■ メタ視点から世間を見る

猪口:それは同感。なにか、相場観、大局観みたいなものは身につくよね。

小林:うん、すごく視野は広がったなって思う。自分の意見を言う前や他の人の意見を聞いたとき、その意見とは逆行する考え方も視野に入れて、「いや、こういう見方もあるよな?」、「こういう意見もあり得るんじゃないか? って一回立ち止まることができるようになった。これは超域で他分野の人、他文化の人と触れ合う中で学んだことかな。けど、社会的には強い立場を持ってたり、力強い意見を持ってたりしても、他の意見をあまり受け入れないような、「なんでも知っているように見えてなにも知らない人」が世間にはけっこういるんじゃないかなとも思う。ある話題について、自分と逆側の意見を持つ人の立場や考え方をちゃんと意識せずに、自分の主張ばっかりがすごく強い人とか。超域では自分と違う考え方に出会う機会が多かったから、違う見方、立場っていうのを意識することが身についてよかったなと思う。
でも、むしろだからこそ、そういった世間にある葛藤から離れた「研究者」っていう立場に魅力を感じる。研究者ってどこか世間から解き放たれた領域にいて、一歩引いたメタ視点で世間を見れるような気がする。研究者でいる大きなメリットの一つだと思う。

猪口:すごく分かる!

小林:これはスリランカにフィールドスタディに行ったときにすごく思ったことで。スリランカと日本を比べるといろんなコンフリクトが見えてくるなと思ったのね。例えば、現在のスリランカの政権は内戦に勝利した多数派のシンハラ人寄りの政権なんだけど、国会議事堂前の内戦の慰霊碑にはシンハラ人戦没者だけの名前が書かれていて、「タミルを倒した英雄」っていう風に記されてる。それを見たときシンハラ人たちにとっては内戦が「敵を倒した輝かしい歴史」として認識されてるのかなって感じた。

猪口:日本の戦没者慰霊碑とかだと、戦争をしたこと自体の反省であったり、「静かに眠ってください」というメッセージだったりするのにね。

小林:そうだね。日本だと「戦争=過ち、反省」っていうようにつなげられるし、それが当たり前だと思って生きてきたけど、ここではたぶんそんな風には見られてない。それは戦争の背景だったりその後の社会の歩みだったりが違うからなんだろうけど、戦争はいけないことだっていう認識すら、普遍的なものじゃないんだなってそのとき感じた。場所や文化が違えば、物の見方はいくらでも変わるし正解なんてないって思った。他にも、日本のいう「発展」っていうものはスリランカにはなくて。でも、だからといってスリランカの人々は不幸せかというとそうでもない。じゃあなんで日本は「先進」国って呼ばれるんだろう?いわゆる「発展」って必ずしも必要?こんな風に、物事が良いのか悪いのか、どう見るべきかなんて簡単には分かんないね、ってスリランカに行ってすごく感じた。

猪口:そうだよね。

小林:それで、物事が良いのか悪いのか分かんない状態でも、研究に携わってる人間は、そこに答えを出すことを強制されない気がするのね。一方で一般的な形で社会に関わっている人間は、自分のやっていることを良いとしなければいけないように思う。社会に入ると、何かしらひとつの価値観を持たなければいけないんじゃないかな。実は博士後期課程に進むのに少し悩んだ時期もあったんだけど、スリランカに行っていろいろ考えて、博士に行く決意を固めた。

猪口:善悪の価値判断ってどうしても恣意的で、その判断をすることで見えなくなることってたくさんあるよね。スリランカでどんなことを考えたのか、具体的に教えてくれる?

小林:例えば、日本の会社がアフリカの農村で大規模な金属の掘削をしている。この会社の経済活動で幸せになっている人もいるけど、掘削作業でいろいろなものを奪われて反発する現地の人もいる。こういう問題があり得るわけじゃん。どちらの主張が正しいかなんて分かんないよね。会社も正義だと思うし、農村の人も正義だと思うし。
で、ここでは大きなコンフリクトが生じているんだけど、この会社でもし僕が働いていたら、僕はこの会社のしていることを「良い」としていかなければいけない。この会社の中にいる人間はこの問題をどちらかの立場で見ないといけない。それが怖い。普通に就職したら、どっちか答えを出さなきゃいけない立場にいなきゃいけないんじゃないか。それ、いやだなって。

猪口:単純な善悪などの判断とは違う、もっとメタ的な視点から、社会に関わりを持っていきたいと思ったんだね。けれど研究者としてそういう特権的なメタ視点を持つには、単に浮世を離れるだけじゃだめなんじゃないかな。つまりひとつのことばかりに頭でっかちになって「浮世離れ」をしても駄目で、浮世のことを全部知ったうえで浮世を離れなきゃいけないというか。

小林:そうだね。でもまあ、本当にそれでいいのかって思うところもある。難しい問題に答えを出さないっていう生き方をしていることは、本当にいいのか。そこに何かしらの最適解みたいなものを出さないといけないんだろうなって。

■ 学問の垣根を「超える」

猪口:壁を越えることをコンセプトにしたプログラムに所属しているわけですが、小林さんは何か超えたい壁はありますか?具体的に、「こんな人になりたい!」とかいうイメージはある?

小林:うーん、やっぱり自分は研究者になりたいから、学問の垣根を超えたい。自分の専門だけ知っている人じゃなくて、他の分野のこともある程度わかるような人になりたい。
例えば、文系理系って枠にとらわれずに、歴史や物理・科学、時事なんかにも見聞を広めておきたい。僕、世界史が好きなんだけど、世界史を勉強していると、なんで現代こういう民族とこういう民族がこの地域にいるのかとか、歴史と現在のつながりが見えてくることがあるよね。
あと、歴史を勉強してると、近代史のところなんかでは「ウチの親、この時代に生きてたんだ~」って思うことがあるよね。9.11同時多発テロは僕らが生きてきた時代の中ではすごい出来事だったと思う。でも僕はあまり覚えていない。3.11の東日本大震災もすごい出来事だったじゃん。僕はこの出来事を、あまり覚えてないなんてことになりたくない・・・それでこの前、超域の有志で岩手県の野田村に行ってきた。自分に子どもができたときに、こういう時代だったぞ、自分の目で見たぞっていうのを、ちゃんと伝えられる人になりたい

超域の有志で岩手県の野田村に行ってきた

 錯視のメカニズムの研究を続ける小林さんですが、現実社会の錯覚には惑わされない、彼の強い意志と広い視野が垣間見えたインタビューでした。4月からついに博士後期課程へと歩を進め、公私ともにレベルアップを目指す小林さんの今後に期待です。超域人は、これからも超域生の等身大の姿を捉え、お伝えしていきます。

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