前例のない課題に取り組む人の目の前には、他の誰もが見ていない景色がある。
まったく新しいこの超域イノベーション博士課程プログラムを
一から作り上げてきた二人の教授は、いま何を見ているのだろうか。
このプログラムの2年目を迎えようとしている今、抱える思いを語ってもらった。
どうしてこのプログラムが必要なのか。超域生はどんな学生なのか。
今後どんな人材が求められているのか…
自分の専門分野を飛び越えてこのプログラムを運営する
藤田喜久雄教授、小林傳司教授は、まさに超域の実践者である。
新しいことを始めると、かならず高い壁が現れる。
けれど、それを乗り越えてこそ見える世界がある。
これは、この先進的なプログラムをゼロから作りあげ、
歩き出した二人の先駆者のことばである。

インタビュアー:

いかがですか、超域生は。

小林:

おもしろいですよ。

インタビュアー:

どんな風に?

小林:

僕の授業(※1)でも、自分の主張を明確に言うという、そういうところの気力というのはすごくある。そういう意味では日本人離れしているというか、割と珍しいタイプが集まっていますね。1回目の授業からどんどん手は挙がるし、発言はするし。一方で、そのときに余り発言してない学生のレポートもまた、結構おもしろいですね。もちろん、よくしゃべった学生もそれなりのものを書くんだけれども、黙っていた学生のものも、実は人の話をよく聞いていたのだということがわかる。当初自分はこう考えていたけれども、こういう議論のときのこういう意見に自分の意見が少し揺さぶられたとか変わったとか、そういう書き方をしているレポートが結構ある。正解が簡単に出せない問題について考えるとき、人は普通にちょっと迷ったりもするだろうし、人の意見に影響を受けたりするだろうしと考えたときに、そういう揺さぶりが影響したような書き方をしているペーパーというのが、黙っていた学生のものとして出てくることがあります。物をよく考えるということと、よくしゃべるということとは、一致すると望ましいんだけれども、物をよく考えているととてもしゃべれない、ということもまたあるわけですね。よく見ている人というのは簡単に物が言えなくなっている。超域で授業をしていると、こいつはこんなことを考えていたのか、と驚くようなアウトプットが出てきたりするので、評価って本当に難しいなと思いますね。よく見ている人間というのも、なかなかいい。だって、二十そこそこで、そんな世界が全部わかるわけがないんだから。
 はっきり言って、多くの物を見ないとだめなんだと思います。最初の「大学とは何か?」の授業(※2)の最終レポートを見て思ったのは、やっぱり彼らはコースワークの授業に期待している以上に、いろいろな経験、超域ならではの経験をしたいと思っている。様々な経験をすることで自分たちは成長するんだという思いを強く持っているんですね。自分たちは経験が足らないと思っているということが分かりました。彼らのそういう感覚は正しいと思いますね。そういう意味で、今回のモナシュなどの経験(※3)を彼らがどういうふうに消化して、どう考えたかには注目しています。
 一方で、もちろん、課題はあります。人の話を聞いた上で自分の意見をもっとすり合わせるというような形で人の意見を斟酌しながら、それを吸収して、もう一度自分の意見を立て直すとか、そういう部分は、やや弱いような感じがします。もう一つ、次のステップへ連れて行かないと、と思っていますね。

インタビュアー:

一期生はこれから、専門の研究が本格化してくる時期でもありますよね。

藤田:

超域の学生は割と強いキャラクターの学生が多いから、そう簡単にはつぶれないとは思いますよ(笑)。しかし、実際に研究を論文としてまとめあげていくときのプレッシャーって凄まじい。両側からの綱引きはしんどいはずですが、それを乗り越えてほしいと思いますね。

小林:

今、いろいろなインプットをしているわけじゃないですか。海外研修に行ったり、授業を受けたり。それが研究にどう影響するかがひとつの成果になりますね。そこに関して、指導教員がどれだけ踏み込めるか。英語の授業(※4)なんかを見ていると、辛くてもついて来ていますね。これから英語の能力が一定の水準以上でないと生きて行けないという感覚はかなり上がっていますし。それはすごく大事なことですね。
大学の中には、研究室ですべてを学んだという経験を持った人たちももちろんいるし、確かにそういう教育機能ってすごくあるんですね、研究室には。それは、そのとおりなんですよ。そして、研究室にはその学生に対して責任を持っているのも自分たちだという意識もあるから、その感覚を疑っていない人から見れば、超域は完全に余計なものなんですよ。でも、その余計なものをあえてやろうと。

