Interviewee: 大阪大学大学院 人間科学研究科 篠塚 友香子 (超域 2013年度生)
Interviewer: 大阪大学大学院 医学系研究科  清重 映里 (超域 2015年度生)

 大阪大学超域イノベーション博士課程プログラムでの活動と、履修生が行う独創的な最先端の研究を中心に、彼らが描く未来についてインタビューしていく、超域的研究。第9弾となる今回は、大阪大学大学院人間科学研究科に所属する超域2期生(2013年度生)の篠塚友香子さんが熱く語ってくれた。彼女は、哲学の研究室に所属し、精神科臨床現場をフィールドに研究活動を行っている。

 

個人の経験の成り立ちを記述する

 ストレスの多い現代社会では、精神の病はもはや珍しい病気ではない。しかし、以前に比べ身近な病気になったにも関わらず、目には見えづらい心の病を理解することは難しい。篠塚さんの研究は「病そのもの」ではなく「病をめぐる人の経験」に重きを置いている。彼女はこれまで文献研究と現場での調査(参与観察と実践者へのインタビュー調査)の二つを軸に研究を進め、さらに調査から得られたデータを分析してきたそうだ。医療現場をフィールドにしてはいるものの、医療・福祉の知識を用いてデータを意味づける作業は行わない。また、一般的な「分析」とは異なり、複数のデータから共通要素を抜き出す一般化の作業もしないという。彼女が目指すのは、個人の経験の成り立ちを仔細に記述し、その経験の意味を明らかにすることである。

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 篠塚さんが捉えようとするのは、既存の理論や概念を用いて説明することができないような、個別的な経験の成り立ちだ。精神科の現場を例に考えてみよう。統合失調症などの主症状である妄想は、明らかに誤った内容であるのに信じてしまい、周りが訂正しようとしても受け入れられない考えとして定義される。しかし、時として妄想は「症状」以上の意味を持つ。たとえば、妄想を抱える人を理解しようとする視点に立てば、妄想はその人の状態を〈表現〉しているとも言えるし、妄想というその人独自の世界を理解することで、その人と関係を築いていく可能性が開かれることもあるだろう。このように、妄想という現象は状況ごとに異なる意味づけを持つ。彼女は、参与観察やインタビュー調査に基づき、ある状況における経験の個別的な意味を記述することを通して、一般化された概念では捉えきれない現象や経験を描き出すことを目指している。


精神科病棟で経験した衝撃

 篠塚さんの研究は、「何が起きているか」という客観的事実ではなく、「そこにいる人が何を経験しているか」という個人の経験に焦点を当てたものである。「研究」は客観性が重視されるものであるが、この研究スタンスは彼女の研究動機と関係している。彼女が精神科に興味を持ったきっかけは、高校を卒業した春に精神科病院の閉鎖病棟を訪問したことにある。閉鎖病棟とは、一般的に精神科に存在する、病棟の出入り口が施錠され、患者や面会者が自由に出入りできない病棟のことである。彼女は保護室に入った時、「この状況を言い表す言葉を知らない」と感じ、頭が混乱したという。日常と非日常が混在する独特の空間のなかで、「当たり前だと思っていたことがガラガラと崩れていく感覚」に陥った。この時の混乱は次第に精神科臨床現場への関心へと変わり、篠塚さんは精神医学関連の本を読み進めていった。
 本を読み進めていくと、診断基準の確立、病像の多様化、制度的な問題、偏見や差別など、精神科にはさまざまな問題があることがわかった。しかし、現場で抱いた問いから生まれた篠塚さんの関心は、「問題の本質が何か」ではなく「人がその複雑な状況をどう引き受けるのか」という点にあった。複数の問題が複雑に絡み合う状況では、普遍的な〈正しさ〉や〈確からしさ〉を語ることは困難である。彼女は「そこにいる人がその状況をどう生きているのか」という個人の経験にこそある種のリアリティが潜んでいると考え、研究活動を続けてきた。


超域で得られたこと:キャリアビジョンの具体化と発言力の強化

 超域プログラムを履修する前から、篠塚さんは“自分のやりたい事”を明確に持っていた。それは、哲学のバックグラウンドを持って精神科医療福祉の現場に関わることである。しかし、それを人に上手く説明できず、どのような立場で実現すれば良いか、なかなかわからなかったという。そこで彼女は、本プログラムを通して経験を積み、自身のキャリアビジョンの具体化に努めてきた。たとえば、普段の授業や履修生との会話では、専門領域外の人が自分の研究をどう捉えるのかを客観的に見たり、「自分のような具体事象を対象としたインタビューや観察参与といった質的研究の社会的意義とは何か」と自分自身に問いかけたりする機会になったという。また、二年次に行った海外プレ・インターンシップでは、海外の医療現場を訪問し、自分の研究に対する評価をもらうことで、研究の展開可能性を探った。

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 また、超域の活動は、議論の場で発言をためらってしまうという弱みを克服するためにも役立っているという。他の履修生との議論をする時、篠塚さんは発言の背景にあるものを想像し、複数意見の間にある差異を明らかにするような俯瞰的な視点をとるという。しかし、議論の全体を俯瞰するあまり、自分の意見を適切なタイミングで発言することができないでいたそうだ。このような発言力は、一つのことにじっくりと向き合い、自分の考えを深めていく普段の研究活動で養われる思考力とは、性質的に異なる能力である。
 社会的課題解決にチームで挑む授業科目、超域イノベーション総合では、チームリーダーの役割を担い、発言力という自分の弱みに直面しながら、適切な時に議論を方向づける発言をする必要性とその難しさを認識したという。超域の履修生同士の議論では、議論の内容が必ずしも全員の専門と関連するものではないため、複数の知識を寄せ集めることで「わかった気」になる現象が起こることがある。半年間という長期にわたる超域イノベーション総合の活動中は、そのような現象が起きたときに「本当にわかったのか?」と疑う視点を持ち、単なる“専門知識の寄せ集め”に終始せず議論を深めていくことを意識していたそうだ。


哲学をバックグラウンドに、現場へ出る

 篠塚さんは将来、哲学のバックグラウンドを持って精神科の現場に関わりたいと考えている。現場に対する鋭い視点を持ちながら現場の環境をつくりかえていくことのできる人材になるために、研究活動で養った洞察力を現場で展開していく可能性を探っている。現場に関わる人の経験を分析するというミクロな視点から得られた発見を、制度や支援体制の確立というマクロな動きへつなげていく人材となるために、現在は、研究活動に加えて精神保健福祉士の資格取得を目指して勉強しつつ、着実に“自分のやりたい事”を実現させる準備をしている。医師や看護師に加え、作業療法士、精神保健福祉士、臨床心理士、事務スタッフなどの多くの職種との多職種連携が重要だとされる精神科では、超域プログラムで鍛えた発言力や周囲の人を巻き込む力も活かされることだろう。

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