ダショー・カルマ・ウラ

■【セッション②:ダショー・カルマ・ウラ】
私達は何を大切にすべきか

【担当】法学研究科:常盤 成紀

 ダショー・カルマ・ウラは現在ブータン研究所the Centre for Bhutan Studiesの所長であり、ブータンのコア政策であるGNHの指標作成を主導したひとりである。またイギリスのオクスフォード大学で哲学、政治学、経済学を修め、エディンバラ大学で経済学の修士号を取得した経歴を持ち、洋の東西を問わない幅広い見識を有した人物である。今回われわれは彼のオフィスであるブータン研究所を訪問し、GNH政策、ブータンにおける民主主義、文化や慣習のもつ意義などについてお話を伺った。

GNHとは

 GNHとはひとことでいえば、社会のデザインである。われわれはこの世界のあらゆるものに責任を負っているが、同時にすべてのものごとは幸福happinessにつながっている。よってGNHとは、幸福や心の平穏の獲得に向けてわれわれが取り組むべき指標を指している。またそこでは、個人の利益を強調することは避けられている。
 もちろん発展の指標は、人びとの関心の変化によって変わるだろう。それを恐れることはないが、いずれにしてもGNHは人びとがそのときに何を望んでいるかを計るものである。そして同時に、いま社会が変わっていく、その様子を捉えるものでもある。

ブータンにおける民主主義の意味

ダショー・カルマ・ウラ2

 われわれブータン人が共有している価値は、共同体への参加participationであり、万物に対する責任responsibilityである。反対に、個人主義は歓迎されるべきことではない。民主主義も同様に理解されるべきである。近代西洋の考え方では、民主主義とは選挙による代表のことを意味しており、それは個人を権力に結び付ける装置である。しかしわれわれは、政治家は個人や個人の利益ではなく、コミュニティを代表していなくてはならないと考えている。そして今日、個人主義的な民主主義は崩壊している。だからこそ、参加と責任に基づく民主主義が必要なのである。

家族とは何か

 家族とは、消費の最小単位である。GNHの指標に「家族」が掲げられているが、それは家族であることだけが重要であるという意味ではない。実際の調査でも、既婚者と未婚者との間で幸福度に大きな差はなかった。しかし重要なこととして、家族を持つ者と家族と死別した者との間の幸福度にはかなりの差が確認された。この意味で家族の存在は、その人の幸福度を大きく左右するといえるだろう。

文化の持つ役割

 情報社会に住むわれわれはいま、とても速いスピード感の中で生きている。しかし往々にして、せかせかした生活でわれわれは、自分自身を見失ってしまっている。つまり、スピードは忘却をもたらす。その中で文化や慣習は、その速度を緩めてくれる働きを持っている。宗教的な慣習、伝統的な分化は、いつも変わることがなく、ある時期、ある条件になれば、いつも同じことが繰り返される。その繰り返しは、目まぐるしく変化する日常の中で、その変化から切り離された、スピードのない世界を作り出している。そのゆったりした生活は、われわれに自分自身をしっかりと見つめさせてくれる。スピードが忘却をもたらすならば、スローはメモリーをもたらすものであるといえる。

幸せになる方法

 幸せになる方法は五つある。まず、体を鍛えることだ。そして心を開き、考えすぎることをやめること。また、よく寝ることも必要だ。くわえて、他者とよい関係を築くこと。最後に、だれかを助けるような人生を歩むことだ。
 今回の対談の中で報告者は、ブータンの「ビジョンある国づくり」に関心を抱いた。明治期において、日本の近代化のために日本に西洋的なものを取り入れようとしつつも、完全に日本の文脈に翻訳しきれないものと格闘し続けた福沢諭吉のように、ブータンの知識階層もまた、ただ単に西洋的な概念や技術を輸入するのではなく、「ブータンのために何が必要か・どういう社会にしていきたいか」という軸を中心として、西洋的なものにたいして、一方では取り入れ、他方では距離を保っている。たとえば民主主義について彼らは、西洋で受け入れられてきた個人主義観を拒絶し、共同体への参加と責任の観点からとらえ直している。また、「家族」や「文化」がなんであるかについて、仏教などに基づく明確な回答をもっており、それがGNH政策の基礎となっているところにも、ブータンの知識階層がおこなう、ビジョンある国づくりをうかがい知ることができた。