藤田:

これはちょっと曖昧な話をしますけど、要するに日本って割と「あうんの呼吸」じゃないけど、なんだか分からないけどうまく合意をとって、そこそこうまくやってきていた。それがバブル以降、データ主義というか、何でも数値で解決しよう、という傾向に走り過ぎているような気がするんですよね。データを突きつけられると日本人は過剰反応して、それを真に受けるという傾向が強いのではないか、と。例えば米国だとジャーナルペーパーはともかくとしても大学が博士だといったら博士になる。けれども、それは日本ではなかなかできない。それは、データで責任をもつ、あるいは活字で判断をする、ということに似ていると思います。しかし実際にデータや活字に頼らずに評価や判断するとなると、これは非常に難しい。コストの問題や、評価基準があいまいになるという問題がある。  一方、世の中としては、数値にのらないようなことがどんどん増えている。私の専門分野でも、数値で攻めていったら何とかなるという話が一時期強かったのですが、最近は人の能力を生かすとか組織の力を向上させるとか、そういう話に移ってきているわけです。その傾向は、まだそれほど表には出てきていないですけどね。しかし、スケール感が大きくなっているし、スピードもはやくなってきているということは明らかにあるわけです。結局、物事が起きてからデータになってくるのを待っていたら追いつかない。じゃあ教育でどうするんだという話を考えると、データに基づくこと、ロジックにもちゃんと落ちるようなことをやることはもちろん必要です。それは従来から研究室の中で行われていると思いますし、学生にはしっかりやってもらいたい。それは生産性を向上させるという意味でも必要です。一方、今までとは全く別の種類の問題を解くためには、あえて超域のようなややこしいことを選んでやることも必要だろうと。超域に来た学生は、何となしにそっちが大事だろうなという感覚があって来ているんだろうと思うんですよ。

小林:

これ、賭けの要素があるんじゃないかな。どのくらいの打率で満足してもらえるかということも、本当は社会的に考えてもらいたいんですけどね(笑)。超域のような取り組みに対して8割9割の成功率を要求されても、できないわけではないけれども、それは本来のリーディングプログラム(※5)の主旨とずれてきてしまうと思う。本音をいうと、2割とか3割ぐらいの打率を狙って勇気をもって賭けていきたい。その思いは最初からあって、今も変わらない。だから我々も苦しい、というところもあるんですけども(笑)、我々が踏ん張らないといけないところでしょうね。

藤田:

例えば、NASAがいろんなミッションをやるじゃないですか。中にはびっくりするようなミッションもあるわけです。あれをやるためには、結局、山のような様々な検討が事前に行ってあって、それを手元に持っているんですね。そして結果としては、その持っているもののほとんどを捨ててしまうわけですよ。だけど、そういうものについて数を持っているから、じゃあ、このタイミングでこれをやろうというように、引き出しにたくさん入っているみたいなところがありますよ。それは、ものすごい数の検討があるからこそできること。何かミッションを果たそうとしたときに、全部がそう上手くいくわけじゃないけど、やっぱり山のようにいろんなものを懐にもっておいて、ここぞというところでアイデアが出てくる。ある意味、無駄になるという覚悟を決めないと面白くない。

小林:

そこは、片方では百発百中というのが無いと分かったうえで、片方では学生に対しては百発百中のつもりでやらないといけない。一人ひとり、ひとつひとつについてしっかりと向き合っているからこそ、結果的には2割3割になる。最初から2割だと思っていたら、すべて崩れてしまう。
 しかし僕は大学時代はいわゆる「放し飼い」で育った人間だから、どうも苦手なんですけどね、そういうのは。だから、影響を受けていることというのはフォーマルな教育ではないんですよね。フォーマルではない外側の部分ばっかり影響を受けて、この年になっているんですけどね。僕の理学部の先生は、授業ももちろん面白かったんだけども、今から思ったら、教授が学部生に対して、これだけ面倒くさいことを一緒にやってくれたのかと思うとびっくりするくらいのことをしてくれた。僕はフランス語選択だったので、ドイツ語は苦手だったんですよね。そしたら、ドイツ語のペーパーを一緒に読もうかとか言って、毎週1回、時間をとってくれたんですよ。

藤田:

それは、すごいですね。

小林:

