TEXT BY 藤田 朋美
研究科:理学研究科
専攻:物理学専攻
専門分野:原子核物理

 3月21日から4月4日、海外フィールドスタディとしてニュージーランドとクック諸島を訪れた。その中でもクック諸島のマンガイアではホームステイをさせていただいた経験は今までで最も「普段と異なる環境」に自分を置く経験だった。
 学んだことははっきりと言葉に表せられないことも含め、無数にある。その中でも、強く私の心に残り、影響を与えた言葉2つについてここに書きたい。
 1つは「お金かMANAか」。これはクック諸島にいく前、ニュージーランドで一緒に過ごしたある人が教えてくれた言葉だ。すべてのものにMANAがある。MANAとはすべてのものに宿るスピリチュアルな、パワーのようなモノらしい。その話を聞いたとき、日本古来の「八百万の神」や「魂」と少しイメージが一致した。伝統的なダンスを踊るにも、工芸品を作るにも想い、MANAをこめる。しかし、近年、観光地で売られているものはシンガポールやフィリピンなど他の土地の工場で安く作られているものが多く、それに込められた「想い」はない。売り手側としても商品が売れなければ、観光客が来なければ経済は成り立たない。しかし、それはお金のためにMANAを売ることになっているのではないか。買い手としても旅行の土産に思い出と少しのそれらを思い出せるものが欲しい。しかし、想いのないものになんの意味があるのだろうか。そう問われた時、「ジレンマだ」としか答えられなかった。今、聞いた話が間違っているとは思わない。しかし、買い手も売り手も間違っていると一概には言えないだろう。これについてはこのフィールドスタディ中、考えることとなった。
 2つめは「Freedom」について。これはクック諸島、マンガイアでの話である。マンガイアでは各学生が違う家庭でお世話になり、ホームステイをさせてもらった。ある日の夜、夕食を食べているときにホストマザーは「ここの生活をどう思う?」と私に聞いた。まだ2日目か3日目のことだったと思う。私は思ったことそのまま「すごくきれいだと思う。海も、島も、人の笑顔も。」と答えた。そうすると「それはここにはFreedomがあるからだ」という。私はそれまで漠然とではあるが「Freedom」というのは選択肢や権利が多いことだと思っていた。選ぼうと思えばなんでも選べる。それを誰かに禁止されることがない。そういったものを「Freedom」と呼ぶのだと。しかし、その島はそうは思えなかった。のどかでいいところではあるが、島の外に行くにも船や飛行機を使う必要がある。それは私が日本でバスや電車に乗るような簡単なことではない。学校も18歳までの学生が通うカレッジと小学校が2つあるだけだ。もし、物理を学ぼうとすればこの島より出て行くしかない。そう悩んでいる彼女が私にいったのは「ここではみんなが好きなことをしている。食べたいときに食べたいものを食べ、寝たいときに眠り、遊びたいときに遊ぶ。」そして「私たちは自分で決めている。自分で選んでいる。」と。確かにここの人は自分で選んでいる。その自分で考え、自分で選ぶという感覚は私よりも強いかもしれない。どうしても選択肢が多すぎたり、選択しなければ行けないことが多すぎたりしてしまうと「なんとなく」決めることも出てきてしまう。「自分で選択する」という実感の強さ、「選択している」とはっきり言えることが彼女のいう「freedom」なのではないだろうか。そう思うと彼女たちの柔らかい笑顔の理由が少しわかる気がする。また、違う日に他の人から「ここにいるかぎりFreeだ」と言われた。彼はオーストラリアで教育を受け、仕事もしたことがあるが、マンガイアに帰ってくることを選んだという。その理由は「お金」から自由になりたかったと言うことだった。例え、どこにいたとしても生きる上で衣食住は必要になる。日本で住む私にとって、服を買うのも、食べ物を手に入れるにも、マンションを借りるにもお金がいることは当たり前だった。しかし、言われてみれば、それらと私の間には必ず「お金」が介在している。その私自身にとっては疑問に思ったことがないほど当たり前のことが彼にとってはそうではなかった。「お金」に縛られている、「お金がないと生きて行けない」というプレッシャーに押しつぶされそうだった、と。マンガイアでは先祖からの土地と家があるし、食べるものもなければ釣りをしてもココナッツをとってもいい。お金があればほんの少しいい生活ができるが、なかったからといって生きていけないわけではない。そんな生活があるなんていままで考えたこともなかった。しかし、確かにそうである。決してお金が悪だというわけではない。しかし、そうじゃない生き方だってあるはずだ。だから、この島に戻ってきたのだと、その人も柔らかい、優しい笑顔で話してくれた。
 たった数日、本当に短い期間だった。それでここの人のすべてがわかったなんて思わない。しかし、このフィールドスタディ中、私はたくさんの私の中での発見や疑問に出会い、感じ、考えた。全く違う考え方や文化に「触れる」という経験ができた。そして何より、あの場所が、出会った人たちが大好きになった。だからこそ、最終日に私が考えたことは悲しくてしかたない。最終日、海から帰る車の中で「あなたは本当にここが好きだね」と言われたときに思ったことがある。「どれだけ私がここを好きでも、ここで私にできることはあまりに少なすぎる」ということだ。私が今持っているものは、私が選んできたものはここではあまりに使えなさすぎる。だから、どれだけここが好きだとしても、私は決してこの生活を選ばないだろうと、私にできることがある場所を選ぶだろうとなぜかふと思ってしまった。
 それでもまたいつかあの場所に行きたい。あの人たちに会いたい。そう心から思う。きっとそのときは私に笑いかけてくれるだろう。
 自分にとってfreedomは何なのか、自分が何を選ぶのか考えていきたい。だけど、同時にあの柔らかい、笑顔のきれいな人たちがいることも、その人たちの教えてくれたことも自分が感じたことも忘れずにいたい。そうすれば、私も、あの島にいなくても、少しは今までよりも柔らかい笑顔で笑えるのではないだろうか。
 最後にこのフィールドスタディでお世話になったすべての人と機会を与えてくれたプログラムの皆さんに感謝を。