■【セッション③:ダショー・キンレイ・ドルジ】
ブータンの知性に聞いたGNH

ダショー・キンレイ・ドルジ

【担当】工学研究科:岡村 昴典
工学研究科:澤井 伽奈

 キンレイ・ドルジ氏は米国コロンビア大学で修士号を取得し、ブータン初の新聞『クエンセル』紙の初代編集長・最高経営責任者を長年務めた、ブータンのジャーナリズムをつくりあげた人物です。2006年にはその功績を認められ国王からダショー(ブータンに対して偉大な貢献をした人物に与えられる称号)に任じられました。現在は情報通信省次官として活躍されています。

Happinessは測れるのか

 国家の発展の指標としてHappinessを掲げるブータンに対し、訪問前 私たちはそもそもHappinessを測る事ができるのか?という疑問を抱いていました。キンレイ・ドルジ氏によると「Happinessというものはそれぞれの心の深い部分に存在するもので、測定は難しい。しかし、Happinessをもたらす条件を提供する政府の行動の評価・測定は可能。」と仰った。また同氏が、「その条件を整えることこそが政府のResponsibility(責任)だ」と明確におっしゃっている姿が印象的でした。この視点は経済規模の指標GDPで国の発展を評価する見方をする機会が多い日本のような経済先進国にとって、非常に示唆に富んだものであると感じました。

グローバル社会において「足るを知る」ためには

 ブータンのもつ魅力,神秘的なイメージは一体どこから生まれるのでしょうか。独自の文化を保ち続けていることは大きな理由の一つでしょう。ところが近年、インド経由で海外の情報が大量にブータンに入り込み、ブータン人の暮らしが徐々に変わってきているそうです。ブータン文化の「足るを知る」感覚が薄れ、物質的なHappinessを求める傾向が現れつつある状況が存在するそうです。それに対し、ブータンの伝統を守りたい立場とジャーナリストとして様々な情報を発信する立場 双方の視点を持つ氏は「入ってくる情報をとめることは出来ない、大事なのはクリティカルシンキングだ」と仰っていました。氏とのセッションを通じ、ブータンの心と西洋的な合理的思考法を併せた深い見識に触れることが出来ました。

ブータンと日本の比較

 キンレイ・ドルジ氏は現在のブータンは昔の日本とよく似ているとおっしゃいました。この言葉は日本もよく知るダショーならではの言葉だと感じました。確かにブータンは近代化しているとはいえ、目に映る風景、住宅や人々の暮らしはどこか懐かしく世界の技術や経済の発展からは少し距離を置いているように思えます。そう、おそらく氏の言葉通り今のブータンは昔の日本と似ているのでしょう。しかし未来のブータンはどうでしょうか。環境や文化も重視したGNHという独自の指標のもとで発展するブータンは、日本のような経済大国や急速に発展してきている他の発展途上国とも全く違う発展を遂げることが予想されます。多くの発展途上国が日本の過去をなぞるように日本が過去に直面したような環境問題、社会問題に見舞われています。この過ちの連鎖を、GNHは、ブータンは、断ち切れるのではないかという希望を持ちました。

【セッション④:ツェリン・ドルガー】
ブータンで戦う女性

ツェリン・ドルガー

【担当】理学研究科:稲富 桃子
言語文化研究科:ン レイ ション

 RENEWは、家庭内暴力や性的暴力に遭った女性や子供たちのケア、そしてその自立した生活に向けての教育支援や経済的支援を行うNGOである。今回の講演者であるツェリン・ドルカ―さんご本人は、高校教員としてそのキャリアを始められ、カナダの大学でカウンセリングの修士号を取得、現在はRENEWのカウンセリング部門のディレクターとして活動している。いままでのセッションでは、伝統的なブータンの価値観に基づいた「どうすれば人々が幸せになれるか」という議論が多く、また、たまたまお話を伺った方が全て男性であったため、今回の「実際のブータンのダークな部分、そしてそれを解決するための取り組み」についてのお話、かつ今回のFS初の女性話者ということで、非常に新鮮かつ印象深いものだった。

