応せざるを得ない日本社会を生きるのならば、いっそグローバルな競争社会に身を投じて最前線を走り続けたいと考えていた。だからプレインターンシップで、グローバル競争の中心地であるアメリカを訪問した。どうしてもこの目で、自由の国で働く人々の有り様を見たかったから。
 両海岸のカリフォルニアとボストン、ニューヨークで様々な知識生産者の人々と懇談させて頂いた。大学院生、ポストドクター、金融を生業とする方からシステムエンジニアの方まで本当に様々な人々のお話を傾聴出来た。彼・彼女達が私に伝えた共通のメッセージは、「あなたが本当にやりたいことをやりなさい」というもの。本当にやりたいことでないと続かないから、熾烈な競争社会で持続してゆく為の膨大なエネルギーを自身で生み出すことが出来ないから。
 このメッセージを重く受け止める一方で、悩ましい寂しさが私を襲った。私が本当に突き詰めたいことは、自然の深遠さであって、物理学の中でも特に抽象性の高い量子色力学の研究である。私には量子色力学が、ひいては原子核理論物理が、社会の役に立てる展望が全く見えなかった。そして自身の興味が純粋な知識という価値しか生み出さないことが苦しかった。あなたの好きなことをしなさいと推奨する一方で、社会的貢献・価値の生産を要求されていると感じてしまうことが私の心を重くしていった。
 私が積み重ねて来た知識は、社会の役立つ類のものでは決してない。それでもなお私はこれからどうやって社会に貢献するのかを突き詰めて、突き詰めて考え抜いた。そしてふっと気付いたことは、社会の役に立つということは、原子核理論物理が役に立つ、立たないよりも、「私」が出来ることを持ってどう役に立つかではないのかと。バカな言葉遊びのように見られてもしょうがないが、この意識転換が私にとってのイノベーションだった。
 様々な人間が生きていく。彼・彼女らに与えられるモノは、プロダクツやお金といった物質的な物から教育や言葉や機会といった概念的なモノまで様々あるけれども、何がその人を助けになるのかはとても難しいことだ。人の心の内なんてものは、結局分からないのに、その人の内面を揺さぶることができないと到底至らないからだ。だから私が、希少な原子核理論物理の知識をもっともっと広く発信してゆくことは誰かに衝撃的な知識をもたらす、価値のある取り組みではないのだろうか。
 今振り返って、正直に認めてしまえば私は原子核理論物理の探求に没頭することが怖かったのだ。役に立たないことを突き詰めて、これから生きていけるのだろうかと思って。だけど今私は、自信を持って本当にやりたいことに没頭している。