Interviewee: 国際公共政策研究科 猪口 絢子(超域2015年度生)
Texted by: 理学研究科 渡邊 海(超域2015年度生)

 大阪大学超域イノベーション博士課程プログラムの履修生が行う、独創的な最先端の研究を中心に、研究と超域との相互作用や研究者として彼らが描く未来についてインタビューする超域的研究。第19弾となる今回は、大阪大学大学院国際公共政策研究科に所属する超域4期生(2015年度生)の猪口絢子さんに話を伺った。

■公共政策課題に立ち向かう

 猪口さんは、大阪大学法学部国際公共政策学科を卒業し、現在は同大学大学院国際公共政策研究科 (OSIPP) にて研究をしている。同研究科は、『平和・人権・環境といった』『国内社会や国際社会で発生する公共的性格をもつ諸問題(公共政策課題)に対して、法学・政治学・経済学の基礎の上に立つ学際的視点から教育・研究を行い、高いコミュニケーション能力と優れたリーダーシップをもつ研究者や高度専門職業人を養成することを目的として、1994年に創設され』た新しい研究科だ (以上、同研究科webより抜粋) 。同研究科と超域の間には、「学際性」「国際性」「コミュニケーション」「リーダーシップ」などなど、多くの共通するゴールが見受けられる。その両方に所属する猪口さんは、「企業活動がもたらす人権への負の影響を抑制し、正の影響を増大させる」という公共政策課題をテーマに、政治学 (国際関係論) に軸足を置いて分野横断的な研究をしている。

 この「ビジネスと人権(Business and Human Rights)」の世界において、取り扱われる人権の種類は幅広い。まず、社内の労働者・取引先/下請けの労働者・地域住民・顧客など、何カ国をもまたぐサプライチェーンの川上から川下まで、関わる全ての人間/コミュニティが対象だ。また、ビジネスは人間の生活と切っても切れない関係にあり、当然ながら様々な種類の人権が話題に上る。例えば奴隷的取り扱いや生命の危険からの自由、健康に生きる権利、衣食住を満たす権利、特別な配慮が必要な人々のための権利(女性・子供・民族や宗教、言語におけるマイノリティ・先住民・障がい者・性的マイノリティ)などが挙げられる。

 このように扱う人権が幅広いことは、もともと社会問題に強い関心を持っていた猪口さんが、「ビジネスと人権」というテーマにのめりこんだ一因だ。猪口さんは強い問題意識を持つのみならず、並々ならぬ行動力の持ち主でもある。修士課程の1年次には現在の研究科を休学し、人権分野の実務家を多く輩出してきたことで世界的に有名な英国のエセックス大学にて国際人権法などを学び、修士号を取得している。

■ビジネスを通じて繋がる「私たち」と遠くの「彼ら」

 以上のように対象の幅広い「ビジネスと人権」の世界だが、猪口さんの現在の研究は、特にアフリカの大湖地域をフィールドとしている。アフリカとビジネスと聞いても、ピンとくる方は少ないかもしれない。アフリカ大陸の中央に位置するコンゴ民主共和国の地下には、鉱物資源が豊富に眠る。しかし冷戦終結後に始まった紛争による混乱や国の管理能力の不足から、本来市民の生活を豊かにするはずの資源は不当に採取・取引されてきた。その一部は鉱山労働者や現地住民に対し人権侵害をはたらく紛争当事者の資金源となり、現地の不安定な状況を長期化させる一因となっている。そのような資源は様々な国を経由して加工され、電子機器の部品となって私たちの手元にやってきている。

 このような問題は、日本をはじめとするいわゆる先進国に無関係の話ではない。遠く離れた国において、人権という観点から問題のあるやり方で生産された製品を、我々は知らず知らずのうちに消費しているかもしれない。消費を通して私たちは、グローバルな加害のサイクルに加担してしまいうる。このように遠くの国で表面化する構造的な問題について、関係がないと思い込んでいる私たちを紐づける。こうした価値観を、研究活動を通して社会に発信していきたいと猪口さんは語る。

 この手の問題が世界で次々話題となった1990年代以降、多国籍企業の活動をコントロールしようという動きが、国際社会において活発になっていった。そこでは企業活動のもたらす負の影響を、人権問題として捉える考え方が広まっていった。前述したコンゴの例のような直接的な暴力による人権侵害だけでなく、自由主義経済の行き過ぎによる深刻な経済格差を是正しようという努力がなされはじめ、企業活動に関係する人権問題について、ようやく真面目に取り組もうという流れになったのだ。しかしこの問題は、コンゴや日本といった一国一国、そして政府の力だけでは解決が大変難しい、複雑な構造をしている。

■制度で世界の構造を変える

 このような一国だけでは解決が難しい課題に対し、国際社会は制度を作ることで対処してきた。猪口さんは、企業活動がもたらす人権への悪影響を抑制するための制度やそれに伴う規範 (どうあるべきか、というアイデア) が発展するメカニズムを明らかにすることで、今後どのように制度をデザインしていけばよいのかを示そうとしている。