今から思うとね。それから、その先生が翻訳をしなくちゃいけないので下訳をしろとか言われて、僕が英語の文章の翻訳をして先生がその添削をした後に、ちゃんと本の中に下訳は僕がしたと書いてくれたんですよ。僕が学部生の時に、ですよ。僕が今、教授になって、学部生にそんな面倒くさいことをするかといったら、それは本当に難しいですよ。よくそんな面倒くさいことをしてくれたと思う。最近、その先生が亡くなったので、晩年に書いた彼のエッセイを見た。大学はどうあるべきかみたいなことを書いているんだけれども、それを見て、僕はこの人に二十ぐらいのときに「噛まれた」んだなと思った。その先生にものすごく影響されているということに改めて気がついたんですよ。自分では気がつかないうちに大きく影響を受けているんですよね。この年になって改めてそれに気付く、という影響の受け方もありますよね。

インタビュアー:

二期生の募集がいよいよ始まりますが、二期生として求める人材はどのようなものですか?

藤田:

今の時代は、どっちに行ったら楽しいか、どこに面白いことがあるか、ということを抜きにして考えることはできないと思いますね。自分の立ち位置からできることだけをひとつずつやっていけば、いつかどこかにたどり着くだろうということを信じすぎるのは時代に合わなくなっているのではないでしょうか。ひとつひとつは素晴らしいことであったとしても、それを単に結集すればうまくいく、というわけにはいかなくなっているという感じがします。世の中にこれだけやっかいな問題があると、まず行き先をどこに定めるかということを考えないといけない。走り始めたら、それぞれの進む速さということではそれほど大きくは違わない。でも、行き先を間違えたら勝負にならない。一方で、分からないなりにこっちだと思うところに動いていく人は動くことによっていろいろ吸収できるわけです。動くからこそ次のことがわかるということはある。しかし、自分の立ち位置からやりやすいところに行く、できることだけしかやらないということになると、全然違う方向へ行ってしまう。あるいは動けない、動かないでいると、あっという間に置いて行かれてしまう。社会の話も、研究の話も同じだと思います。目先のことに左右されない方が結局はインパクトがある、ということがあります。世の中で動いている人は、動き始めたときには「くだらないことをして」と言われたり、動いた先で厳しい扱いをされたりすることがある。でも、結果的にはそういう風に踏み出すことができる人が強い。そういう「判断をすること」、「腹をくくること」と言ってもいいかな、そういうことを自分のものにしたいと思う人に超域に来てほしいと思っています。




※1:「社会の中の科学技術 ‐トランス・サイエンス的問題‐」
超域ラーニング「社会的課題解決・ラーニング」の1年次の必修授業。 20世紀以降社会の中で巨大な存在となった科学技術の営みが、社会にもたらした影響を多面的に理解できるようになることを目的にしたワークショップ型の授業。今回は「2030年のエネルギーミックスを国民的議論で決める」をテーマとして授業を行った。

※2:「大学とはなにか?」
超域モジュールラーニング1年次1学期の必修授業。「大学」という制度が歴史的にどのように形成されてきたかについての基本的な知識を習得し、日本が明治期に大学を設置して以降の大学と社会の相互作用の概略を理解することを目的にしたディスカッション中心の授業。

※3:海外での集中語学研修(サマースクール)
超域ラーニングオフキャンパスの活動の一つとして行われる、1年次の夏休み期間に行う海外での集中語学研修(サマースクール)。今年度の履修生は8月〜9月の1ヶ月間、オーストラリアのメルボルンで、ホームステイをしながらモナシュ大学に通った。

※4:超域ラーニング「言語トレーニングⅠ」
グローバルに活躍するために必要不可欠な英語のトレーニング。継続的な学習に加え、チュートリアル(個別指導)により、英語のリーディング、スピーキング、ライティング、リスニング能力を実践的活用に堪えるレベルに到達させるための、1〜3年時の必修科目となっている。

※5:文部科学省「博士課程教育リーディングプログラム」
優秀な学生を俯瞰力と独創力を備え広く産学官にわたりグローバルに活躍するリーダーへと導くため、国内外の第一級の教員・学生を結集し、産・学・官の参画を得つつ、専門分野の枠を超えて博士課程前期・後期一貫した世界に通用する質の保証された学位プログラムを構築・展開する大学院教育の抜本的改革を支援し、最高学府に相応しい大学院の形成を推進する事業。「オールラウンド型」「複合領域型」「オンリーワン型」の3区分が設定されている。