Interviewee: 大阪大学大学院 工学研究科 岡村 昂典 (超域 2014年度生)
Texted by: 大阪大学大学院 人間科学研究科 小川 歩人 (超域 2014年度生)
Photo: 大阪大学大学院 人間科学研究科 小林 勇輝 (超域 2015年度生)
Edited by: 大阪大学大学院 工学研究科 白瀧 浩志 (超域 2014年度生)

 生命とは何か。古代から綿々と問われ続けてきた問いに、人類は未だ答えを与えているとはいえない。しかし、生物学は、生命らしさを生み出すために必要な構成要素の解明を着実に続けてきた。さらに近年では、それらを組み合わせることで生命らしさを再現しようとする試みも増えてきている。生物が生み出してきた驚くほど精巧な生命現象を、人工的に創り出す。彼が担うのはその大いなる研究の一翼である。

 

ありえたかもしれない生物の姿を探して

 昨今、成長著しいライフサイエンス分野において、なかでも近年、構成生物学あるいは合成生物学と呼ばれる領域が注目を集めている。この領域では、従来の「生きた細胞」を出発点とするトップダウン型の研究だけでなく、生物の「構成要素」を組み上げていくことで生物を研究するボトムアップ型の研究が重視される(図1)。

図01

 超域三期生の岡村さんは、ボトムアップ型の研究の流れを汲みつつ、「構成要素」の1つである膜タンパク質に注目し、特定の膜タンパク質機能のみをもつ人工細胞を創り出す研究をおこなっている(図2)。さらにただ創るだけでなく、タンパク質分子の人工的な機能進化(分子進化工学)を組み合わせ、産業応用も可能な細胞を創るのが夢なのだという。

図02

 生物は細胞からできているが、細胞が自己と非自己を分ける境界に存在し働いているのが膜タンパク質だ。膜タンパク質は、天然に20種あるアミノ酸がいくつかつながることでできた低次の構造が、さらに組み合わさることで、特定の高次構造を形成するタンパク質の一種であり、その機能は低次構造の組み合わせに依存している。この膜タンパク質は、細胞の外からの刺激を中に伝える、細胞が生きるのに必要な栄養を取り入れ、不要なものを吐き出すといった重要な基礎的生命現象に関わる一方で、創薬ターゲットの約60%を占めており、産業応用においても重要な研究対象となっている。
 膜タンパク質を含むタンパク質で、興味深いのはその種類の少なさだ。タンパク質配列の一番目のアミノ酸は決まっているので、理論的には、n個のアミノ酸からなるタンパク質配列は20n-1通りある。すなわち20n-1種類のタンパク質が存在しうる。例えば、20個のアミノ酸から成るタンパク質を考えると、2019、つまり5兆×1兆通り以上という膨大な可能性がありうる。一方で、現在まで発見されたタンパク質の種類はそれに比べて驚くほど少ない。従来は、この少なさは「機能的に優秀な配列」のみが進化の結果選択され残ったものであるから、と説明されてきた。しかし、優秀さの基準は自然環境や偶発的要因などから決まる選択圧によって変わりうる。これが意味するのは、地球上で実際に起こった自然淘汰で選択されなかったが、選択圧が少し異なっていたなら現代に残っているはずだった可能性が存在するということだ。現代の生物学は、現存する生き物の背後、実際の歴史が廃棄した無数のアミノ酸配列のなかに、ありえなかった生命の歴史をみいだそうとする。

 今、生きている生物を対象として研究を始める従来のトップダウン型研究の場合、そこに見いだされるのは、「今ある分子の姿」であり、既に淘汰が終わった可能性だ。これに対して、ボトムアップ型の研究、なかでも分子進化工学を取り入れた研究では、生物の生息環境に拘束されない実験条件を用意することで、「今ある分子の姿」だけではなく、「別様でありえた分子の姿」に迫る。さらに言えば、この実現しえなかった潜在性は、地球上ではありえなかった生命の姿、つまり地球外生命体の構造を開示する可能性を秘めている。分子進化工学による研究は、膜タンパク質の配列を網羅的に探索できる方法論を持つことから、ありえなかった可能性を、ありえた可能性として引き受け、その領域を爆発的に拡大させている。現在のライフサイエンスは、生命とは何かという問いに対して、生きている生物と分子、トップダウンとボトムアップという異なる二つの方向から向かい合うことで発展を続けているのである


