インタビュアー:2016年度生 石井 大翔
ノートテイク:2015年度生 猪口 絢子
写真撮影:2015年度生 金丸 仁明
インタビュイー:2016年度生 三野 貴志

 大阪大学超域イノベーション博士課程プログラム履修生に、学生視点からインタビューする超域人。Vol.28の今回は、言語文化研究科博士前期課程2年の三野貴志さん(超域2016年度生)にインタビューを行い、専門である英文法研究の醍醐味、本プログラムでの一年半の学びを伺いました。 三野さんの驚異的なコミュニケーション能力、インパクト抜群のキャラクターの神髄に迫ります。

取材日 2017年10月3日

■ 文法研究って何するの?

インタビュアー石井:三野くんは言語文化研究科に所属してるけど、専門は何になるの?

インタビュイー三野:専門は「認知言語学」 です。研究対象はいわゆる英文法で、特に「There構文」や「倒置構文」がどのように使われているかの研究をしてるよ。

石井:認知言語学って具体的に何を学ぶ学問なの?

三野:その名の通り、人間の認知機能と言語の関わりを研究する学問だね。

石井:認知と言語の関わり。「僕らが何らかの事象や現象を認知する道具が言語である」って解釈で合ってる?

三野:まぁ大体そんな感じ。身の回りの環境に対して人間が主体的に向き合うことによって世界が分割されるというか、いわゆる僕たちがどのようにして世界とインターラクションするかが言語に反映されると考えている学問かな。例えば、「太郎がもうすぐ来るよ。」と「クリスマスがもうすぐ来るよ。」って、どちらも「来る」が使われているよね。ここでは、「人間の動き」と「時間の流れ」という二つの要素の類似性を人間は捉えることができていると考えることができる。人間の言語を通したモノの捉え方を研究してるっていったら伝わるかな。

石井:なるほど。研究対象はThere構文って言っていたね。There構文って中学でも習うけど、研究するとなるとThere構文の何が研究対象になるのかな?

三野:よく聞かれるね。There構文っていうと、There is とかThere areだよね。このように一般的には、There構文のうち99%がbe動詞を伴うんだよね。”There COME”とか、There構文がbe動詞を伴わない使われ方をされたときに、どのような独自の構文としての意味があるのか、ということ。

石井:言われてみれば、たまに聞く語法かもしれないけど、今まで深く考えたことなかった。つまり、僕らが英語の授業で習う「There構文」というルールの枠組みから外れた表現が構文としてどのように位置づけられるのかを分析するってこと?

三野:中学高校で習った抽象的なルールは知ってるけれど、実際そこに、COMEっていう個別の動詞を入れた時にどのような意味的・統語的ふるまいをするのか。つまり、抽象的なルールでは説明できない具体的な言語事象を対象にしながら、COMEが使われた際の個別のふるまいに関するデータを集めて、母語話者が実際に英語を使う時に、実際に使う言語知識はどういったものなのかを日々研究している感じかな。超域ってメタ的思考とかを重視してそうだけど、自分はもっとボトムアップ的に物事を思考するのが得意なんだよね。

石井:緻密で根気の要る研究なんだね…特殊な用法が使われるときには何らかの約束事があるってことであってる?具体的には他の一般動詞を使った表現とはどのような違いがあるの?

三野:例えば、「一般動詞を伴うThere構文では否定文が使えない」という一般的なルールがあるんだけど、“There comes a day when ….” の場合は、“There doesn’t come a day when…” というように言うことができる。それはなぜか?と調べていったら、時間表現を伴ったThere comeなら否定文にできるということが分かったんだよね。

石井:それって三野君の研究で分かった文法の新しい規則が今後の教科書や語法書とかにも書き足されるのかな?

三野:将来そうなったら嬉しいね。やっぱりこの分野では英語教育が一番の社会との接点になると思うから。今は、コミュニケーションを重視した英語教育が叫ばれているけど、僕は、英語教育ではまだまだ実際の言語使用に即した形で指導がされていないと考えてるんだよね。そういう現状の中で、僕みたいな具体レベルの文法現象の研究者が、ネイティブが本当に使っている表現や語法を突き詰めることによって、教育的配慮を行うことができると思う

石井:自分も中学から英語を勉強してるけど、そこまで文法を奥深く考えることはなかったな。何か言語の構造に興味を持ったきっかけがあったの?