 例えば国内で「多国籍企業の活動を制限する」という法律を作っても、グローバルに活動する多国籍企業はいとも簡単にその法を潜り抜けてしまう。多国籍企業を誘致して雇用を生み出したい国家は、過度に国内の労働や環境に関する基準を緩和する。一方多国籍企業はそうした国家の下に移動して活動するようになるといわれている。国際法は基本的に参加国家同士の約束事を定めるものであるため、参加しない国家や企業の行動を制限する国際法を作るには困難が伴う。さらに国内でいう警察などの執行権力のない国際社会においては、全ての企業にルールを守るよう強制することは難しい。

 一方で企業活動は必ずしも人権にとって悪影響をもたらすわけではなく、雇用の創出や技術の移転など、多くの良い影響を社会にもたらしてくれるものでもある。過度な活動規制は、多国籍企業の良い側面をも不当に制限してしまう。特に、いわゆる途上国にとっては、むやみな製品ボイコットや規制は市場競争力の低下をもたらし、社会経済的危機につながりかねない。規制効果と人道的配慮を両立した制度を作り、普及させるには、どうすればよいのか。これが猪口さんの研究課題だ。

 猪口さんが現在特に注目しているのは、コンゴの鉱物問題に対応してルワンダでとられた政策だ。コンゴの隣国であるルワンダは長年コンゴの紛争に介入してきたほか、コンゴからの鉱物の密輸ルートになっているとして、国際社会から批判されてきた。国連、OECD、アメリカ政府、EU政府は、企業に対して鉱物の購入元が正規ルートかどうか調べ情報開示するよう、制度 (ガイドラインや国内法) を通じて求めてきた。これら取り組み、特にアメリカの法律に対応して、ルワンダ政府は「ルワンダから輸出される鉱物はコンゴにおける人権侵害と関係がない」と保証するための流通管理制度を確立した。現地で鉱業を生業にする人々からは、流通管理制度によって手数料や煩わしい手続きが発生したこと、また制度自体の抜け穴に対し不満の声が上がるが、結果的にルワンダは「アフリカのシンガポール」と称される国力を背景に国内の資源管理を強化し、国際的な規制運動による損害を最も免れた国家となった。

 ルワンダにおいて、ルワンダ政府を必ずしも拘束しない制度がこのように大きなインパクトをもたらしたことの背景には、国際市場から自国産鉱物が締め出されることをルワンダ政府が恐れて市場を守ろうとしたこと以外に、同様に市場を守りたい国際的な企業団体がルワンダの内外で積極的に活動したことも大きな要因であったと猪口さんは見ている。政府の動きだけでなく、企業の動きについても今後研究の必要があるとのことだ。

キプロス大学にて行われた世界政治学会研究分科会「分断社会の民主化と体制のデザイン」に参加。
南北キプロスを隔てる緩衝地帯で撮影。

■広い世界に自分を位置付ける

 「ビジネスと人権」に関わる公共政策課題に取り組んでいるのは、猪口さんのように政治学を学ぶ研究者だけではない。法学や経済学から工学まで多岐にわたる分野の研究者、さらには政治家や国際機関職員、NGO職員、企業のCSR担当部署など、実務家と呼ばれる人たちもいる。猪口さんは研究者として、理系や工学の研究者と同じように論文執筆や学会における発表を積む一方で、企業のための勉強会、国連のフォーラムなどを通じて実務家とも交流を深めている。

 他分野の研究者と政治学に軸を持つ猪口さんが異なるのは、彼女の研究の背景に「国際秩序はいかにして保たれるのか」「暴力 (経済的搾取を含む) はなぜ起こるのか」といった政治学的な問題意識が根底にあることだろう。しかし学問レベルでも実務レベルでも、政治学と他分野の垣根はますます低くなっている。また実務家と猪口さんの違いは、彼女が彼らと同じ問題意識を共有しながらも、彼らがどのように歴史を作ってきたのか、を客観的な立場から分析しているということだ。一方でこのように実務と学問が近い分野では、お互いの住み分けは必ずしも重要ではないだろう。超域と研究科を通して常に学際的に活動してきた猪口さんは今、他分野の手法や実務の視点を研究に取り入れながらも、自分とは何かを改めて定義づけ、ベストポジションを見つけようとしている

 今も将来のビジョンを模索中の猪口さんだが、目の前の課題を解決したいという気持ちにブレはないそうだ。実務から離れすぎず、一方で研究者として深い分析によって課題解決に貢献したい。人権の問題は人間のいるところいつどこででも、アフリカでも日本でも普遍的に発生する。また「ビジネスと人権」に関する制度設計は特に欧米が先導してきたものであるが、市場を通じて繋がるアフリカや日本にもその影響力は及ぶ。日本企業の活動がもたらす人権への負の影響を抑制し、正の影響を増大させるために、国内で、国際社会で、政府そして企業はどうあるべきなのか。ブラック企業や障がい者雇用、外国人実習生制度など、身近な問題にも視野を広げていきたいと最後に語ってくれた。

参照: 国際公共政策研究科webページ・研究科長メッセージ

国連ジュネーブ本部にてUN Forum on Business and Human Rights 2018に参加。
英国エセックス大学関係者らと撮影。