数十万年が試験管のなかで進化する

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 そのようなボトムアップ型の研究の流れのなかで、進化分子工学は生物の諸構造のなかでも分子自体に注目し、その「進化」を目的とする分野である。生物を考える際に「進化」という主題は非常に大きな問題であるが、これを実際に研究することは難しい。というのも、生物個体の進化を自然界でみると数十万年という膨大な時間が必要となってしまうからだ。例えば、人が猿から進化したことを思い浮かべればよい。このような事例は、当然、現代の技術をもってしても、実験室で展開できるものではない。
 では、進化分子工学は何を進化させることを目的とするのか。それは分子の「機能」の進化である。確かに、生物個体の進化には膨大な時間がかかる。しかし、その進化の「一部分に限って」言えば、実験室でもその機能を「進化」させることができるのである。進化分子工学の場合、実験室において、環境条件を調整し、ダーウィンの進化論で示された自然淘汰を工学的に再現することで、その環境下において優秀な機能を示す分子を選別し、変異を導入することを繰り返しながら機能進化をおこなう。また、何十万年もの時間を数週間、数時間に圧縮する超速度の進化というと、かなり現実離れした印象を与えるが、岡村さんの研究以外にも、例えば洗剤に含まれる酵素の生産に応用されるなど、実はわたしたちの身の回りで実用化がかなり進んだ技術でもある。

生命とモノのあいだで、生物的に工学する

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 ところで、生物学は、文字通り「生き物」を扱う学問だが、分子進化工学には「生物」という言葉が入っていない。というのも、例えば、岡村さんがあつかっている膜タンパク質はあくまで生体としてのまとまりをなす以前、つまり生物の構成要素にすぎないからだ。いわゆる「生き物」を扱っていない以上、分子進化工学を通常の意味で生物学と呼ぶには違和感がある。しかし、膜タンパク質として、生物的機能を担わせつつ、その機能を進化させるという研究の方向づけは、さりとて、化学、物理学と呼ぶこともはばかられる。このような曖昧さはそれ自体で、昨今のライフサイエンスが極めて境界領域的な学問として発展し続けていることを示すものだろう。
 このような境界領域的性格は「進化」という語の選択にもかかわってくる。筆者自身、インタビュー中、生き物でないものに対して「進化」という語を用いることに若干の違和感を感じたのだが、一昔前も「タンパク質分子の機能向上」と「進化」を峻別すべきであるという態度が学問領域内部で強かったという。このような態度は、生命と生命以前のものを峻別し、生物学を他領域から峻別しようとする態度だろう。
 しかし、生物工学的立場は、そのような態度こそが「生物」を極めて限定的に扱い、矮小化した理解をもたらすことになるのではないかと問うてきた。岡村さんがあつかっている膜タンパク質分子は試験管のなかで自然淘汰をおこしながら機能を「進化」させる。産業界に目を向ければ、クモの糸のタンパク質構造を応用した人工繊維や、DNAコンピューティングの開発が話題になるなど、生物それ自体をあつかうというよりはむしろ生物的システム、構造を抽出するといったかたちで、つまり生物と工学を交差させることでイノベーションを起こすことが示されつつある。工学の花形である機械工学が、ある意味で、人間が一から制御しきる枠のなかで展開されるのに対し、生物工学は、人間が未だ知りえない生命の力を用いながら、われわれの想像を超えたプロダクトを目指す。このような発想は生物学者こそ持ちうる視野ではないかと岡村さんは述べる。新たな可能性、わたしたちが生命と定義しえなかったものへ迫っていく作業は、生物とモノのあいだのタンパク質分子という領域において、生命の意味それ自体を拡張しながら進んでいるのである。