三野:実は小学校、中学校でも人前で話す機会が多かったんだけど、当時はカ行の発音がうまくできなかったんだよね。だから、カ行の言葉を極力使わないように話しができるように頭を使ってたと思う。「僕」とか、自分の名前も言うのも好きじゃなかったね。言語は一番の自己表現の道具だけど、それに不自由があったから、言語に他の人よりも向き合う機会が多かったんだと思う。

石井:なるほど。研究のモチベーションの起源はずいぶん前から始まってたんだね。まだ研究のこと語りたそうだからもう少し語って良いよ(笑)?

三野:他にも、「There構文では存在や出現を表す動詞しか使えない」という原則がある。さっき使った“come”みたいなね。そのルールに則ると“There ate an apple John.” みたいな文はできない。でもspeakは使えるんだよね。じゃあどのような文脈でならspeakが使えるのだろうと調べる。例えばA : I don’t have time for romance. B: There speaks a workaholic. (A: 恋愛するための時間がないんだ。B: でた!仕事中毒者!) とか、先に何か文脈があれば、There 構文で存在出現を表さないspeakが使えるんだよね。こういう一般的なルールでは禁止となっているものが、この文脈では使えるんだ!というのを批判的に調べていく。こう話すと、なんか重箱の隅をつついているように聞こえるけど、人って案外固まったフレーズを何度も使ってるものなんだよね。

■ 言語文化研究と社会の繋がりとは

石井:英文法も奥が深いんだね。言語は日常的に使われるけど、今説明してくれた言語学の研究って本当に英語教育とかでしか社会とかかわりがないと思われがちなんじゃない?でも英語教育に認知言語学の発展が貢献するっていうのは超域っぽいよね?

三野:確かに。あと、“There is a man in the park.(公園に男性がいる)”みたいな例文を教科書とか文法書ではよく見るけど、There構文って主語にmanみたいな具体的な名詞ってあんまり使われないんだよね。こういう現実離れした英語が学校文法ではまかり通ってる。そういう点で、しっかりした語法研究をすることによって英語教育で使われる表現を現実にあったものにしたいよね。

石井:なるほど、文法的にも現実的にも日本の英語教育には考え直すべき点が多いんだね。そう考えると言語文化研究の汎用性って意外と分かりやすいね。

三野:言語学が社会と繋がっている分野は他にもあるよ。例えば、言語政策としてどういう言語を使うべきなのかという話は分かりやすいと思う。ただ僕の研究成果は、英語教育に役立てたら良いとは思うけど、それ以外の広がりとなると難しいと思う。まあ、認知言語学全般の話をすると、言語を通して文化の差異を研究しているから、文化的な差を理解するのにも文法研究の知見が役に立つのかな。

■ (言語文化研究)×(超域)

猪口:超域に入ってどうだった?期待通りだった?

三野:他専攻に同期ができたり、二つ目の所属ができたりしたことは良かったかな。楽しく履修できているよ。学びの環境が学内ではかなり広がった気がする。

石井:専門分野と汎用性の両軸をバランスよく鍛えるっていう超域のコンセプトがあるよね。自分は工学を勉強してて、汎用性を高めるというのは社会との繋がりを意識するという意味で理解しやすいと思ってはいるんだけど、言語学を研究する人は超域のコンセプトをどうとらえているの?

三野:言語学の専門家として意見を言えば、そのコンセプト、実は要らないんだろうなぁと思うんだよね。縦軸の深さに意味を見つける人たちに、横軸はあまり価値がないんじゃないかなぁ。専門家にも色々好みがあるからね。楽しいことを、宝探しのようにずっとやっていたい専門家もいるし、社会に活かしたい専門家もいる。どちらかというと言語学者の大多数が前者だと思うんだけどね

石井:でもさっき社会と言語学は結構繋がってるって言ってなかった?実際、熊本で地震が起きた際に言語学者が方言の通訳をしたことで災害支援に貢献したって事例を聞いたことがあるよ。

三野:それはかなり稀な例だね(笑)言語文化研究って直接社会の役に立つんだ(笑)。
個人として、大学として、何か社会に貢献しないといけないんだということは分かっているけど、それと自分の研究が好きでやっているということは話が違う。一般的に、言語学の価値は認められにくいけど、認められる必要もないんだよね。お金が必要な研究で、社会からお金をもらわなきゃ、というなら社会との繋がりを考えるだろうけど、僕たちの研究は経費が問題にならないことが多いんだよね。けど、自分は人間とは何かということを、言語を通して本気で考えている。その自負があるからずっと研究を続けていけるし、学問ってそういうものなんだろうなって思ってる

■ (三野貴志)×(超域)