 とくに、ブータンは自殺が多いという事実が私にとっては衝撃的で、「幸福の国なのになぜ?」と頭によぎった。日本での自殺者は中高年の男性が多いが、ブータンでは若年層の自殺が非常に多いという。その原因として第三位にDV(domestic violence:家庭内暴力)が入るとのことであった。このDVの問題に、どうやってアクセスし、解決できるのかを考えたNGOがまさにRENEWである。

 一昔前の日本では、DVなどの家族間の問題は、家の中の問題として、あまり公にはされず、解決がなかなかできない状態であったという。現在のブータンはその時の日本と似た状態で、「DVを口外するのは恥ずかしい」と被害者が思ってしまうのである。RENEWでは、被害者の背景事情によって、それぞれ最適な解決方法(例えば、家庭内暴力を発見した場合、被害者を病院へ送るか、警察を呼ぶか、カウンセリングのみで様子を見るのか、など)を決定する。外部の人間の「こうした方がいい!」という一方的な判断ではなく、被害者の方に寄り添った支援だと感じられた。

 「『RENEWが出来てから、女性たちがえらそうになった!』という意見もあるのよ」という笑い話も出てきたが、このような話題が上がるという点においては日本もブータンも変わらないな、と純粋に思った。ただ、目指す「女性の幸せ像」は若干異なり、日本では「家庭の中だけには囚われず、自由に社会に羽ばたくのが理想」というようなイメージであるが、ブータンではただ女性の自立(家庭からの解放)を目指すのではなく、「それでもいい家庭を築くのが女の一番の幸せ」であり、「女は家」という考え方を保持していた。日本とブータン、どちらの理想像の方がいい、という話ではないが、ブータンの理想の幸せ像に新鮮さを感じてしまうところに、己の日本人性を再認識した。

 ツェリン・ドルカ―さんご本人がとても良い人柄の持ち主で、「やさしい近所のおばさん」という印象を受けた。話しかけやすく、非常に親近感の湧くお方だったが、そのような女性がブータンという国で、他の女性を救うために戦っているという事実を知り、彼女がとても格好良く見えた。

終わりに

 未知の空間に足を踏み入れることは、多くの人にとってと同じように、私にとっても不安と期待に満ちている。今回のフィールド・スタディもそうだ。山の合間を縫った着陸から始まり、細い山道を四駆で駆け抜け、唐辛子に涙し、腹を下した。農村の人々の笑顔に迎えられながらも、蝿の集る空間にはぎょっとしつつ、しばらく経てばそれも慣れてくる(人によるかもしれない)。ふと見れば、似たような顔がこちらに笑いかけてくる。伝統舞踊を共に踊り、こちらもソーラン節を笑いながら踊り返してみる。共有し難いことはたくさんある。たったの二週間で「本物の人々の暮らし」など分かるはずはない。しかし、それでも異国の地で、ある部分では似通い、ある部分では異なった困難、幸せをみつけ、互いに頭をひねることで、同じものと違うものがある配分で響き合う。その時、すれ違いながらでも生まれる思いはあるだろう。わたし自身このフィールド・スタディで様々な洞察、出会いを得たように思う。

 帰国後のフィールド・スタディふりかえりでは、ブータンチーム、東ティモールチームがそれぞれの経験を共有し、このような出会いにどのように再び出会うかを考えなければ、あるいは日本国内という「フィールド」をもっときちんと考えないといけないだろうというような意見がみられた。内と外の境界を飛び回り、未知のフィールドを自分でみつけ、飛び込んでいく。一年目の終わりに、これからの一年、そしてその先の課題と向き合った二週間だった。

集合・全体写真

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