生物の力を、工学へ、そして社会へ

 進化分子工学をあつかう岡村さんの研究室は、上記のようにありえなかった生命の姿をおう基礎研究から機能進化させた分子を用いた応用研究まで、幅広い範囲を扱っているが、岡村さんはそのなかでも人工膜タンパク質の創薬への応用可能性に強く関心をもち、研究を続けている。
 生物の精巧な機能を担うタンパク質の理解はライフサイエンスの発展とともに進展してきたが、それは前述の洗剤に含まれる酵素のように、主として水溶液化できる「可溶性タンパク質」についてのものであった。これに対して、細胞膜に埋まって機能する「膜タンパク質」の研究は、生細胞での大量合成が困難であり、また、すぐに分子同士で凝集し、活性を失ってしまう特性もつことから取り扱いが難しく、ブレークスルーが求められていた。
 岡村さんの研究室では、生きている細胞からタンパク質の合成に関与する分子を抽出し、任意に混ぜ合わせた「無細胞翻訳系」と、「リポソーム(細胞膜を模した人工脂質二重膜)」 を組み合わせたリポソームディスプレイ法という独自の技術を用いることで (図3)、膜タンパク質の機能を非生物環境で人工的に再現することを可能にした。これにより、特定の物質を高感度で検出可能なバイオセンサーや対象膜タンパク質を対象とした新薬開発など多方面への波及効果が期待されている。

図3

 岡村さんは、ここからさらに、リポソームディスプレイ法の拡張および完全非天然の人工膜タンパク質の構成という応用、基礎研究の双方を志向した研究をおこなっている。当初、リポソームディスプレイ法は大腸菌などの「原核生物」由来の膜タンパク質の取り扱いから始まっていたのだが、岡村さんは、真核生物、特にヒトの膜タンパク質を本手法で扱えることを実証し、より社会的有用性の高いヒトを対象にした創薬研究への可能性を大きく向上させた。
 完全非天然の人工膜タンパク質の構成については、海外の研究室との共同研究として進められている。従来の膜タンパク質研究では、天然のタンパク質配列もしくはそれを出発点にした配列を用いることが多かった。しかし、岡村さんはそこから一歩踏み込み、完全に人工で特定の機能を持つよう膜タンパク質配列をデザインし、さらに機能を進化させる実験系を立ち上げようとしている。様々な生命現象に関わる膜タンパク質を一から創りだす試みは、自然界の選択の結果、進化してきた天然膜タンパク質に対して新しい認識の地平を拓く可能性を秘めている。

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 今日、ライフサイエンス分野へ所属することは、それだけで社会から向けられる期待の高さ、それに伴うプロジェクト規模、責任の増大、あるいは産学を超えた応用的探求、急速に発展するバイオベンチャーの勢いなど様々な文脈に巻き込まれざるをえない。今後、ライフサイエンス分野はさらなる発展が予想されるが、そこで自身の立場を相対化しつつ、実験室と社会を往復する人材が求められることは間違いないだろう。
 岡村さんが今後のキャリアパスとして志向している科学技術予算の配分組織やベンチャーキャピタルはまさしくそのような場である。毎年立ち上げられる膨大な数のライフサイエンスの研究プロジェクト全体を俯瞰し、それらの重要性を見極めながら、人々との協働、対話をおこなう。岡村さんは、そこで必要とされる俯瞰力、コミュニケーション能力を、超域のカリキュラムを通して養おうとしてきた。研究室のなかでのコミュニケーションは比較的容易であるが、それが可能なのは、専門用語とともに、日常的な言葉遣い、認識フレームが暗黙のうちに共有されているからだ。しかし、様々な研究科出身の履修生が混在する活動では、日常的に繰り返し、言葉のすり合わせ、自身の思考枠組みに対する批判的反省が求められる。岡村さんは、特にいわゆる人文社会科学系の履修生が、ディスカッションなどで、日常的に使用する言葉のずれに敏感に気づき、議論の流れを整えていく様から多くの学びを得たと語っている。今後、このような対話から異なる分野を結ぶ新たな言葉が紡がれていくのではないだろうか。


 イノベーションはひらめきではなく、しかるべきプロセスを経ることで創りあげることができる。実験器具のなかで、分子たちが自然淘汰による変異と選択を繰り返し、超速度で進化していくさまをみつめながら抱く確信である。生物と工学がともに手を取って生み出された力を社会へつなげていこうとする岡村さんの今後に期待したい。