石井:三野くんとは海外フィールドスタディ(※)の授業で一緒にサモアとニュージーランドに行ったよね。三野くんは実習での研究テーマを宗教に設定していたから、今まで聞いてきた話よりも言語文化って汎用性が高い学問なのかと思ってたけど、宗教と言語文化研究って何が繋がりはあるの?
※海外フィールドスタディ:1年時に実施される海外実習の1つであり、履修生が国外で2-3週間程度の実習を行う。過去の実習先にはブータン、パラオ、フィリピン、スリランカ、サモアなどがある。

三野:大きく分けて二つ意味があるかな。まず一つは英語学を研究する際に英語圏の文化というものが切り離さないということ。冒頭で話したけど、僕の言語理論の枠組みって言語と人間の関わりを追求してるけど、周りの環境をどう捉えるかといったような人間的な側面が対象となると、文化も大きく関わってくる。言語が違うと文化が異なるのか、文化が違うと言語が異なるのか、どっちがどっちかはわからないけど、この二つは大きく関わっている。

石井:言語が文化を、そして文化が言語を形成しているんだよね。

三野:言語文化研究というぐらいだしね。宗教に関しては、アメリカ英語を勉強する上では必須な文化的ファクターだもんね。あと聖書は言語学の見地からとても価値があると思ってる。

石井:聖書なんだ。世界で一番発行部数の多い書物っていうのは聞いたことあるけど。

三野:聖書は古い英語を使っているし、あらゆる言語に翻訳されているし、しかもあらゆる時代にあるから、僕の研究にとっても重要で、よく例として使っていたよ。だから、言語研究において、文化を考えることは非常に大事なんだ。もう一つは、超域的な観点からかな。日本でもそういう時代はあったけど、宗教的リーダーが世界のリーダーをほんとに長きにわたって担ってきたんだよね。だから、宗教を勉強するということは、リーダー像を学ぶことに繋がるんじゃないかな、と、ちょっと思ってたりする

石井:この前は、グローバルエクスプローラ(※)の授業で、アメリカに行っていたよね?この授業ではどんなことしてきたの?
※グローバルエクスプローラ:履修生が専門性を生かした汎用的な将来のキャリア設計を展望することを目的に、2週間程度の国内外でのインターンシップ等を計画し実行する科目。

三野:アメリカのケンタッキー州で、アメリカ言語学会が2年に1回開催している4週間のセミナーに参加してきました。セミナーを通して強く感じたのは、日本とアメリカの言語学に対する向き合い方の違いだったなあ。加えて、アメリカはやっぱり多様だな、ということ。特に今回のテーマは「Language across space and time(場所や時を越えた言語)」で、そのことも影響したのかもしれない。

石井:三野くんのような研究をしている人が沢山集まってきたの?

三野:実は、僕のやっているような理論系の研究は開講された講座が少なかったんだよね。それに僕自身がやってることを専門にしている専門家はあまり来てなかった。日本人は英語を第二言語として研究するから、どのように英語をマスターするか、という文法・語法研究に一番注目がいくんだよね。でもアメリカは英語だけでなく様々な外国語に対しての学問の広がりがある。例えば、単純に文法だけ見る人もいたけど、哲学者みたいな人、言語政策を考える人、実験的言語学とかいろんなバックグラウンドの人に出会えた。これが一番の成果だなぁ。

石井:いろんなバックグラウンドの人と研究活動ができる環境って超域みたいだね。言語文化の研究者が世界から集まるって凄く良い機会だったんじゃない?

三野:そうかもしれない。 セミナー開催期間中、世界から意欲ある若手研究者が集まって、形式ばらずに4週間一緒に過ごすから、いい議論ができる・・・学びの多いグローバルエクスプローラでした。

石井:こういうセミナーとかを通して、将来の展望も明確になってきたんじゃない?

三野:博士課程後期課程で留学しようと思ってたけど、その計画が明確になったのはあるかな。現状では、日本の大学で英語や言語学を教える先生になりたいと思ってる。

石井:博士前期課程(修士)も残り半年だけど、この半年どう過ごす?

三野:この半年は修論で何もできないよね(笑)

 「超域」という学習環境をうまく利用して専門分野の研究を進めている三野貴志さん。日本の英語教育の問題点や超域的に見た言語と文化の関係、論理を突き詰めて研究している研究者が社会と接点を持てるのか、ということを自身の研究や体験を通して語ってくれました。自身の英文法への興味を出発点として、地道に対象物を調査していく。今後三野さんが発見した新しい英文法規則が教科書化されるのを期待しましょう!